高取れんじの道の入口付近に建つ家。
大字観覚寺(かんがくじ)の湯川家住宅です。
観覚寺といえば、子嶋寺や光永寺のあるエリア。東漢氏の居館跡とされる観覚寺遺跡の所在地としても知られます。曼荼羅で有名な子嶋寺へもすぐの立地です。
現代の湯川家住宅。
文化財的価値があるのでしょう、住宅の前に案内板がありました。
土壁で塗り込めた大壁造
現代の湯川家住宅とは少し雰囲気の違う白黒写真が掲示されています。
昔の町家によく見られる虫籠窓は無く、大壁造の壁面が見て取れます。青海波積の上屋大棟も印象的です。
昭和57年頃に撮影された湯川家住宅の正面構え。
湯川家住宅は旧観覚寺村の北端付近にあり、この辺りは町場の北端に位置し、農村的性格を兼ね備えていたと考えられる。
主屋は街道から少し後退して建てられ、平屋建て、切妻造、桟瓦葺である。
上家の壁面は、土壁で塗り込めた大壁造で、虫籠窓は無く、上屋大棟は青海波積にしている。
居室部の前面には庭を造り、主屋出入り口左手から前庭を囲むように塀を立て、街道・出入り口間に向かって塀重門を開けている。
特に重文指定を受けているわけでもなさそうです。
湯川家住宅から道を挟んで、目と鼻の先にある古社です。
集落跡の観覚寺遺跡からは、石組みのオンドルを備えた朝鮮半島系の「大壁建物」と呼ばれる建物跡が出土しているようです。「大壁」というキーワードが一致しますが、渡来人たちが住んだ建物の名残なのでしょうか。
湯川家住宅から土佐街道を進めば、日本三大山城の一つ・高取城へと続きます。