高取町車木に鎮座する八幡神社。
神社のある場所は、斉明天皇陵に治定される車木天皇山古墳の下手に当たります。御祭神は品陀和気命(応神天皇)のようです。
八幡神社の絵馬。
絵馬殿の中には色鮮やかな絵馬が掲げられていました。
今回の目的地は斉明天皇陵(車木ケンノウ古墳)だったのですが、その途上で見つけた神社です。八幡さんということで、やはり戦いの神が祀られているのでしょうか。斉明天皇は百済支援のために出向いた福岡の地で亡くなっています。福岡県朝倉市には、応神天皇や斉明天皇を祀る八幡宮があり、古代史ファンならずとも気になるところです。
福岡県朝倉市鎮座の恵蘇八幡宮
車木の八幡神社と関係が有るのか無いのか、はっきりとは分かりません。
しかしながら、福岡県朝倉市山田恵蘇宿には、応神天皇・斉明天皇・天智天皇を祀る恵蘇八幡宮というお社があります。恵蘇八幡宮の本殿裏手最高所には、円墳2基が確認されています。その古墳を「朝倉橘広庭宮」で崩御した斉明天皇の仮陵墓とする言い伝えがあります。
八幡神社本殿。
絵馬殿の奥に手厚く祀られていました。断っておきますが、車木の八幡宮には斉明天皇は祀られていません。丘陵上手の「車木ケンノウ古墳の被葬者」として宮内庁が管理しています。
車木の斉明天皇陵の石段。
二手に分かれていますが、左が斉明天皇陵(車木天皇山古墳・車木ケンノウ古墳)、右が八幡神社へと通じています。
右手に登って行くと、石鳥居が見えてきました。
鳥居をくぐって、さらに左手一段高い所に祀られているようです。
この上ですね。
ひっそりとした場所です。
右手に目をやると、崖崩れの跡が見えました。
井桁模様の斜面防護壁ですね。
向かって右側、阿形の狛犬。
斉明天皇の息子であった皇太子・中大兄皇子は、母親の斉明天皇の遺骸を朝倉橘広庭宮から今の恵蘇八幡宮の地に移したそうです。
ご遺骸を御陵山に仮に葬り、下手の山腹に丸木の殿を造ったと伝えられます。1日を1ヵ月に代えて12日間、母君の喪に服した中大兄皇子・・・八幡宮の地を「木の丸殿」と称する所以です。
車木八幡神社の絵馬殿。
一見すれば拝殿なのですが、その中には数種類の絵馬が掛けられていました。
”車木氏子”、”兄弟会” と読むのでしょうか。
朝鮮半島出兵を決意した斉明天皇のお姿なのかもしれません。
八幡宮の扁額。
一度は福岡の地に葬られた斉明天皇ですが、その後、高取町の越智崗上陵に移されることになります。その越智崗上陵こそが、車木ケンノウ古墳ではないかと言われています。
斉明天皇陵のお膝元にある八幡宮。
それだけでも十分に、地理的に離れた福岡との関係が浮かび上がります。
絵馬殿下の崖崩落復旧工事記録。
寄付者の芳名と金額が列挙されていました。
絵馬殿前にはフェンスも張られています。
真の斉明天皇陵はどこなのか!?
現在では明日香村の牽牛子塚古墳が有力視されており、古代の謎は深まるばかりです。今後の調査・解明を待ちたいところですね。