橿原考古学研究所附属博物館を見学

橿原神宮や神武天皇陵にも近い橿原考古学研究所附属博物館

奈良県内では「橿考研(かしこうけん)博物館」の愛称で親しまれるミュージアムです。歴史が息づく奈良では、日々発掘調査等で様々な遺物が出土しています。その度に新聞紙面を賑わすわけですが、その際に奈良文化財研究所や橿原考古学研究所の名前をよく目にします。

橿原考古学研究所附属博物館

橿原考古学研究所附属博物館の第1展示室。

館内は中庭を囲むように第1~3展示室が設けられています。常設展の手前には特別展示室もあり、タイムリーな話題が届けられます。私が見学に訪れたのは年頭だったこともあり、特別陳列「十二支の考古学~申~」が開催中でした。干支の「申・猿」にまつわる考古資料などが案内されていました。

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メスリ山古墳の巨大円筒埴輪が並ぶ「大和の考古学」

橿原考古学研究所附属博物館の最大の見所は藤ノ木古墳の国宝と、メスリ山古墳の円筒埴輪が見学できる点にあるのではないでしょうか。

充実した多くの展示品の中でも、特に注目に値するものだと思われます。

メスリ山古墳の円筒埴輪

常設展の第2展示室にディスプレイされるメスリ山古墳の大型埴輪。

かなり巨大です!

桜井市高田のメスリ山古墳から出土した最も大きな円筒埴輪のサイズは、高さ約2.4m、基部の径90cmにも及び、埴輪としては最大規模を誇ります。ちょうど数か月前にコロコロ山古墳を見学し、その足で近くのメスリ山古墳の周囲を歩いたのですが、かなり大きな古墳であることを実感致しました。

メスリ山古墳の円筒埴輪

メスリ山古墳の埴輪列が図示されていました。

橿原考古学研究所附属博物館の館内には計4つのメスリ山古墳出土埴輪が展示されていますが、それぞれどの位置にあったかが番号で示されています。

古墳の後円部中央にある2つの竪穴式石室の上部を長方形に取り囲むかたちで、大型の円筒埴輪・高杯形埴輪と円筒埴輪が二重にめぐっていた。最も大きな埴輪は石室の両端の位置にあり、高さ2.4mは日本最大である。

埋葬施設を二重の長方形に囲む埴輪列が、墳丘の中段・下段にもめぐっています。

メスリ山古墳の円筒埴輪

修復の跡がうかがえますね。

円筒埴輪には三角形の孔が見られます。

メスリ山古墳の築造年代は4世紀中頃で、その全長は250mにも及びます。

大型前方後円墳で、その前方部を西に向けているそうです。後円部は三段築成で、墳丘斜面前面に葺石が見られたようです。後円部の墳頂に竪穴式石室(主室)がほぼ南北方向に位置し、その東側に副室がありました。

メスリ山古墳の円筒埴輪

第2展示室の入口付近。

メスリ山古墳出土の大型埴輪が出迎えてくれます。この他にも蓋形(きぬがさがた)埴輪、家形埴輪等々、様々な埴輪が展示されており、実際に目で見て日本の歴史が学べるようになっています。古墳を飾った木製品なども必見で、全て正真正銘の本物が展示されています。

鳥

うん?これは鳥でしょうか。

どこか飛行機に見えなくもありませんが、古墳時代に飛行機は飛んでいませんよね(笑)

これらの他にも、葛本弁天塚古墳の特殊器台、下池山古墳の内行花文鏡、石見遺跡の人物埴輪頭部等々の充実した展示品が並びます。

橿考研博物館の館内は時代別に展示室が分かれています。

第1展示室は旧石器時代・縄文時代・弥生時代で、第2展示室が古墳時代・飛鳥時代初頭、そして第3展示室が飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代となっています。

