茄子塚古墳!三宅町屏風

三宅町屏風の茄子塚古墳を訪れました。

墳形は未だ不明ですが、円墳か前方後円墳とされます。墳丘南側の道路が古墳に沿って弧を描き、周濠の跡かと思われます。出土品から察するに、築造時期は5世紀後半から6世紀初頭でしょう。

茄子塚古墳

三宅町の茄子塚古墳。

左向こうに見えている建物は、式下中学校の校舎です。太子道沿いにあり、白山神社や屏風杵築神社が近くに鎮座します。歴史散策にはおすすめの場所ですね。

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名号水請堤から北へ!八ヶ郷墓地の南にある古墳

今回私は、三宅古墳群を南から北へ辿ってみました。

比較的墳形を留める瓢箪山古墳からスタートです。前方後円墳の瓢箪山から細道を東へ辿り、アンノ山古墳へ。そこから北の高山古墳を経て、車道を横断します。洪水から集落を守った「名号水請堤(みょうごすいうけづつみ)」を見学し、さらに北へ進みます。

茄子塚古墳と安養院

やがて見えてくるのが茄子塚古墳です。

墳丘の向こうに見えているのは安養院というお寺です。ちなみに安養院にも安養院古墳があり、その西には寺の前古墳が控えています。古墳の密集地帯ですね。

茄子塚古墳

方形の土壇のようにも見えます。

茄子塚古墳は畑地の中の古墳です。人々の生活に密着している様子がうかがえます。

茄子塚古墳案内板

茄子塚古墳の案内。

現在畑地となっているので古墳とは気づかないが、茄子塚と呼ばれている。

円墳か前方後円墳かはわからないが、出土した土器等から5世紀終わりから6世紀にかけて造られた古墳である。     三宅町教育委員会

茄子塚古墳

農作業中にちょっと休憩してみたくなる墳丘ですね。

八ヶ郷墓地と茄子塚古墳

茄子塚の北には、八ヶ郷墓地が広がります。

お墓参りの人々からも、南方の茄子塚がよく見えています。

茄子塚古墳

中学校からも程近い場所に佇みます。

これだけ近いと、野外授業の一環として「三宅古墳群の見学」も取り入れられているのでしょうか。灯台下暗しでは勿体無いですからね。土地の利を生かさない手はありません。

茄子塚古墳

茄子塚古墳から寺の前古墳を経由し、さらに北へ向かうと巨大前方後円墳の島の山古墳があります。島の山古墳は川西町に属しますが、三宅古墳群の北端に位置付けられています。

茄子塚古墳

この辺りにはかつて、天皇の直轄地がありました。

開墾を目的に集められた人々を束ねるリーダーも居たことでしょう。それらの“長”を埋葬する古墳なのかもしれません。

三宅町屛風の散策

茄子塚から南へ、来た道を戻ります。

この先にあるのが請堤(うけづつみ)です。

請堤とは、集落を洪水から守るために築いた堤防のことです。河川の氾濫に悩まされた奈良盆地には、今もその痕跡があります。

名号水請堤

名号水請堤(みょうごすいうけづつみ)の案内。

この請堤は、屏風と唐院・保田を水害から護るために造られ、堤防の高さ3間4尺5寸(約6.8m)と定められ、水害が起きた時は、関係の村々によって堤を修復することになっていた。 三宅町教育委員会

名号水請堤

ぱっと見は環濠のようでもあります。

飛鳥川と寺川に挟まれ、古来より水害も多かったことでしょう。たとえ堤防が決壊しても、集落の周囲に設けられた請堤に遮られる仕組みです。溢れた水が遊水池や田畑に流れ込み、集落が守られたようです。

名号水請堤

生活の知恵ですね。

ひょんなことで、奈良盆地の歴史を垣間見ることが出来ました。

茄子塚古墳

茄子塚古墳の間近にある請堤。

高所に築かれることの多い古墳にあって、三宅古墳群はどれもみな沖積地に築かれています。

茄子塚古墳

弧を描く茄子塚の周り。

横穴式石室を見学できるわけでもなく、地味な古墳散策です。人々の暮らしや田園風景を楽しみながら歩けるのが、三宅古墳群の醍醐味でしょう。

茄子塚古墳

削平されていても、原型を想像しながら楽しむ。

ちょっとした流儀は必要ですね。三宅町屏風にある茄子塚古墳、是非一度足を運んでみて下さい。

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