2016年度の春日若宮おん祭。
今年のお渡り式は週末土曜日に当たり、例年より人出も多かったのではないでしょうか。残念ながら17日当日は仕事の予定が入っていたため、その前日に訪れて参りました。
大和士宵宮詣(やまとざむらいよいみやもうで)。
煌びやかな時代絵巻が繰り広げられるお渡り式は、春日若宮おん祭のメインイベントです。しかしながら、お渡り式や大宿所祭の陰に隠れてあまり知られていない行事があります。宵宮祭(よいみやさい)、宵宮詣(よいみやもうで)と呼ばれる神事でお渡り式前日に執り行われています。
16日の午後2時頃に「大和士宵宮詣」があるとのこと・・・さっそく春日若宮神社へ足を運んでみました。
御幣を奉り、拝礼を行う宵宮詣
12月17日の深夜に執り行われる遷幸の儀(せんこうのぎ)。
遷幸の儀は、若宮様を本殿よりお旅所の行宮へとお遷しするミステリアスな神事として知られます。参道の全ての灯りが消され、浄闇の中で執り行われます。着到殿の袂に店を構える白藤瀧茶屋の御主人にお伺いすると、遷幸の儀が執り行われる際は店頭の自動販売機の電源も落とすのだそうです。なるほど、いかなる灯りも許されないのですね。
その厳かな遷幸の儀に先立って執り行われるのが、宵宮詣と宵宮祭です。
若宮神社本殿。
神様を御前に整列する大和士宵宮詣の面々。
お渡り式にも参列する大和士が、流鏑馬児(やぶさめのちご)と共に神事参勤の無事を祈ります。若宮社の御前に御幣を奉り、拝礼を行って宵宮詣を終えます。時間にすると、わずか数分だったでしょうか。この後、午後3時からは田楽座が本社と若宮で田楽を奉納します。
16日のタイムスケジュールは、14時に大和士宵宮詣、15時に田楽座宵宮詣、そして16時には宵宮祭となっています。
春日若宮神社の細殿。
重要文化財の細殿に太鼓と鉦のようなものが置かれていました。
うん?これもお渡り式に登場するのでしょうか。
大和士宵宮詣よりも一足先に若宮神社に到着すると、既に数名の見物客が待機なさっていました。どうやら写真撮影の場所取りのようでした。
16時から催される宵宮祭では、若宮様の御神前に御戸開(みとびらき)の神饌を奉ります。そして祭典の無事が祈られた後、若宮本殿は真っ白な御幌(みとばり)に覆われるという流れのようです。
神楽殿の方には懸物(かけもの)が吊るされていました。
数年前に大宿所祭を見学した時にも、杉葉造の小屋に懸物が並んでいたことを思い出します。雉の剥製と鮭の塩漬けでしょうか。水が滴り落ちるためか、ビニールシートが下に敷かれていました。
寝殿造の遺風を感じさせる建物で、天井に引っ張り上げられた蔀戸(しとみど)が印象的ですね。
懸鳥とも呼ばれ、昔は野生の兎や狸も奉納されていたようです。
これらの懸物は、かつては大和国内の諸大名から奉納されていたと言います。
白藤瀧茶屋でご主人と四方山話をしていると、玉砂利の参道をとある集団が歩く音が聞こえて参りました。
そろそろ始まるのかな?と思い、御主人にお礼を言って参道へと出ます。白装束の神官さんたちが参道を下って行くところに出くわしました。そしてしばらくすると、下手の方から御幣を先頭に大和士の一行がやって参りました。
御間道を参進する大和士と流鏑馬児
ここからはどこかの資料でも拝見したことのある光景です。
春日大社の若宮さんへ向かう御一行の姿は、新聞紙面などでもすっかりお馴染みですよね。いよいよ私も遅ればせながら、その場面に落ち合うことになります。
御幣を筆頭に、流鏑馬児が3名続きます。
お渡り式の順番通りであれば、先頭から揚児(あげのちご)、射手児(いてのちご)、射手児の並びです。
流鏑馬児が通り過ぎた後、しばらく間をおいて大和士が続きます。
流鏑馬を奉納した大和武士の伝統を受け継いでいます。
御間道(おあいみち)に架かる橋。
橋の手前で、改めて身だしなみを調えます。
春日大社の御間道。
本社と若宮を繋ぐ御間道(おあいみち)の両側には、たくさんの石燈籠が並んでいました。
御間道は春日大社の歴史の中で、神官や崇敬者が幾度となく通ってきた道です。本宮と若宮の間を百度、千度、万度と往還する祈祷も行われていたようで、そこには往古からの祈りの記憶が詰まります。千度、万度とはすごいですよね、お百度参りどころではなかったのですから・・・。
御間道の途中でしばし待機する御一行。
乱れた着衣を整え、一呼吸おいてからのお詣りとなりました。
本殿前では凛と張り詰めた空気が流れています。
流鏑馬児の父兄らしき方も参列なさっていました。
重要文化財 若宮神社細殿及び神楽殿一棟
保延元年(1135)創建
北(向かって右)より三間を細殿(ほそどの)、一間を御廊(おろう)、六間を神楽殿(かぐらでん)といい、三つの建物が一棟に合わさった建物であり、平安末期の寝殿造の遺風を伝えている。諸祭典に社伝神楽がここで奏せられる。
案内板によれば、手前の畳の敷かれた場所が細殿のようです。間に御廊を挟んで、向こう側の懸物が吊るされたスペースが神楽殿となります。
こういう太鼓を見ると、御旅所のだ太鼓を思い出しますね。
雅な音楽・・・雅楽は仏教と共に渡来しました。
神社のイメージの強い雅楽ですが、元は仏様を荘厳(しょうごん)する音楽や舞踏だったのです。奈良県内で知られる雅楽の学び舎は天理大学ですが、普段のイベントで接する機会と言えばやはり春日若宮おん祭ということになります。
雉って目の周りが赤いんですね。
大和士宵宮詣を見学した後、綺麗にリニューアルされた国宝殿のカフェへ向かいました。田楽座宵宮詣も見学しようか迷ったのですが、外気の冷たさに負けてしまいました(笑)
鯛の塩漬けなども懸物に使われるようなのですが、ここに奉納されていたのは鮭でした。
武士の奉納品ということで、どこか野性味が感じられますね。
春日若宮おん祭の日程ですが、17日のお渡り式の後も続いていきます。翌18日の13時からは奉納相撲、14時には後宴能が予定されています。あくまでも遷幸の儀から還幸の儀へと続く17日がメインの一日となりますが、その前日の宵宮詣もお忘れなく!