ホケノ山古墳の家形石棺が展示される中庭

橿考研博物館の中庭の片隅にも注目です。

広い中庭のある博物館も珍しいと思われるのですが、その中庭の廊下に桜井市ホケノ山古墳の家形石棺が展示されていました。卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳のすぐ近くに佇むホケノ山古墳。当館大正楼からも徒歩圏内の古墳で、山の辺の道ルートからも程近い場所にあります。

ホケノ山古墳の家形石棺

中庭沿いの廊下に展示される家形石棺。

こうして見ると、やはり存在感が違いますね。蓋の部分には縄掛突起のようなものも見られます。

実は橿考研博物館を訪れたのは今回が2回目でした。初めて訪れた時、中庭に出て写真撮影していたところ、ボランティアガイドの方が出て来られて館内も是非撮影して下さいと薦められました。私はてっきり館内撮影禁止だとばかり思っていたのですが、どうやら間違いのようでした。展示品の中には、撮影禁止の札が付いたものもありますのでどうぞご注意下さい。他所のミュージアムでもよくあることなのですが、特別展示室以外の常設展示場は意外とオープンなのですね。

ホケノ山古墳の家形石棺

針金のようなもので固定されています。

欠けた部分は盗掘孔なのでしょうか。

奈良県桜井市は横穴式石室の宝庫でもあります。倉橋溜池の近くにある赤坂天王山古墳の家形石棺なども一見の価値があります。身を屈めながら横穴式石室の中に潜入し、羨道を通って真っ暗闇の玄室へと入ります。そこで今もなお残される家形石棺を目にした時は、得も言われぬ感動を覚えたものです。

ホケノ山古墳が発掘された時にも、おそらく同じような感動体験があったのではないでしょうか。

ホケノ山古墳の家形石棺

桜井市箸中のホケノ山古墳。

古墳時代後期の横穴式石室(6世紀頃)に納められた家形石棺です。

今から遡ること十数年前の平成12年(2000)に、ホケノ山古墳の石囲い木槨では画文帯神獣鏡も出土しています。木槨を多量の川原石で覆う石囲い木槨の発見は、大和の古墳では初めてのことだったそうです。この家形石棺が納められていた横穴式石室は、石囲い木槨の西側で見つかっています。

ホケノ山古墳の家形石棺

随分ごっそりと欠けていますね。

古墳の規模は全長80mと言いますから、さほど大きな古墳ではないようです。箸墓古墳やメスリ山古墳に比べれば小型の前方後円墳ということになります。

ホケノ山古墳の家形石棺

近づいてみると、よりリアルに感じられます。

こんなに至近距離で古代の石棺を感じ取れるのです。それにしても、なぜこの家形石棺は半屋外に置かれているのでしょうか。館内展示でない理由は何かあるのでしょうか。ひょっとして石が重くて床が抜ける!?

ホケノ山古墳の家形石棺

綺麗に石の表面が削られているのが分かりますね。

そう言えば、橿考研博物館の入口外にも束明神古墳の復元石槨が展示されています。特色ある切石積みの石槨で知られる束明神古墳ですが、その石槨模型が実寸大で築き上げられています。館内展示のみならず、橿考研博物館を訪れたなら屋外にも目を向けてみて下さい。様々な発見があって面白いこと請け合いです。

土壙墓の人骨と子供の棺

橿原考古学研究所附属博物館では、橿原考古学研究所が1938年以来行ってきた発掘調査の出土資料を中心に展示が行われています。考古学がお好きな方なら、一日中滞在しても飽きない場所だと思われます。

橿原神宮に近いという立地条件もいいですね。神社参拝のついで立ち寄ることもできます。

橿原考古学研究所附属博物館

橿原考古学研究所附属博物館の外観。

玄関口で出迎えるのは、奈良県のマスコットキャラクター・せんとくんと、橿原考古学研究所のマスコットキャラクター・イワミンです。ちなみにイワミンのモデルは、石見遺跡から発掘された人物埴輪の椅子に座る男性像なんだそうです。

