12月17日に催された春日若宮おん祭のお渡り式を見学して参りました。
奈良の一年を締めくくる冬の風物詩として人気のおん祭ですが、今までにも何度か足を運んだことがあります。冬空の下での行事ですので、カイロを持参するなどして防寒対策をしっかりとられることをおすすめします。ちなみに、今年もかなり冷え込む春日若宮おん祭見学となりました。
影向の松前にスタンバイする頭屋児(とうやのちご)と奉行。
奉行席の右側にいらっしゃるのは春日大社の宮司様ですね。午後1時から始まるお渡りのメインイベント・松の下式を前に、順次ご到着になられました。
影向の松前に到着した頭屋の児(とうやのちご)。
不浄を嫌う意味合いから、地面に触れないよう担がれての登場です。興福寺の名代として、お渡り行列の検分に当たる重要な役割を担う児(ちご)です。数年前に訪れた際にも二人の児がその任務に就いていましたので、どうやら頭屋の児は二人と決まっているようですね。
JR奈良駅の観光案内所で聞いた話によると、影向の松のある松の下式は混雑必至なので、その手前の会場である南大門交名の儀もおすすめですよとのことでした。しかしながら、12時20分頃に春日大社一の鳥居近くの様子を伺ってみたところ、さほどの混雑は見られませんでした。そこで、今回の見学は松の下式でと決めました。
春日大社の若宮神に参じる芸能集団
春日若宮おん祭の主役は春日大社の若宮様です。
若宮神は一年に一度だけ、普段の住まいを離れて御旅所の御假殿(おかりでん)に遷座される慣わしがあります。おん祭は、その遷座された若宮神の御前に様々な芸能を奉納するお祭りとして伝わっています。その歴史は古く、長承4年(1135)の若宮社創建から翌年の保延2年(1136)9月17日に始まります。今ではすっかり師走の伝統祭事として知られますが、産声を上げた当初は9月の開催だったのですね。
担がれた頭屋児が影向の松前に辿り着きました。
付き添いの方々も忙しなく準備に追われているようです。
奈良の三条通でお渡りを見たこともありましたが、さすがにこの場所は緊張感が違いますね。30分超の待ち時間は覚悟しなければなりませんが、また違った角度から春日若宮おん祭を堪能することができます。
目と鼻だけがその衣装から見えています。
向かって左側の児の衣装がうまく定まらず、四苦八苦なさっているご様子でした(笑) おそらく顔全部を出すことは許されていないのでしょうね。
足元にご注目。
やはり穢れた地面には触れていません。頭屋児用に設えられた石なのでしょうか。
お渡り式が行われる直前の12月初め、参勤辞令と装束を授与する装束賜式(しょうぞくたばりしき)が行われているのですが、そこでも頭屋児は不浄な地面に触れないよう、お付きの人に肩車されて式に臨みます。頭屋児の家では、この日を境に門に榊の枝を掲げ、注連縄を張って結界とします。「春日若宮御祭礼致斎之事(ごさいれいちさいのこと)」と記した札を立て、肉を食べないなどの精進潔斎に入ります。
頭屋児に目を奪われている内に、一の鳥居の外側が騒々しくなって参りました。一の鳥居は道路に面しており、信号の取り付けられた場所です。ガードマンの声に混じって賑やかなお渡り行列のお出ましです。
お渡り行列の先頭です。
若宮様の待つ御旅所に向けて参勤する長蛇の列。馬50頭、奉仕者1,000名にも及ぶ御渡りの先陣を切ります。以下、順を追って松の下式の賑やかな様子をレポート致します。
先頭集団の持つ長い棒の先が、あろうことか参道の木に引っ掛かったようです。
二番手集団の方々が皆、天を仰いでおられます(笑) 大事には至らず事なきを得たわけですが、こういったハプニングも若宮様は微笑みながら見守って下さっていることでしょう。全て織り込み済みです。
ところで、春日大社の若宮社は本宮南方に鎮座なさっていることをご存知でしょうか。
本宮門前の磐座から石灯籠が並ぶ御間道(おあいみち)を進んで行くと、左手に少彦名命を祀る一童社が祀られています。そこからさらに南方に鎮まるのが若宮社です。
