高取城松の門@高取児童公園

土佐街道札の辻に、移築された高取城松ノ門があります。

完全な形で再現されているわけではありませんが、それでも往時の繁栄を偲ぶ遺構として高取町観光の名所になっています。

高取城松の門

高取城松の門。

日本百名城にも認定される高取城は山の上にあります。平地からの高低差は390mにも及び、難攻不落の山城として名を馳せました。今も子嶋寺に伝わる高取城二の門はよく知られますが、二の門より内側が城内、さらに釘抜門より内側を郭内とする区分けがありました。城内周囲が3㎞、さらに郭内周囲は30㎞にも及ぶ規模を誇っていたと云います。高取山全体が山城と言っても過言ではなく、その偉容はまさしく日本三大山城の名に恥じぬものがありました。

高取城松の門の位置図

松ノ門位置図。

高取城のどこに松の門があったのか、その場所が示されています。地図を見てみると、おおよそ中間点辺りと言えるのではないでしょうか。

山の上に位置する高取城では、日常生活を送るのは何かと不便です。そのため、藩主はじめ家臣の屋敷は街道筋に移されました。現在の土佐街道の歴史風情はその頃の名残とも言えます。

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金剛力酒造と松ノ門の歴史

高取城松の門の移築には、土佐街道沿いの金剛力酒造株式会社が深く関わっています。

清酒「金剛力」は奈良県中南和地方で長きに渡って愛されてきた地酒です。その純米大吟醸は精米歩合50%の山田錦を使ったお酒として知られます。お里沢市の物語の中では、夫婦を助ける旦那としても登場しています。

高取城松の門

高取城松の門の案内書。

絵の中の赤い部分だけが再現されているようです。そう言えば、この門には屋根の部分がありませんよね。

松ノ門は高取城内にあった建築物の一つで図のような門であったとされています。明治4年の廃藩置県により高取城が廃城となった際、多くの建築物は取り壊されましたが、本棟は移築されました。その中の一つ「松ノ門」は明治25年に土佐小学校の校門として移築されていました。しかし、昭和19年の火災により一部消失したため、解体されたままとなっていました。現在の門は、地元の熱い要望と当時材を取得保管されていた臼井氏(金剛力酒造株式会社)からの材の提供により、図の朱色部分について復元したものです。

かつては小学校の校門としても利用されていたようです。

高取の歴史を体現する松の門をくぐって登下校したであろう昔の児童たち。なんだか羨ましくも思えてきます。

松の門の斜め向かいに金剛力酒造さんが店を構えていらっしゃいますが、当時の松の門の材を保管されていたとは知りませんでした。不思議な御縁で結ばれる街道筋の様子が伺えます。

高取城松の門前の石標

札の辻の角に建つ石標。

「右観音院道」と刻まれています。壷阪寺の観音様へと至る道が案内されているのでしょうか。確かに札の辻から右へ取ると、壷坂霊験記で知られるお里沢市の墓を経由して壷阪寺へと続いています。石標背後に見える塀は高取児童公園のものです。

この緩やかな坂道を真っ直ぐに上って行くと、武家屋敷(田塩邸)、植村家長屋門(武家屋敷)、阿波野青畝の生家などを過ぎて高取城跡に至ります。

高取城松の門

高取城松の門を入った所。

児童公園の内側から撮影しています。実にがっちりとした造りをしているのが分かります。

やすらぎ荘

松の門を入ると、右手に高取町立社会福祉施設「やすらぎ荘」がありました。

私が訪れたのは町家のかかし巡りイベント期間中でしたが、人の気配は感じられずひっそりとしていました。

高取児童公園

高取児童公園ではバスケットボールのシュート練習もできるようです。

向こうに見えているのはブランコでしょうか。

高取児童公園

松の門の柱手前に「高取児童公園」のプレートがありました。

春になると、公園内には桜の花が咲くようです。広々として特に何もない公園ですので、レジャーシートでも広げてゆっくり花見が楽しめそうです。

高取町の木かえで

プレートの下には高取町の木であるカエデが案内されています。

カエデという言葉の語源は「蛙の手」にあると聞いたことがあります。このイラストを見てみると、その理由が分かるような気が致します(笑)

高取城松の門

高取城松の門を横から見たイラスト図。

桁、柱、貫、控柱などの構造が一目で分かります。

桁(けた)とは柱の上方にあって、垂木を受ける材のことを言います。このイラストを見ても分かりますが、赤く示された部分だけが移築されているようです。

高取城松の門

土佐街道から高取城松ノ門を望みます。

門前には車止めが3本立てられ、車の進入を防いでいます。かつては本丸を目指す敵の侵入を食い止めていた門の一つだったのかもしれません。

金剛力酒造

金剛力酒造さんの店内にあった黄金の酒樽。

「金剛力」なんていかにも力強い名前ですよね。金剛力士のような怪力を思わせるネーミングです。大相撲界にもその昔、金剛という四股名の力士がいたことを思い出します。どちらかと言うと、小兵の部類に入る相撲取りでしたがなぜか印象に残っています。金剛力酒造さんと高取城松の門には深い関係があったことを今回の見学で学ばせて頂きました。

高取城松の門の古地図

本丸へと続く道程には数多くの関門が用意されていたようです。

矢場門、松ノ門、宇陀門、千早門等々が案内されています。所々に侍屋敷があるところを見ると、城主を守るために適材適所に配備されていたのかもしれません。ところで、それぞれの門の役割が気になるところですね。

本丸へ至る門を書き出してみると、二の門~三の門~矢場門~松の門~宇陀門~千早門~大手門~十三間多聞~十五間多聞~下の門~上の門と続きます。見るからにいかにも攻めあぐねそうな山城です。

壺阪山駅から続く土佐街道散策の際は、是非高取城松の門を見学しておきましょう。