橿原考古学研究所附属博物館

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館。

角髪(みずら)のヘアスタイルが可愛いイワミンが、ミュージアムの入口近くで手招きしていますね。

土壙墓の人骨

エントランスホールに展示されていた人骨。

屈葬された縄文時代の男性の人骨です。

人骨!これ以上にリアルなものはないですよね。

これとよく似た展示品を桜井市市立埋蔵文化財センターでも見学したことがあります。土壙墓に屈葬された人骨が意味するものとは一体何なのでしょうか。簡単な埋葬方法であるが故に、様々なことが考えられます。

死者の霊が再び蘇ることを恐れたのか、あるいはその反対に再生を願ったのか。

土壙墓の解説

人骨の近くに解説パネルがありました。

観音寺本馬遺跡(橿原市・御所市)で発掘された縄文時代晩期(今から約3,000年前)の土壙墓(どこうぼ)と呼ばれるお墓です。

この土壙墓からは、埋葬状態をよく示す人骨が出土しました。そこで、発掘現場から遺構ごと切り取って、当研究所に持ち帰り、展示のために保存処理をおこないました。

遺構ごと切り取られているのですね。

なんとも大胆ではありますが、緻密な作業工程がそこにはあったはずです。

土壙墓の解説

埋葬状態と特徴

出土した状況から、1体分の人骨が、手足を折り曲げた屈葬の状態で、あお向けに埋葬されていることがわかります。

人骨の特徴から、埋葬された人物は20~60歳(比較的若い可能性がある)の男性であることがわかりました。また、推定身長は約165cmで、縄文人の平均身長(158前後)に比べると、背の高い人物だったといえます。

奈良県では、縄文時代の人骨の出土例が極めて少ないことから、当時の埋葬方法と縄文人の特徴を知る上で、たいへん貴重な資料です。

縄文人の平均身長は158cmですか。

現代の日本人女性の平均身長とほぼ同じぐらいでしょうか。

卜骨

こちらは卜骨(ぼっこつ)ですね。

卜骨とは亀甲や獣骨を焼いて吉凶を占うことですが、何の動物のどこの部位なのでしょうか。どことなく銀杏の葉っぱにも似ています(笑)

橿原考古学研究所附属博物館

弥生時代の人物模型も見所の一つです。

当時の生活様式や祭祀の模様が克明に再現されています。

清水風遺跡出土の土器絵画には鳥装の巫女が描かれており、それを立体的に模した人物模型も見ることができます。両手を広げ、天を仰ぐ鳥装巫女の聖なる姿。土器の中に実際に描かれているものが、ガラスケースの中で立体的に躍動します。

橿原考古学研究所附属博物館

土器絵画に描かれた「船の旅立」が模型化されています。

遠い昔から移動手段として船は欠かせないものでした。危険と隣り合わせの旅立ちでもあったでしょう。そこに込められた祈りは現代の比ではありません。船の右端に櫂を持って立つ人がいますが、その向こう側に両手を広げる鳥装巫女の姿が見えます。

橿原考古学研究所附属博物館の船

土器絵画 船の旅立

物語は船による旅立ちから始まる。ゴンドラ状の船には、立って櫂を漕ぐ人がいたり、多数の乗員を乗せているものもあった。なかには艫(とも)に小さな人物を描いた例もある。神に選ばれた子どもであろうか、それとも「魏志」の東夷伝倭人条にみる持蓑(じさい;航海の安全を祈る者)であろうか。船のいく先は鳥(サギ)のいる世界である。それは神の世界であったかも知れない。

橿原考古学研究所附属博物館は昭和55年(1980)に新築竣工しています。

竣工以来、様々な展示品が館内を彩ってきたわけですが、橿考研の強みは何と言っても本物志向にあるように思われます。自分たちが掘ったものを展示するという一貫した姿勢が見られるのです。

これが一般的にはなかなか難しいこととされます。

大きな常設展を持つ博物館でさえも、展示品のほとんどがレプリカという例も珍しくありません。そんな中にあって、橿原考古学研究所附属博物館の展示品はほとんど全てが本物なのです。

