馬見丘陵公園の花菖蒲や紫陽花を楽しんだ後、公園西方にある牧野古墳を見学して参りました。
古墳の名前ですが、牧野古墳(ばくやこふん)と読みます。全長17.1mにも及ぶ大型の横穴式石室が南に開口しています。
牧野古墳の横穴式石室。
石室の入口は施錠されていて、中に入ることはできませんでした。鉄柵の隙間から羨道、そしてその奥の玄室を望みます。玄室の中には石棺のようなものも確認できますね。
被葬者の謎に迫る成相墓
牧野古墳を語る際に、そのキーワードとなるのが成相墓(ならいのはか;なりあいばか)です。
牧野古墳は6世紀後半の三段築成による円墳です。その二段目に横穴式石室が開口しているわけですが、玄室内には石棺が二つ安置されていました。そもそも横穴式石室といえば、追葬が可能なお墓です。昭和58年に行われた調査では、装身具や馬具等多くの遺物が出土したことでも知られます。
牧野古墳の開口部。
普段は固く閉ざされた横穴式石室ですが、事前申し込みをすれば中に入ることも可能です。
牧野古墳石室内見学の問合せ先は、広陵町教育委員会文化財保存センター(TEL:0745-55-1001)となっています。広陵町内では、石室内インで見学できる唯一の古墳とされます。
牧野史跡公園の玄関口。
ここから右手奥に横穴式石室が開口しています。
牧野古墳の被葬者に関してですが、敏達天皇の第一皇子であり、舒明天皇の父に当たる押坂彦人大兄皇子(おしさかひこひとおおえのおうじ)の成相墓の可能性が示唆されます。
和銅2年(709)の『弘福寺文書』には「真野条七成相里」という記述が見られ、この ”成相里” が今の牧野古墳のある辺りかと思われます。条里制の七条は大字疋相(ひきそ)に該当し、疋相(ひきそ)はそのまま疋相(なりあい)にも通じます。また、真野は真木野(牧野)の二字化であり、牧野古墳には莫耶(ばくや)の剣を埋めたという説話も伝えられます。
莫耶の剣とは一体どういうものなのでしょうか?
中国に伝承される雌雄一対の双剣。それを干将・莫耶(かんしょうばくや)と言います。中国の名剣として知られる干将・莫耶ですが、陰陽で表すなら干将が陽で、莫耶が陰で一対を成しています。牧野古墳と莫耶の剣、その関係が気になるところですね。
牧野史跡公園の園内地図を見てアクセス
地図を広げてみると、牧野古墳は広陵町の北西隅に位置していることが分かります。
国の指定史跡にもなっており、数ある馬見古墳群の中でも特筆すべき古墳だと思われます。
公園内の地図。
現在地は正面入口付近を指しています。現在地から右手奥の方向に牧野古墳の石室がありますね。
公園の愛称でしょうか、「うまさん公園」と案内されています。
横穴式石室にアクセスするには、”現在地” と書かれた入口が一番近いようです。地図の右下に遊具が描かれていますが、ちょうどその辺りに駐車場があります。道路が交差する角っこの建物は公衆トイレです。
牧野史跡公園の正面入口から右手に取り、しばらく進むと石段が見えて参りました。
どうやらこの階段を登って行った所に、お目当ての横穴式石室があるようです。
牧野史跡公園の案内板。
この公園は国指定史跡「牧野古墳」を現状のまま永久に保存し、多種類の植樹と遊具並びに散策路を設け、みなさんの憩の場として新設いたしました。
公園の広さは、10,174平方メートルあります。
駐車場側にブランコや滑り台などの遊具が見られましたが、意図的に植樹もされているようですね。墳丘の上へと続く階段も整備されており、ちょっとした散歩を楽しむこともできます。古墳の周りを散策していると、直径約50mの大型円墳を体感することができます。
いよいよ近づいて来たようですね。
左手奥に案内板のようなものが見えています。
ありました、ありました。
牧野古墳の横穴式石室です!