若宮社の御祭神は天押雲根命(あまのおしくもねのみこと)です。
本宮の第三殿・天児屋根命と第四殿・比売神の子に当たる神様として仰がれます。
五色幕の掛かった榊車ですね。
この榊車(大八車)、どこかで見たような・・・と思っていたら、お渡りの始まる前に大仏館さんの門前で待機していた光景を思い出しました。
大八車の語源は、一台で八人に代わる運搬ができることにあるそうです。「代八車」から、大きな車輪にちなんで「大八車」と言われるようになったいきさつがあります。
うん?赤い衣装をお召しになられた方が担がれていますね。
この方のお役目は何なのでしょうか。
こちらは御所車ですね。
お渡りの所々に、黒い留袖姿の女性が見られます。
頭屋児の傍らにも黒い留袖姿の女性が座っておられましたが、おそらく児のお母様だと思われます。春日若宮おん祭の御渡りには馬長児(ばちょうのちご)、稚児流鏑馬など、数多くの児子たちが参列しています。まだお若い女性の姿が目立つことからも、児子たちの母親ということでほぼ間違いはないでしょう。
これぞまさしく時代行列ですね。
平安時代から江戸時代に至る風俗が随所にちりばめられています。
奈良国立博物館で開催されていた「おん祭と春日信仰の美術~特集 御旅所~」。
お渡り式当日の17日は、入館無料のサービスが実施されていました。
普段の開館時間は午後5時までですが、この日だけは午後7時まで春日大社にまつわる美術品を鑑賞することができます。私もお渡り見物の前に見て参りましたが、写真の春日鹿曼荼羅などは感動ものです。
おや、こちらは奈良市長さんですね。
凛々しいお姿で通り過ぎて行かれました。
春日若宮おん祭には五穀豊穣の願いも込められています。
この祭りの歴史は、世の平安を願った関白藤原忠通公の想いに端を発します。大雨や洪水による飢饉、疫病の蔓延を憂いた忠通公が、春日若宮に神霊を迎えて丁重に祭礼を奉仕したのがその始まりとされます。その後、五穀豊穣・国家安寧・万民安楽を祈り、大和一国を挙げて盛大に執り行われるようになりました。幾多の変遷を経ながらも、今日まで一度も途絶えることなく受け継がれてきた祭事です。
2015年度の本年で、実に880回目を数える歴史的伝統行事なのです。
春日若宮おん祭は、昭和54年に国の重要無形民俗文化財にも指定されています。20年に一度の式年造替で注目を集めている春日大社ですが、若宮さんのお祭りは毎年途切れることなく続いていると言いますから、その伝統の深さにはただただ驚きです。
千早が印象的な日使(お渡り式第一番)
さて、いよいよ本格的なお渡り式の行列が入って来ます。
長い白い布を後ろに垂らし、一の鳥居を背に進み出ます。
梅白枝(うめのずばえ)と書かれた御旗を手にしていますね。
赤衣(せきえ)に千早(ちはや)と呼ばれる白布を肩に掛け、その先を長く地面に引いて進みます。梅白枝(うめのずばえ)と祝御幣(いわいのごへい)と呼ばれるお渡りです。
古語辞典を紐解くと、楚(すはえ)という言葉に行き当たります。楚(すはえ)とは木の枝や幹から細長く、真っ直ぐに生え伸びた若い小枝のことを意味しており、ズワイガニの語源にもなっています。細長い脚が印象的なズワイガニですが、その名前の由来を見たような気が致します。
大きな白い御幣を手に持ちます。
神様に仕える女性の用いる襷(たすき)のことを千早(ちはや)と言いますが、そのタスキをイメージしているかのような布です。
御幣を手に、白い布(千早)を肩にかけて頭屋児が見守る御前を通り過ぎます。
思わず枕詞の「ちはやぶる」が頭の中をよぎりますね。
「神」や「宇治」に掛かる枕詞として知られますが、元来は神様がその威力を発することを「ちはやぶる」と表現しました。五穀豊穣と疫病退散の願いを乗せて行進は続きます。
御幣の後を十列児(とおつらのちご)が続きます。
傘持(白丁)を従えながらのお練りです。
騎馬上の十列児。
十列児は全部で4人います。
巻纓冠(けんえいかん)に桜の造花を挿し、御旅所においては東遊(あずまあそび)を舞います。十列児は午後2時30分から御旅所で催される御旅所祭でも活躍するようですね。
