新沢千塚古墳群公園を訪れました。
約600基を数える新沢千塚古墳群ですが、その内のほとんどが円墳とされます。直径10~20mほどの円墳があちこちに散らばっています。園路に敷かれた木チップ舗装など、環境への配慮もうかがえました。
整備が進められる新沢千塚古墳群公園。
新沢千塚古墳群は、橿原神宮前駅から西へ伸びる県道133号線をはさんで南北に分かれています。その北側に位置するエリアが公園として整備が進められていました。古墳と公園のセットということで、花の咲き誇る馬見丘陵公園を思い出すのですが、橿原市の新たな試みに注目ですね。
新沢千塚古墳群!群集墳の主流を占める円墳ワールドへアクセス
新沢千塚古墳群を見学する人のほとんどが、歴史に憩う橿原市博物館にも足を運ばれるのではないでしょうか。
博物館で予習をしてから外の古墳を見に行くのが常道ですが、私はその逆のコースを辿りました。歴史に憩う橿原市博物館の駐車場に車を停め、まずはその足で古墳群の懐へと入って行きました。
新沢千塚古墳群の案内地図。
この地図の見方としては、上方が西の方角に当たります。左右に緑色のエリアが表示されており、真ん中を東西に通っているのが県道133号線です。地図上右側の緑色エリアが新沢千塚古墳の北側支群に当たります。
墳形を分類すると、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の4種類に分かれます。
新沢千塚古墳群にも数は少ないですが、円墳以外の古墳も存在しています。しかしながら、新沢千塚古墳群を特徴付けるものはやはり円墳です。土饅頭のような形をした円墳があちこちに見られ、その特異な風景は一見の価値があります。
県道133号線沿いに駐車場が案内されていました。
これから舗装される予定なのでしょうか、現時点では新沢千塚古墳群公園の臨時駐車場と出ています。博物館の臨時バス駐車場としても利用されているようですね。駐車場案内の右手奥に、新沢千塚古墳群のガイダンス施設が見えています。
ここを右手に進み、ガイダンス施設へとアクセスします。
畑の脇を通って行くあたり、なんだかのんびりしていてイイですね。
こちらが新沢千塚古墳群のガイダンス施設です。
私が訪れた日は、まだ残念ながらオープン前のようでした。この場所でも群集墳の概要に触れることができるようです。オープンが待ち遠しいですね。
木の手すりも綺麗に整備されていました。
まだ真新しく、古墳の歴史とは対照的です。新沢千塚古墳群は4世紀末から6世紀末の約200年間に渡り、約600基もの古墳が築かれました。
橿原市の南には貝吹山があります。高市郡高取町との境界となっている山で、その四方に派生する尾根の内、北西方向に伸びる低い丘陵上に位置するのが新沢千塚古墳群です。
階段もありますが、階段の脇を回り込むように舗装されたスロープ状の道が続きます。
これなら車椅子で上まで登って行けそうです。古墳観光もバリアフリーの時代が到来しているようですね。
所々で岩がむき出しになっています。
これは古墳の葺石の一部なのでしょうか。
頂上へ出ると、土饅頭の形をした円墳が姿を現します。
全国的に見ても、全ての古墳の9割を占めるという円墳。前方後円墳などに比べて単純な構造のため、その数を増やしていったものと思われます。被葬者の地位は前方後円墳のそれと比べれば低いですが、古墳時代も後期になり、前方後円墳が姿を消す頃には円墳と言えども有力者の墓が築かれることがあったようです。
終末期古墳の円墳としては、明日香村のキトラ古墳や高松塚古墳が有名ですね。
173号墳の副葬品出土状況。
新沢千塚第173号墳は、直径14メートルの円墳です。半肉彫七獣帯鏡が副葬されていたことで知られます。新沢千塚の代名詞とも言われる126号墳(5世紀後半頃)とほぼ同時期か少し後に築かれたようです。他に鉄製武器類と、木棺の上には鉄製胴甲が副葬されていました。