梅雨のシーズンということもあり、この辺りまで来ると蚊の存在が気になります(笑) 湿気の感じられる場所だけに、既に腕が痒くなってきていることに気付きました。正面玄関口からの所要時間はほんの数分です。迷うこともなく、あっという間に開口部へと辿り着くことができました。
土器、武器、馬具、装身具などの副葬品が出土
牧野古墳は数多く出土した副葬品でも知られます。
出土した武器には、銀装の大刀と400本近い鉄鏃(てつぞく)が挙げられます。羨道に集中していた容器類の中には、木心の金堂張容器と総数58点にも及ぶ須恵器があったと伝えられます。
横穴式石室を正面に見据えます。
公園として整備され、行き方に迷うこともありませんでした。しかしながら、横穴式石室見学に付き物の探検気分が味わえなかったのは玉に瑕でしょうか。とは言え、同じ馬見古墳群の中のナガレ山古墳や乙女山古墳には無い体験ができるのも事実です。
随分巨大な石が使われていますね。
馬見丘陵一帯は石の少ない粘土質の土地であると言います。そんな中で、このような巨石を運び得るのは権力者以外には考えられないでしょう。
かすかに玄室内部をカメラが捉えます。
何やら卒塔婆のようなものが石棺に立て掛けられていますね。
出土遺物には馬具も数多く見られました。
木心鉄地金銅張の壺鐙(つぼあぶみ)、障泥(あおり)縁金具、心葉形の鏡板と杏葉(ぎょうよう)等が二組分出土しています。一万個以上に及ぶガラス小玉などの装身具類も発見され、牧野古墳の名を全国に知らしめました。
横穴式石室の規模が記されていますね。
広陵町文化財課で頂いた資料と見比べてみると、若干のサイズの違いはあるようです。ここでは広陵町の観光パンフレットを元にその大きさをご案内しておきます。
横穴式石室の玄室の長さは6.7m、幅3.3m、高さ4.5mとなっています。
桜井市にある赤坂天王山古墳の玄室も実に大きなものでしたが、その高さは4.2mでした。玄室の長さこそ赤坂天王山に軍配が上がりますが、その幅や高さにおいては牧野古墳の方が大きいことになります。ちなみに石舞台古墳の玄室の高さは4.7mですから、それに匹敵するぐらいのサイズを誇ります。
玄室に石棺が二つ安置されているのが見て取れますね。
玄室の奥壁に沿って横向きに刳り抜き式家形石棺が置かれ、その手前には組合せ式の家形石棺が置かれています。両方ともかなり破壊されていたようですが、副葬品が数多く残されていました。
ご多分に漏れず、既に盗掘に遭っていた牧野古墳。
しかしながら、こうやって横穴式石室を見学できるだけでも十分ですよね。
こちらは牧野史跡公園の公衆トイレです。
道を挟んで、このすぐ近くに結婚式場があります。古墳の横に結婚式場とは、何とも不思議な光景です(笑)
牧野史跡公園は真美ケ丘ニュータウンの中にあります。
公園の前を上田部奥鳥井線が走っていますね。新木山古墳や三吉石塚古墳がある笠・ハリサキ線の北方を東西に走る道路で、南へ向かえば程なく近鉄五位堂駅にアクセスできます。
こちらは牧野史跡公園の駐車場側ですね。
文代山古墳の石棺が置かれている辺りです。馬の像があったのは確認したのですが、砂場も存在していたんですね。案内板にもありましたが、庶民の憩いの場として整備されているようです。
羨道の手前に、何やら機具が置かれていますね。
キトラ古墳なども円墳ですが、円墳は古墳時代後期によく見られる古墳の形式です。古墳時代初期に主流を占めていた大型前方後円墳が造られなくなった頃に、数多く築成された円墳。牧野古墳の墳丘に足を運べば、実際にその形を体感することもできます。
馬見丘陵公園や竹取公園からもすぐ近くです。公園の遊びついでに、子連れで古墳見学に出掛けてみるのもいいのではないでしょうか。