一つの到達点に行ったような気がします。
天理市渋谷町のヲカタ塚古墳。
景行天皇陵の北東方向にあるビュースポットで、帆立貝式の前方後円墳です。山の辺の道の東方に、景色の素晴らしい池があると聞いたことがあります。水口神社の駐車場脇には周辺地図があり、ヲカタ塚古墳への道のりが案内されていました。
ヲカタ塚古墳とカマアゲ池。
遥か西には二上山を望みます。
池の眺望スポットということで、檜原神社西の井寺池をイメージしていましたが、期待を上回る素敵な場所です。人工物のほぼ見られない「自然の展望台」でした!
ヤマトタケルが偲んだ絶景!景行天皇陵や大和三山を眼下に収める古墳
石川五右衛門の名台詞「絶景かな、絶景かな」。
京都の南禅寺三門で口にしたというセリフですが、遥かにその上をいくでしょう。
ヲカタ塚古墳から見下ろす風景は、かの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が目にしていたであろう古代憧憬にも重なります。
手前から景行天皇陵、耳成山、畝傍山。
さらにその背後には葛城、金剛山系が展開します。思わず言葉を失う絶景ですね。
景行天皇陵は前方後円墳で、第12代景行天皇の陵です。
景行天皇の子であったヤマトタケルは、父親の命で大和の地を離れ、全国平定に奔走します。戦いを終えて大和へ帰る途中、力尽きて最期を迎えます。故郷の大和を慕いながら、帰り着くことなく息絶えたヤマトタケル。彼の魂は白鳥となり、飛んで行ったと伝わります。
現在は円墳状のヲカタ塚古墳。
前方部の短い”帆立貝式前方後円墳”で、全長は55mです。かつては前方部を北東に向けた古墳とされましたが、近年の天理大学によるレーダー探査により、前方部を南西に向けた全長130m以上の古墳と判明しています。被葬者もよく分かっておらず、多くの謎に包まれた古墳のようです。
池の周りのフェンスに白いものがこびり付いています(^.^)
綺麗なグリーンの墳丘ですが、その手前の池が美しいコントラストとして浮かび上がります。
さらに上手から撮影。
随分開けた場所に葬られ、被葬者も幸せだったのではないでしょうか。
景行天皇陵の南には、お宮跡の纒向日代宮(まきむくひしろのみや)があります。想像の域は出ませんが、ヤマトタケルもこの辺りで育ったことでしょう。
バス停渋谷から向かうアクセス道
ヲカタ塚古墳への行き方ですが、二つの起点があります。
国道169号線から東へ行く場合と、山の辺の道から東へ行く場合です。山の辺の道の合流地点からは同じルートを辿ることになります。
国道169号線沿いの奈良交通バス停「渋谷」。
渋谷から一つ南は「相撲神社口」になります。
今回、私は崇神天皇陵の駐車場に車を停めて南へ歩きました。バス停「渋谷」から東、渋谷の集落へ入ります。ちなみに景行天皇陵には、渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)という別名があり、この辺りの地名であることが分かります。
東へ進むと、こんな場所に出ます。
石垣の上に建つ民家ですが、このポイントは左でも右でもどちらでもOKです。とにかく東へ上がって行けば、途中で合流します。最短距離なら右へ進みましょう。
初夏の花と石灯籠。
西へ振り返ると、燈籠の横には石碑のようなものも見られました。
さらに東へ上がって行くと、山の辺の道の道標があります。
景行天皇陵と崇神天皇陵のちょうど中間点ですね。
数年前に山の辺の道を踏破したことがありますので、この地点は通過したはずです。ここから山の辺の道を一旦外れ、東の山手を目指します。
ヲカタ塚古墳の周辺地図。
麓の水口神社前に掲示されている地図ですが、とても分かりやすいですね。
ヲカタ塚古墳へ続くアクセスルートには彼岸花が咲くようです。秋に再訪する価値はありそうですね。さらに上手には枝垂桜も開花します。今回の見学では新緑が綺麗でしたが、四季を通じて色んな表情が楽しめそうです。
地図上にもある櫛山古墳は以前に訪れました。
キャンディー型の双方中円墳は珍しく、一見の価値があります。
景行天皇陵の東に見えるシュロ塚古墳、陪塚は号も気になりますね。次回訪れてみようと思います。
ヲカタ塚古墳のアクセス道(農道)を上がって行くと、右手に三輪山が見えます。
黄緑色に染まる山肌は、今の時期ならではですね。
農道と案山子。
左前方に、わずかに墳丘が見えています。
これです、コレ。
円形にぷっくりと盛り上がっています。
長閑なアクセス道です。
近くの農家の方々が利用する道ですが、天空の古墳へと続くルートでもあります。
アクセス道の上手にも果樹園があり、”有害鳥獣捕獲許可” と記された注意書きがありました。天理市ではイノシシやニホンジカを捕獲するため、山中に捕獲用の足くくり罠が設置されているようです。ワナの目印として札が掛かっていますので、山中に足を踏み入れる場合は注意が必要です。
絶景かな!