新沢千塚173号墳。
古墳の前には案内板が設置されています。
こちらは178号墳でしょうか。
墳丘の上へ続く階段が設置されています。
地方の小豪族や大和政権と関係の薄い人々の間で築かれてきたという円墳。古墳時代を通して築かれたロングランタイプの円墳ですが、5世紀頃には中央豪族や王族の墓にも円墳が採用されるようになります。
円墳の脇にはベンチが置かれていました。
水筒が見られますが、作業中の作業員さんのもののようです。
この石段は、昔からあった階段のようです。
少し急な勾配でしたが、ここから下りて行きます。
新沢千塚古墳群南側支群の広場と復元古墳
博物館に入館する前に、新沢千塚古墳群の南側エリアへと足を向けます。
川西バス停の前のコンビニでコーヒーブレークをしながら、改めて新沢千塚古墳群への道のりを尋ねます。店員さんや道行く人にも聞いてみるのですが、皆さん詳しくはご存知でないようでした。
「この道を挟んで、大体この辺り一帯はみんな古墳なんです」というお答えでした。
コンビニ前の奈良交通川西バス停。
次の停留所は一町東口のようです。奈良県内の地名には普段から関心があるのですが、一町と書いて「一町(かずちょう)」と読みます。曽我川流域にある農村で、式内社・稲代坐神社の鎮座地として知られます。一(かず)弥生文化遺跡などもよく知られるところです。
交差点付近に災害時避難所の案内看板がありました。
老人福祉センター「千寿荘」と書かれていますね。博物館の隣の建物で、千寿荘の裏側に新沢千塚古墳群が広がっています。交差点の右奥に見えている建物が、歴史に憩う橿原市博物館です。
こちらは博物館前の歩道橋です。
この歩道橋を渡った先に、目的地の新沢千塚古墳群があります。
再びコンビニ方面へ戻って、そこから県道133号線沿いに東へ向かいます。
程なく右手に、新沢千塚古墳群へと入って行く道標が立っていました。訪れた時期が夏ということもあってか、辺りは草木で覆い尽されていました。さすがにここを入って行く勇気もなく、もう少し先へ進んでみることに致しました。
県道沿いに進みます。
右手が新沢千塚古墳群の南側支群に当たります。
先ほどよりは歩きやすい入口を見つけました。
ここから新沢千塚古墳群へと入って行きます。
広場と復元古墳が案内されていました。
まずは右手の復元古墳の方を目指します。
うん?
これがそうでしょうか。
草木が生い茂り、人気(ひとけ)も感じられない場所です。少々薄気味悪さも感じたため、確認もせずに引き返すことに致しました。
復元古墳の近くには、葛城山や金剛山を望むビューポイントもあったようです。
やはりこういう場所は、春か秋に訪れるのがよさそうです(笑)
こちらが復元古墳とは反対側の広場。
何も無い所ですが、草木が茫々と生えたエリアを抜け出して一安心です。
広場からは大和三山の畝傍山が見えました。
普段から見慣れた山だけに、さらにほっと胸を撫で下ろします。腕や足を蚊に噛まれ、今日はさんざんな目に遭いました。
県道沿いから南側支群を望みます。
あの杜の中に先ほど行った広場があります。
エントランス方向も案内されています。
綺麗に整備された新沢千塚古墳群の北側エリアに比べ、こちらの南側エリアは未開拓のようです。今後整備が進められるのかどうか分かりませんが、現時点ではちょっとしたジャングル体験でした。
※平成30年7月15日、南群エリアの入口付近に「龍の広場」がオープンしています。
また草木の生い茂っていない時期にでも訪れて、復元古墳をこの目で確かめてみたいと思います。
川西千塚、鳥屋千塚とも呼ばれる新沢千塚古墳群。
北エリアから出土した126号墳のガラス碗や青銅製熨斗などは重要文化財にも指定されています。ここはひとつ、奈良県の古墳巡りの中に新沢千塚古墳群を付け加えておこうではありませんか。