土佐街道を散策中、健気な夫婦愛で知られるお里沢市のお墓に辿り着きました。
壷阪寺の本堂・八角円堂の脇にはお里沢市像があります。数年前に壺阪寺へ参詣した時、お里・沢市の存在を知りました。沢市とお里が身を投げたという深い谷もすぐ傍にあり、単なる昔話ではないリアリティを感じたことを思い出します。
信楽寺に佇むお里沢市の墓。
墓碑には「澤市お里の墓」と刻まれています。夫が先か妻が先か、まぁどちらでもいいのですが、観光ガイドマップなどでは「お里沢市の墓」と案内されており、妻のお里が先になっています。
壷坂観音霊験記に見る夫婦愛
豊沢団平作の壷坂霊験記は ”お里沢市物語” とも呼ばれます。
その昔、土佐町に住んでいたと言われる男女をモデルにした物語。盲人であった夫沢市の目の治癒を願い、壺坂観音に祈りを捧げる妻のお里。夜毎家を抜け出して密かに祈願を続けたお里でしたが、そんな妻の行動に疑問を感じた沢市はお里の後を付けます。そこで、健気に自分のために祈る妻の姿を見つけます。妻を疑った自分を恥じた沢市は、深い谷に身を投げます。なんということでしょうか・・・さらにそれに悲しんだお里も後を追うように身を投げたと云います。
信楽寺の門前。
小さな境内に二つのお堂が建っています。その右手に、墓石らしきものが見えます。
お互いを想う気持ちから身を投げてしまった二人でしたが、観音様のお慈悲により生き返ることになります。壷坂観音様もさすがに二人を見捨てることができなかったようです。
お里沢市の墓の横に解説パネルがありました。
壺阪の 月に杖ひく 夫婦かな
「日本感霊録」に9世紀初めの弘仁年中、盲目の沙弥が壺阪観音の信仰で開眼治癒したという話があり、(「壷阪寺古老伝」に記されている。)既にこの頃から本尊の十一面千手観音は民間の信仰を集めていたことがわかる。これは後世のいわゆる盲人開眼、「壷坂霊験記」の原形になったものである。
この「お里・沢市」の物語は今より300年以上も昔(寛文年間)壷阪寺のふもと、大和国高取郷土佐町に住む沢市という盲人と妻里の夫婦愛をテーマにした「観音霊験記」に二世豊沢団平と妻の千賀女が加筆したものであり、浄瑠璃、歌舞伎に浪曲にとこの夫婦純愛物語は日本国中さらに海外にまで知れ渡っている。
墓石の手前には地蔵石仏らしきものも祀られていました。
お墓の背後にブロック塀がありますが、塀の向こうには東西に道が通っていて、ナモデ踊り絵馬で知られる小嶋神社へと通じています。
高取れんじの道から信楽寺へアクセス
高取町の観光名所がひしめく高取れんじの道。
虫籠窓のある昔風情の町家が軒を連ねています。近鉄壺阪山駅からも程近く、公共交通機関からのアクセスも大変便利な場所です。昔ながらの高取れんじの道は、国道169号線から吉野ストア方面へ入って行く辺りを起点としています。少し東へ足を伸ばせば、国宝曼荼羅で知られる子嶋寺が佇みます。
光永寺に伝わる謎の人面石、陀羅尼助(漢方薬店)、石川医院(高取藩主下屋敷門)、町家のギャラリー輝、土佐恵比須神社、夢創館(無料休憩所)などを経て、信楽寺へと続く札の辻に出ます。
この日は「町家のかかし巡り」のイベント期間中でした。
通り沿いの至る所に案山子が展示されていて、観光客の目を楽しませてくれます。手前の案山子は蕎麦打ち作業中の老婆でしょうか。仲睦まじく暮らす家族の姿が映し出されます。
札の辻の角にある、移築再現された高取城松の門。
お里沢市の墓へアクセスする際、この松の門は分かりやすい目印になります。札の辻と言うぐらいですから、昔はこの場所にお触書が出されたものと思われます。多くの庶民が行き交う場所であったことが伺えます。
お墓への行き方のご案内ですが、高取城松の門のある角に行き当たったらそこを右折します。しばらく進むとY字に道が分かれています。二股に分かれた左手の道を取って、緩やかな坂道を上って行きます。
途中でお神輿が収納されているお堂を見つけました。
近隣住民たちの協力の元、神輿担ぎの祭事が続けられているようですね。
「上土佐区だんじり収納庫」と書かれています。
うん?鳥の巣でしょうか。
程なく右手に見えてくるのが、お里沢市の菩提所である信楽寺です。
実にこぢんまりとしたお寺です。
塀に囲まれた境内には、小さな建物が二つあるのみ。
果たして常駐のご住職はいらっしゃるのでしょうか。
花が手向けられ、今も脈々と語り継がれる二人の物語は人々の心の中で生き続けます。
素敵なことですよね、浄瑠璃や歌舞伎で演じられ海外にまでそのストーリーは知られています。国籍や言葉は違えど、交わす人の想いは皆同じです。外国人観光客が増え続ける昨今ですが、こういう場所こそ外国からのお客様にご紹介して差し上げたい気にもなります。
目の不自由な沢市は、杖をつきながら壷阪寺にお参りしていたと言います。
今も壷阪寺本堂には沢市の杖が展示されています。沢市の杖に触れれば夫婦仲が良くなる、そんな言い伝えもあります。
お里沢市が参詣していた壷阪寺は、信楽寺からさらに上手にあります。
京都清水寺の北法華寺に対し、南法華寺とも称されるお寺です。境内には巨大な石仏がたくさん見られ、インド政府との交流の深さを伺わせます。壷阪寺前住職からのハンセン病患者救済事業を通してインド政府とのお付き合いが始まりました。デカン高原の石を切り出し、大観音立像や涅槃像、釈迦一代記レリーフなどが納められています。
壷阪寺を語る上で外すことのできないお里沢市の夫婦愛。
その愛の結晶を、ここ信楽寺のお墓に見ることができます。
<高取町観光ガイド情報>