御旅所祭の見学は特別桟敷席のお旅所前桟敷席に尽きると思います。
有料席にはなりますが、深遠な芸能催事を堪能するには必須です。かく言う私も、まだ一度も観賞したことがないのですが、春日若宮おん祭を深く知るには避けては通れないような道にも思えます。
松の下式に陣取る直前、お旅所前桟敷席の係りの方にお伺いしたのですが既にチケットは売り切れとのことでした。料金は5,000円とお高いのですが、既に約160席の桟敷席が完売していました。
御旅所祭は14時30分から22時30分まで続く長丁場です。基本的に出入は自由とのことですので、丸まる一日をおん祭に捧げる気持ちが固まれば是非参加してみたいと思います。
そしていよいよ、真打ちの登場ですね。
関白藤原忠通の使い「日使(ひのつかい)」が束帯姿で先導します。黒の束帯に藤の造り花を冠に挿しています。日使とは関白忠通公がこの祭りに向かう途中、俄かに病となり、お供の楽人にその日の使いをさせたことに始まります。
お渡り式の直前、御旅所に足を向けると記念撮影が行われていました。
どうやらこの時、御旅所の前でポーズをお取りになられていた方が日使に扮しておられたようです。往古の昔から続く祭事らしく、その御旅所にはどこか原始的な雰囲気が漂っていました。ここが芝居の語源にもなっているという場所なのでしょうか。
さすがに関白の格式を感じさせる出で立ちです。
当館でも、大神神社の結婚式において十二単をお召しになられる新郎新婦様がいらっしゃいます。新婦様が十二単の白無垢で、新郎様が束帯姿ということが多いのですが、やはり格下の衣冠にはない威厳が感じられます。
頂に鶴を飾った風流傘。
風流傘を差し掛けられた日の使いに、お供の陪従(べいじゅう)が馬に乗って続きます。
影向の松の前まで来ると、馬を止めて陪従が馬上で笛・篳篥(ひちりき)で楽を奏します。そもそも、なぜこの影向の松という老松の御前で芸能を披露するのでしょうか。その発端は鎌倉時代に遡ります。
鎌倉時代に天台座主であった教円がこの場所で毎日唯識論を暗誦していると、ある日春日大明神が翁の姿で現れ舞いを舞ったというのです。その伝承に基づき、今も松の下式はお渡りの中で大切な位置を占めています。
お渡り式第二番「巫女」の先頭を行く辰市神子(たついちのみこ)。
御蓋(みかさ)と御巫(みかんこ)が馬で風流傘をさして渡ります。白の被衣(かずき)を頂き、風流傘を差し掛けられながら歩む様子はまさしく風流そのものです。
ここで場面を奈良県庁前に移し、渡り神子(わたりみこ)の出発風景も併せてご案内しておきます。
巫女の騎馬シーン。
お渡り式の直前、私は県庁前の登大路園地近くに居ました。
登大路園地には桟敷席も用意され、お渡り式の出発の行列が観賞できるのですが、そのすぐ傍にまるで競馬場のパドックのような光景が広がっていました。50騎の騎馬行列が続くおん祭なわけで、つまりそこには乗馬するシーンが必ず存在します。
奈良公園の一角にたくさんの馬が待機していました。落ち着かない様子でウロウロする馬もいれば、冷静に祭りの前の雰囲気を楽しんでいるかのような馬もいました。
辰市神子、紙垂傘(白丁)に続く八嶋神子(やしまのみこ)。
すぐ後ろには郷神子(ごうのみこ)の姿が見えています。
春日大社では巫女のことを伝統的にミカンコと呼び習わしているようです。ミカンコ、なんだかいい響きですね。
お渡り式第三番「細男・相撲」。
読み方は細男(せいのお)です。細男座の一行が馬に騎乗し、相撲の行司と十番力士が後に続きます。
細男(せいのお)とは神楽の人長の舞の後に、召されて滑稽な舞いを演じる者のことをいいます。
一際体格のいい馬に騎乗しています。
浄衣(じょうえ)姿に清浄感を漂わせる6人の細男座。神功皇后の伝説に因む風変わりな舞いを演じる集団として知られます。
馬上で袖の拝をする細男。
影向の松で検分する頭屋児に向かい、肘を張って深々と頭を下げています。とても印象に残るワンシーンでした。
