天津石門別神社@高取町越智

高市郡高取町越智に鎮座する天津石門別(あまついわとわけ)神社

御祭神は天手力男命です。

天岩戸伝説でアマテラスが隠れた岩戸をこじ開けた神様ですね。天津石門別神社に関しては不明な点も多く、未だ謎に包まれています。鎮座地は越智遺跡の西側に当たります。

天津石門別神社の拝殿。

石燈籠と狛犬が配されていました。

実はこの日、寺崎白壁塚古墳の見学のために高取町を訪れました。その前に、ちょっと寄り道です・・元来参拝目的で訪れた神社ではありませんでしたが、不思議なものが祀られていたのでご紹介しておきます。

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楯状板石に囲われた御神体の榊

天津石門別神社には社殿(本殿)がありません。

自然崇拝を思わせる祭祀形態なのですが、拝殿後方の祝詞社の後ろに注目です。細かく積み上げられた石垣の上に、何やら謎の物体が祀られていました。

何コレ?

楯状の石が四方を囲っています。連続しているわけではありませんが、鋸歯文のような突起が等間隔で上を向いています。中には御神体の榊が手厚く祀られているようです。

他所の神社ではあまり見られない光景ですよね。

神社のすぐ東には越智公民館があります。

越智の人々が集う場所に、天津石門別神社は鎮座していました。

集落東端の字オヤシキへ行けば、中世の土豪・越智氏の城館跡があります。越智遺跡は天津石門別神社の東方に位置していますが、越智公民館の周辺からも濠や土塁、道路の側溝が検出されています。中世土器、さらには貿易によって入ってきた陶磁器なども出土しており、当時の越智氏の勢力を偲ばせます。

天津石門別神社の石鳥居。

鳥居の下には車止めが立ちます。周辺に駐車場はありませんので、越智公民館か最寄りのコンビニに駐車されることをおすすめします。お約束ですが、コンビニに停める場合はコーヒーの一杯でも購入するようにしましょう。

最寄駅はJR和歌山線の掖上駅になるかと思います。駅から北へ1㎞ほどの距離です。

天津石門別神社の解説

天津石門別神社の案内板。

事細かに神社の由緒が解説されています。

所在地 奈良県高市郡高取町越智字大西85
御祭神 天手力男命(あめのたじからおのみこと)
由 緒 越智氏居館跡の西に鎮座。旧村社。

古来九頭神社と称し、「越智氏系図」に元暦2年(1185)越智家の祖、親家が戦場守護神として祀ったと記し、越智党団結の契機及び城館鎮護の神とされた。明治8年(1875)奈良県示達により「延喜式」神名帳高市郡「天津石門別神社」に治定され、社名も改称されたが根拠は不明。式内天津石門別神社は天石戸別神とも書き、貞観17年(875)3月29日正五位下より従四位下に昇叙(三代実録)。式内社は近世まで所在不明で(大和志)、「五郡神社記」のみ忌部村(現奈良県橿原市)の忌部神社(式内天太玉命神社)に併祀と記す。なお「三代実録」貞観5年2月14日条に大和国の天津石門別稚姫神を従五位下より従五位上に昇叙したとあるが、天津石門別神社との関係は不明。当社には社殿がなく、板石を楯状にめぐらした玉垣中央に神体の榊が植えられている。里俗に九頭竜明神と称し、水神として祭祀されているが、自然崇拝の古い信仰形態を残しており、もともと九頭神(国津神・牛頭天王)を祀っていたものが語の類似により九頭竜となり、社名改変に伴って天岩戸を開いた天手力男命を祭祀するに至ったと考えられる。なお「越智氏系図」には越智親家が冑の八幡座の九頭銀竜を安置。九頭上大明神といって奉祀したとの説話がみえる。 ~寺院神社大辞典より~

どうやら元は水神の九頭神を崇拝していたようですね。

時の流れの中で様々な変遷を遂げるのは、何も天津石門別神社に限ったことではありません。

天津石門別神社の拝殿。

小さな境内ですが、この後方に謎の石囲いが控えています。

これです。

いや~、改めて奈良の歴史の深さがうかがえますね。

神籬のようでいて、磐境をも連想させます。

古代信仰の痕跡を目の当たりにし、道草も食ってみるものだなぁと思った次第です。この後予定通り、横口式石槨が見所の寺崎白壁塚古墳へ向かいました。

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