古墳時代前期の前方後円墳・イトクノモリ古墳。
橿原神宮外苑内の池田神社の中にあります。「イトクの森」という古墳名から、畝傍山の麓にある懿徳天皇陵を思い出すのですが、何か関係があるのでしょうか?実に謎に満ちた古墳です。
イトクノモリ古墳(池田神社)。
若桜友苑へ入って行く手前にありました。場所が少し分かりづらいのですが、広大な敷地面積を誇る橿原神宮の杜の中に位置しています。橿原神宮の参拝ついでに、徒歩でアクセスできる場所です。
全長30mの小さな前方後円墳
古墳時代初期の前方後円墳と言えば、箸墓古墳のような巨大なものを思い浮かべます。
今回訪れたイトクノモリ古墳の墳丘は実に小さなものでした。全長30mで、後円部の直径は20mとされます。残念ながら前方部は既に消滅していましたが、後円部の墳丘上に祠が建てられています。
石段の付いた緩やかな墳丘を登ると、その頂上に祠がありました。
ここだけ見ると、やはり神社ですね。
御祭神は大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも)で、懿徳天皇をお祀りしているようです。現在は畝傍山南西麓の懿徳天皇陵が第4代懿徳天皇の陵とされますが、一時はイトクノモリ古墳こそが懿徳陵だとする伝承もあったようです。
塀に囲まれた祠。
狛犬が聖域を守っています。
イトクノモリ古墳の近くに石碑が建立されていました。
「生きてわれ 向ふ碑 のこる花」
散る桜残る桜も散る桜と誓いあった同期も散って逝ってから早や五十有余年 生き残った
生存者は古希を迎え幾年か過ぎ今日まで生き長らえることができたことを感謝し一重に先
に逝った同期を偲びいつしか碑の前に額づき足が進むものであります。
平成九年十一月吉日 建之
若桜友苑へ足を運べば、戦争の爪跡をそこかしこに見ることができます。橿原神宮参拝の見所の一つでもあり、忘れてはならない過去です。
古墳時代前期の古墳であることが案内されています。
埋葬施設は不明のままですが、出土遺物として石槍や石鏃が知られています。
祠の前には石灯籠も建っていました。
こんもりとした後円部に登って、墳丘上で手を合わせることができる古墳です。
屋根の妻には懸魚の意匠も見られますね。
二段重ねの基壇の上に、木造祠が厳かに建てられています。
池田神社は旧畝傍村の鎮守と伝わります。同じく畝傍山の麓に鎮座する、池田神社から上手の東大谷日女命神社(熊野神社)の「上の宮」に対する「下の宮」とも称されます。
古墳見学というよりは神社参拝に近いものがありますが、橿原神宮参拝のついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
<畝傍山麓の観光案内>