こちらが南大門交名の儀が行われる興福寺南大門前です。
お渡り式の前に通りかかったのですが、通り沿いには既にマイクが準備されていました。南大門跡を背にして、春日大社御神紋の描かれた幕が掛かっていました。
本来であれば、細男座の次に続くのは猿楽座のはずなのですが、松の下式で実際に細男座の後に続いたのは馬長児でした。おそらく南大門交名の儀において、猿楽座と田楽座が芸能を披露していたことが原因ではないかと思われます。
ここで順番が入れ替わったようです。
お渡り式第六番「馬長児(ばちょうのちご)」。
馬長児が一の鳥居をくぐって入って来ました。
興福寺学問僧の名代として、法院権大僧都を名乗る馬長児(ばちょうのちご)。元は興福寺学侶が輪番で頭人となり、稚児をお渡りに出していたと伝わります。
馬長児は、山鳥の尾を頂に立てた「ひで笠」を被ります。牡丹の造花を背に挿した美しい装いですね。
馬長児に二人の被者が続きます。
五色の短冊を付けた笹竹を手に持っています。頭上に載せているのは龍の造り物です、腰には木履を一足吊り下げています。
お渡り式第七番「競馬」。
ふと頭屋児に目をやると、お母様らしき留袖姿の女性が寄り添っていました。また衣裳に不具合が出たのでしょうか。もう少し、がんばれ!と思わず心の中で叫んでいました(笑)
このお渡りの中の競馬なんですが、午後1時過ぎにこの先の馬出橋から御旅所前勝敗榊の間を競うんだそうです。残念ながら私は松の下式をずっと観賞していたため、競馬を見ることはできませんでした。松の下式と競馬は、お互い同時刻帯に進行しているということを忘れてはなりませんね。これは次回の教訓にしたいと思います。
松の下式の見所は猿楽と田楽
松の下式にも約160席の有料観覧席があります。
お渡りの行列が通過する午後1時~2時30分の90分間、間近に時代行列や芸能を楽しむことができます。料金は3,100円と御旅所前の桟敷席に比べれれば割安となっています。私はその松の下式有料観覧席を背にする場所で見学させて頂きました。
一の鳥居下に座る猿楽座の御一行。
お渡り式第七番の競馬が通り過ぎた後、少しの間を置いて猿楽座が到着しました。おそらくこの時間差は南大門交名(きょうみょう)の儀での芸能披露によるものと思われます。
厳かな能衣装に身を包む御一行。
松の下式では「開口(かいこう)」、「弓矢立合(たちあい)」、「三笠風流」が演じられ、御旅所入口では金春大夫が「埒明け」を行います。
侍者たちが折り畳み式の座椅子を手にしていました。
おそらくこの上に座って芸能が披露されるのでしょう。
ロール状に巻かれたゴザが広げられます。
鼓を手にしている人もいらっしゃいました。
私のすぐ目の前に、侍者の女性が立ちます。
猿楽は田楽と並び行われた中世芸能の一つです。音楽・歌舞・物まねなどで構成され、能楽の源流になった芸能として知られます。
一堂に会し、影向の松前で整列する猿楽座の面々。
芸能披露を前に、ピーンと張り詰めた空気が流れます。
おん祭の猿楽ですが、今は金春座が出仕しているようなのですが、元は観世・金剛・宝生を含めた大和猿楽四座が出仕し、格式高い競演の場としておん祭はその名を知られていました。
お渡り式第五番「田楽」。
猿楽に続いて田楽座の芸能が披露されます。
行列の先頭を行く五色幣が、頭屋児を前にして押し立てられます。
大きな花笠を頭上に乗せていますね。
数年前に私は、この大きな田楽座の花笠を間近で拝見させて頂きました。奈良一刀彫の起源と言われる人形を飾った花笠は田楽座の象徴でもあります。春日若宮おん祭のお渡りの中でも一際華やかな集団です。高い下駄で歩く姿も板に付いていますね。
この日から4年後、2019年度の第884回おん祭も見学することになりました。その際、立派な花笠の写真を撮らせて頂きましたのでご報告致します。
田楽座の特徴的な笠。
鮮やかな朱色の平べったい笠です。
おん祭の芸能の中で、最も興福寺と深い関係を持つ芸能集団が田楽座です。