戦う人

これは戦いの場面でしょうか。

今の世においてもアフリカの僻地へ行けば、似たような暮らしをしている所もあるのかもしれません。歴史は繰り返すことを思えば、かつて私たちが辿って来た道のりを振り返ることにも意味があるように思えます。

子供の棺

桜井市大福遺跡の子供の棺

集落の外れに、大人とは別に葬られたという子供たち。

悲しみの大きさ故なのでしょうか、大人の墓とは一線を画していたようです。

子供の墓の解説

子どもが亡くなったときは、特別な扱いがされた。

大人の葬られる墓地にではなく、集落のはずれに葬ることがあった。大きな甕(かめ)を棺とし、鉢や高杯(たかつき)で蓋をしたものが発見されている。

子どもの棺などもそうですが、こういう木で作られた遺物を保存する技術にも橿考研には秀でたものがあります。

出土して空気に触れると、木製品はどんどん乾燥していきます。そのまま放っとおくと、物理的な変形をきたしてしまうことになります。それを食い止めるために、最新鋭の科学的アプローチが行われます。木製品の保存処理には主に二つの方法が採り入れられているそうです。

一つがPEG含浸法。

液体状にしたポリエチレングリコールに木製品を浸けて水分と置き換えます。糖アルコール含浸法もその一つとされ、PEG含浸法よりも短期間で木材に浸透し、処理後の色合いも元の状態に近いと言います。特許を持つ保存処理法として注目を集めますが、申請があれば無償で技術提供もなさっているようです。

そして、もう一つの保存処理法が真空凍結乾燥法です。木材を凍結させ、真空で乾燥させることによって原型に近い状態で常温保存が可能となります。

子供の棺

弥生時代後期2世紀の遺物です。

遥か遠い昔の遺物が、今の時代に蘇ります。橿考研を支える人たちの努力の賜物ではないでしょうか。地元で発掘された遺物を地元で見ることができる幸せ。案外見過ごされがちなことですが、感謝の気持ちを持って見学したいものですね。

子供の棺

所々が欠損していますが、それがまた独特の風情を醸します。

まるで神代杉のようと言えば、失礼に当たるでしょうか(笑)

橿原考古学研究所が掘り当てた遺跡は枚挙にいとまがありません。飛鳥京跡や高松塚古墳、それに藤ノ木古墳なども橿考研の実績として残ります。日本の考古学史上に名を連ねるそうそうたる遺跡に、橿考研の名前がタグ付けされているのです。

橿原考古学研究所附属博物館

橿原市の四条古墳を飾った大量の木製品にも注目です。

本物の風格に圧倒される大和の考古学コーナー。かなり大ぶりの木製品が立ち並び、他のミュージアムとは趣を異にしています。写真うつりはイマイチですが、照明設備も充実していてとても分かりやすく展示されています。

家形埴輪

こちらは家形埴輪ですね。

随分大きな屋根です。

本物の歴史遺物が展示される橿考研ならではのラインナップです。

藤ノ木古墳の国宝副葬品

橿原考古学研究所附属博物館に入館したら、是非じっくり鑑賞して頂きたいのが藤ノ木古墳出土の副葬品です。

国宝に指定される副葬品は圧巻の一語に尽きます。

藤ノ木古墳は法隆寺の近くにある円墳として知られます。世界遺産の法隆寺からも徒歩圏内ですので、法隆寺参拝の折りにお立ち寄りになられることをおすすめ致します。大きな盗掘を受けることなく、現代に蘇った奇跡の古墳と言われます。未盗掘の石棺が石室内から出土し、超一級の金銅製馬具セットが出てきたことで一躍その名を知られることになりました。