生駒山系から二上山への山並み。手前に広がる大和平野には、人々の暮らしが映し出されます。
「ヤマトタケルが最期に偲んだ倭(やまと)」
愛しい后を失い、倭が身も果てようとする時に詠われた有名な歌謡・・・ヲカタ塚古墳の手前に、”倭は国のまほろば” の歌が案内されていました。三重県能煩野(のぼの)で燃え尽きた魂は、白鳥となって西の空へ飛び立ちます・・・その行き着いた先には様々な伝説が残っています。
同じような風景をヤマトタケルも見ていたのでしょうか。
時間だけを滑らせて遥か古代に戻った時、同じような空間を共有出来たら嬉しいですね。
手前に二つの社叢が見えます。
左が景行天皇陵、右は景行天皇陵の陪塚ですね。陪塚は宮内庁の管轄ですが、上の山古墳とも呼ばれているようです。国道側には水口神社も鎮座しており、地元の長老にお伺いすると「アレはお宮さんや」と教えて頂きました。
フェンスの横を通ってヲカタ塚古墳へ近づきます。
かなり近くまで寄ることができました。
ヲカタ塚古墳の墳丘。
墳丘の上には登れません。フェンス越しに残存する墳丘を撮影しました。
龍王山古墳群への入口付近!水音に涼む高地
ヲカタ塚古墳から上手の山中には、古墳の石室が開口しているようです。
龍王山古墳群は全国最大級の群集墳で、あちこちに横穴式石室が見られます。今回は時間の都合で足を延ばしませんでしたが、いつか龍王山古墳群も見てみたいと思います。
それにしても絶景です。
写真では伝わらないのが残念ですが、現地へ行けば納得がいきます。
ゆる~く、大きな気持ちにさせてくれる場所です。
もう終わりかけですが、アザミも咲いていました。
大和三山があんなに小さく見える・・・まるで立体模型を見下ろしているかのようです。
静かに水をたたえるカマアゲ池。
頭の中には「池のビュースポット」と刷り込まれていました。それが今回、見事に古墳とつながりました。”古墳のある風景” だとは気付いていなかったのです。
その気付きを与えて下さったのが、神奈備工房の藤白小鈴さんです。田原本から穴師にかけての観光事情に精通なさっていて、いつも勉強させてもらっています。車で10分少々、そこからさらに徒歩で15分ほどの場所にも関わらず、今まで知らなかった穴場です。
こんな素敵な場所があるなんて。
まずは現地に足を運ぶことですね。
水辺の古墳もいいものです。
今まで数多くの古墳を訪れ、横穴式石室の中にも入って来ました。数を打ってきただけなのかもしれません。これまでとは異質の感慨に浸ります。
ヲカタ塚古墳からさらに上手へ行くと、こんな場所に出ました。
ここから先はなるべく控えて下さい、といった雰囲気ですね。地図を見ると、この先は龍王山登山の崇神ルートに通じているのかもしれません。
またもう一度振り返ります。
何回も確かめたくなる風景です。
ここらで見学を終え、来た道を戻ります。
その道中、暗渠から水の音が聞こえてきます。
かなりの勢いで流れています。水の流れから、巻向山麓の車谷を思い出します。車谷には柿本人麻呂の万葉歌碑が建ち、清流の音が詠われます。急な流れを利用した水車から、「車谷(くるまだに)」という地名が生まれたと言います。
この辺りの水も綺麗なんでしょうね。
ムンムンと咲き誇ります。
虫たちが寄り集まり、生の営みが続いていました。
下って来ると、渋谷バス停の道案内が出ていました。
ヲカタ塚古墳の起点になるバス停ですので覚えておきましょう。
思えば東京の渋谷(しぶや)も起伏のある地形です。
大雨が降ると、渋谷の地下鉄は水浸しになると言います。谷底に位置する渋谷は、今も昔も変わりません。読み方こそ違いますが、天理市渋谷町も起伏に富んでいます。そのほぼ最高到達点にヲカタ塚古墳はあります。