かつては祭礼当日までの様々な行事に加わっていたと伝えられます。
円座の上に正座して芸能を奉納します。
爪先の尖った面白い形の沓ですね。
各所での芸能奉納に忙しい田楽座ですが、現在の春日若宮おん祭においても、16日の本社及び若宮社への宵宮詣、そして17日にはお渡り式に先立ってNHKの近くの初宮神社(奈良市内鍋屋町)でも田楽奉納を行っています。
松の下式で奉納した後は、御旅所においてもその活動は続きます。
お渡り式第八番「流鏑馬」。
二列縦隊で進む的持と弓矢持。
この後、午後2時30分から一の鳥居内から馬出橋付近にかけて稚児流鏑馬が奉納されます。その時に使われる的持のお渡りです。
的持・弓矢持の後に続く揚児(あげのちご)。
背に箙(えびら)を負い、重藤(しげとう)の弓を手にした少年が騎乗しています。
箙(えびら)とは矢を差し入れて背に負う武具のことですが、矢の数は普通24本なんだそうです。ところが、お渡りに参加する流鏑馬の御一行が背にする矢は少ないようですね。
揚児(あげのちご)の後には、白の水干の射手児(いてのちご)が続きます。稚児流鏑馬の儀式では、揚児を先頭にして、都合三騎の稚児が一の鳥居内の馬場本を祝投扇(いわいのなげおうぎ)の所作を終えて走り出します。一の的から三の的まで順次射ながら進んで行くのですが、大きな掛け声と共に的が射抜かれる度、周囲には歓声が湧き起ります。
流鏑馬における隋兵五騎の中のお一人だと思われます。
やはり矢の数は少ないですね。見たところ、五本の矢が箙の中に収まっています。
お渡り式第九番「将馬(いさせうま)」。
馬上に人を乗せない馬として知られます。
将馬とは、かつて大和の大名家中より奉った引き馬の名残です。神前に馬を献じた慣わしを示しており、崇敬者からの奉納馬なんだそうです。
お渡り式第十番「野太刀他」。
長さ5.5mほどもある見事な太刀を先頭に、中太刀・小太刀・薙刀・数槍(かずやり)と続く集団です。
初めて野太刀を三条通沿いで見た時は度肝を抜かれましたが、私の中ではもうすっかりお馴染みの行列です。お渡り式に先立って行われる大宿所祭においても、この野太刀が会場に立て掛けられています。実は今回の見学でも、お渡り式の前に大宿所に立ち寄って来たのですが、やはりその大きな姿が見られました。あまりに大きすぎて収納に困るのでしょうね(笑) 野外に立て掛けるしか術がないといったところでしょうか。
お渡り式第十一番「大和士(やまとざむらい)」。
かつて流鏑馬を奉納した大和武士の伝統を受け継いでいるのが、願主役・御師役・馬場役をはじめとする大和士の一団です。お渡り式に先立ち、前日の16日には若宮社に宵宮詣ですることでも知られます。
そしていよいよクライマックスの大名行列かと思ったのですが、その前に少し間が空きました。
この間に頭屋児が役目を終え、御旅所へと向かうようです。
前を行くお付きの方が児をおんぶして、その後ろを二名の付き人が支えています。大切に大切に、そしてゆっくりとした足取りで進んで行かれました。
お渡り式第十二番「大名行列」。
お渡り式の最後を飾る、江戸時代から参列しているという大名行列のお出ましです。大和国内の郡山藩や高取藩の大名行列を模して練り歩きます。
お渡り式直前の午前11時過ぎに、興福寺五重塔前へ行けば ”大名行列のリハーサル風景” を楽しむこともできます。
おん祭の大名行列は一時衰退していたそうですが、昭和54年に奈良市内の青年たちの手によって大名行列保存会が結成され今に至っています。「ヒーヨイヤナー」「ヒーヨイマカセー」「エーヤッコラサノサー」の掛け声と共に独特のリズムで練り歩く姿は、お渡り式の殿(しんがり)にふさわしい心意気を感じさせます。
これで一通りのお渡りは終了です。
この後、午後2時30分より催される御旅所祭が終了すると、午後11時頃には還幸の儀が執り行われます。御旅所に遷座されて様々な芸能を楽しまれた若宮神がお還りになられます。御旅所から元居た若宮神社への還幸の儀が行われ、そして翌日の18日には奉納相撲・後宴能と続きます。