藤ノ木古墳の靴

国宝の金銅製飾履。

実用的な靴ではなかったようですが、極めて良好な遺存状況で棺の中から出土しています。

藤ノ木古墳の靴

間違いなく超一級の展示品です。

藤ノ木古墳の国宝靴に関しては、以前にも一度見学に訪れていますので詳細はそちらに譲らせて頂きます。

藤ノ木古墳の埋葬施設は両袖式の横穴式石室です。全長約14m、玄室長約6mのサイズで、羨道部には人頭大の閉塞石が積み上げられていました。さらに玄門部には須恵器の大型器台が立ったままで、石棺と奥壁の間には鉄鏃、挂甲(けいこう)、金銅製馬具など大量の副葬品が残されていたと言います。

藤ノ木古墳の出土品を展示する斑鳩文化財センターの玄関前には朱色の石棺が展示されていますが、実際の石室内部と石棺にもベンガラ(赤色顔料)が塗られていたようです。棺の中からは、東枕の成人男性二人の人骨も発見されています。

斑鳩文化財センターにも金銅製の靴が展示されていましたが、あちらはレプリカです。そして、こちらが本物の金銅製靴ということになります。金銅製の遺物ですから、残念ながら錆びてしまっています。それを人間国宝クラスの方の手で復元するとどうなるでしょうか・・・

藤ノ木古墳の出土品

こんな感じになります。

見事に黄金色に輝く副葬品!

こんなに絢爛豪華な副葬品に囲まれ、手厚く埋葬された人物の正体が気になりますよね。

残念ながら被葬者は謎に包まれたままですが、石室内に残された遺物が大いに何かを語りかけてくるようです。

杏葉

杏葉(ぎょうよう)ですね。

馬具の一種で飾りに使われたようです。藤ノ木古墳の時代から、馬は人の生活に溶け込んでいたのでしょう。無くてはならないものだったことが伺えます。

藤ノ木古墳の冠

金銅製冠

こちらも金銅製靴と同じく、国宝に指定される副葬品です。

藤ノ木古墳の冠

金銅製冠のつなぎの部分に、鳥のような姿が見られますね。

古代に神聖視されたという鳥が、藤ノ木古墳の副葬品にもデザインされています。大空を舞う鳥は、古代人たちの憧れの的だったのかもしれませんね。自由に大空を翔け回る鳥たちを見て、そこに神性を感じたのでしょう。神社の鳥居の由来にも、鳥への崇拝の念が見え隠れします。

車輪石

川西町島の山古墳出土の車輪石

平成7年(1995)に全長200m強を誇る前方後円墳・島の山古墳から、135個の石製腕釧類、首飾などが出土しました。

車輪石の出土状況

車輪石の出土状況が当時の写真で案内されています。

この他、第3展示室では牽牛子塚古墳の七宝飾金具、竜田御坊山古墳の三彩硯とガラス管なども見学することができます。古事記ゆかりの太安万侶墓誌(奈良時代)も必見です。

橿原考古学研究所附属博物館の入館料は大人400円となっていますが、無料区域のフリーゾーンも設けられています。

エントランスホールのイメージ展示品に始まり、ホール内のビデオライブラリー、入館記念グッズや考古資料関連グッズが販売されるミュージアムショップ、情報検索システムが楽しめる情報コーナー等々、無料入場できるスペースもありますので気軽に立ち寄ってみて下さい。

ボランティア解説員による常設展示の無料ガイドサービスもあります。

その他、車椅子の無料貸し出し、100円硬貨返却型のコインロッカーなども用意されています。

とにかく充実した設備の整ったフルラインナップミュージアムです。奈良の歴史に興味を持ったら、まずは橿原考古学研究所附属博物館を訪れてみる。皆様におすすめしたい、イチ押しの博物館です。

<橿原考古学研究所附属博物館>

  • 開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  • 休館日 :毎週月曜日(月曜が祝日の場合は、その翌日)、年末年始(12/28~1/4)、その他臨時休館日あり
  • 入館料 :大人400円 高校生・大学生300円 小・中学生200円(特別展期間中は料金変更あり)
  • 駐車場 :無料駐車場(約40台駐車可)
  • 住所  :奈良県橿原市畝傍町50-2
  • アクセス:近鉄畝傍御陵前駅下車徒歩5分、近鉄橿原神宮前駅下車徒歩15分