赤坂天王山古墳群の東に位置するカタハラ古墳群。
珍しい穹窿状横穴式石室を持つカタハラ1号墳が有名です。
人の胃の最上部のことを穹窿部(きゅうりゅうぶ)と言ったりしますが、穹窿状横穴式石室とはドーム状石室のことを意味します。天井の面積が床面に比べ非常に小さくなっています。安定感に欠けるのでしょう、カタハラ1号墳も現在は見学不可のようです。
カタハラ1号墳の墳丘。
現地保存されていますが、残念ながら石室の見学は出来ません。
赤坂天王山から南東方向へ、坂道を登り切った高台にありました。かなり高所に当り、見晴らしは抜群です。カタハラ1号墳の手前から下界を見下ろすと、倉橋溜池が見えました。
被葬者は渡来人?隅三角持ち送りの横穴式石室
天井石の無い構造。
通常埋葬施設の天井には、大きな天井石が見られます。ところが、穹窿状横穴式石室の場合は天井石がほぼ無く、上半分の壁石が持ち送り構造で”ドーム型”になっています。見るからに崩れやすそうな石室で、見学には向かないのでしょう。
奈良県内にも平群町の宮山塚古墳、明日香村の真弓鑵子塚古墳などがありますが、どれも石室内を見学することは出来ません。
カタハラ1号墳の玄門と奥壁。
桜井市立埋蔵文化財センター発行の『桜井の横穴式石室を訪ねて』に、カタハラ1号墳の石室写真が掲載されていました。
右片袖式の横穴式石室ですね。石材の数も多いようです。
玄室の奥壁が8段、側壁は7段程度と案内されています。終末期古墳に当たるエンドウ山古墳やムネサカ古墳は2段積みですからね。小さい石を積み上げていることからも、かなり前期の古墳であることがうかがえます。解説文を読み進めると、6世紀中頃の築造と記されています。
カタハラ1号墳の玄室内は、上半分の持ち送りが特に強いことで知られます。奥壁と側壁の取り付き部分は下半部が直角に接続していますが、上半部は隅角を消すように積まれています。このようにコーナーを消すような技法を隅三角持ち送りと呼ぶようです。
カタハラ1号墳の石室は、橿原市の沼山古墳との類似性が指摘されます。益田岩船近くの公園上手にある古墳ですが、沼山古墳の石室も外から覗くのみだったことを思い出します。
穹窿状の横穴式石室は、渡来人との関連が示唆されます。カタハラ古墳群は渡来系氏族の墓なのでしょうか、興味の尽きないところですね。
カタハラ1号墳の行き方!倉橋溜池を見下ろす絶景ルート
カタハラ古墳群の見学に際し、まずは赤坂天王山古墳を目指します。
赤坂天王山の前まで来ると、地元の方がいらっしゃったのでカタハラ古墳群のルートを尋ねてみました。ところが、ご存知ではありません・・・近くに住む”地域の長老”にもお聞き頂いたのですが、残念ながら定かな情報は得られませんでした。
赤坂天王山古墳の出入口。
以前に訪れた時は獣除けフェンスが無かったのですが、今は厳重に管理されているようです。
カタハラ古墳群は、音羽山から北西へ派生する小さな尾根群の一つに築造されています。そして、その同一尾根の先端に築かれているのが赤坂天王山古墳群です。
カタハラ古墳群を求め、まずは倉橋溜池の方へ向かい東へ取るルートを探しました。ところが、敢え無く撤退・・・仕方なく来た道を引き返します。
再び赤坂天王山古墳の方へ引き返します。
この辺りから右前方を望むと、何やら見覚えのある”擁壁の上の三角盛土”が見えました。うん?ひょっとするとあれではないかと思い、さらに東へ取るルートを探します。
どうやらここを左方向へ登って行くようです。
真っ直ぐ進めば、やがて右手に赤坂天王山古墳の入口が見えてくるポイントです。
急坂をどんどん登って行きます。
右手には畑地が広がり、その向こうに倉橋溜池が見えました。
カタハラ古墳群は6基の古墳で形成されています。未調査のカタハラ4号墳~6号墳は現在も残っているようで、墳丘の一部は畑に利用されています。
ひたすら登って行くと、左手にそれらしきものが見えてきました。
坂道を登り詰めた”峠”のようなポイントですね。
ここまで来て、改めて桜井の地形を思います。
桜井(さくらい)の「さ」はお飾りの接頭辞のようなもので、「くら」は鞍(くら)に通じると聞いたことがあります。馬の背中に乗せる”鞍”ですね。凹凸の”凹部”に当たる鞍です。へこんだ凹部があれば、そこには必ず凸部が存在します。山があれば谷があるのです。
カタハラ1号墳の前から下界を見下ろします。
今来た道を振り返ると、倉橋溜池が見えました!
倉橋溜池。
ため池の周りにも数多くの古墳が散在しています。
奈良市内から国道169号線を南下すると、桜井市内で丁字路に突き当たります。そこの地名は「谷」です。谷の南方は山になっていて文殊院西古墳や艸墓古墳、風呂坊古墳群などがあります。アップダウンの激しい桜井という土地に根付く数多くの古墳に触れ、なるほどそこに築いてみたいと思わせる何かを感じます。
フェンスの向こうに見えるのは開口部でしょうか。
急峻な場所に築かれた古墳です。
カタハラ1号墳の奥壁。
確かにドーム状ですね。
長老もご存知でなかったカタハラ古墳ですが、1号墳は平成11年に調査されているようです。ミレニアム前の1999年に、市の一般廃棄物最終処分場整備に関わる発掘調査で明らかになった古墳です。それ故、比較的新しいのかもしれません。
道路脇のガードレールとカーブミラー。
フェンスの向こうに墳丘がありますが、立ち入ることは出来ません。
もう少し上から。
こうしている間にも車一台通過することもなく、実に静かな場所です。
厳重に施錠されています。
”土圧”により石室が傾いているようです。安全面を考慮して、石室内は立ち入り禁止です。
開口部とおぼしき箇所。
ちょっと分かりにくいですね(^-^;
もう少し鮮明に。
一部石材が露わになっていますが、周りには土嚢のようなものが見られました。
カタハラ1号墳横穴式石室の玄門。
見事な石組です。
高所から下界を見下ろすように葬られた被葬者は、百済系の氏族なのでしょうか。
擁壁と鉄扉の間に隙間がありますね。
ちょっとお邪魔して、墳丘の裏側へと回り込みます。
カタハラ1号墳を見上げます。
反対側から見上げると、こんもりした墳丘の姿が分かります。あの中にドーム状の横穴式石室が築かれていると思うと、古代への想いが募ります。
直径13~18mの円墳で、南西方向に開口するカタハラ1号墳。玄室の床面には敷石が施され、敷石から天井までの高さは2.9mあったようです。
カタハラ1号墳の帰り道。
坂道を下って行くと、左手に梅の花が開花していました。その向こうに見えている緑の杜は赤坂天王山古墳群です。
これですね。
手前の獣除け柵も見えています。
どんどん坂道を下ります。
カタハラ1号墳は、平成13年に市指定史跡になっています。
赤坂天王山古墳の前を通る道路まで戻って来ました。
ここにも石が剥き出しになっていますね。古墳とは関係ないのかもしれませんが、古墳見学の後だけに目に留まりました(^-^;
よく言われることですが、奈良県内では”叢”に神社があり、”竹林”には古墳があります。そして、何気なく露出した石を見ると反応してしまう自分がいます(^.^)