馬見丘陵公園の中央エリアにあるナガレ山古墳。
修学旅行生の見学ルートにもよく採用されるナガレ山古墳ですが、私も初めてチューリップの季節に訪れることになりました。今思い起こせば、平城遷都1300年祭の会場で目にしたナガレ山古墳が蘇ります。前方部と後円部のそれぞれの頂上に、四角い縁取りの見られたナガレ山古墳の模型。今回ナガレ山古墳を見学して、あの四角い縁取りが埋葬施設を表していたことを知ることになります。
円筒埴輪や朝顔型埴輪がずらりと並ぶナガレ山古墳。
上部に丸いお皿のようなものが付いているのが朝顔型埴輪です。復元された埴輪の494本が強化プラスチック(FRP)製なんだそうです。しかしながら全てがプラスチック製ではなく、181本は河合町民が作り上げた手作りの埴輪です。
ナガレ山古墳の被葬者は夫婦なのか
ナガレ山古墳は長さ約105mを誇る前方後円墳です。
前方部の頂から、木棺を埋葬した施設が発見されました。箱形木棺を粘土で覆った粘土槨が発見され、その棺内は赤く塗られていました。その中でも特に赤の濃い部分に、被葬者の頭部があったものと推測されます。この前方部の埋葬の形から、女性を葬ったものとの説が有力です。一方の後円部は既に盗掘に遭っており、被葬者は特定できませんでした。前方部に葬られていたであろう女性の被葬者と合わせて、一段高い場所の後円部には男性の被葬者が埋葬されていたのではないかと言われています。つまり、推測の域は出ませんが、ナガレ山古墳の被葬者として夫婦像が浮かび上がります。
国の史跡に指定されるナガレ山古墳。
墳丘の上から、見学を終えられたであろうご夫婦の姿が見られます。
ナガレ山古墳の解説版がありました。
横から古墳の全体像を見ていることになります。
手前の墳丘東側は発掘調査を元に復元整備されていますが、向こうの西側は緑が残されたままになっています。ナガレ山古墳は半分だけが整備されており、その意味ではとても珍しい古墳と言えるのではないでしょうか。
ナガレ山古墳は5世紀前半に築造された古墳です。墳丘東側から、埴輪列で区画された墳丘へ登る通路も発見されています。古代へのロマンに誘われ、いざ古墳の墳丘へと向かいます。
ここがその通路なのでしょうか。
階段に手すりも添えられ、前方後円墳の前方部へと続いています。
ナガレ山古墳から散策路を挟んで東側にあった地形模型。
馬見丘陵公園の古墳群が、位置取りも含め手に取るように分かります。この模型にも、墳丘上に四角い縁取りが見られますね。前方後円墳の前方部が2段築造、後円部が3段築造になっているのが分かります。綺麗に並べられた葺石と埴輪が、この模型からも確認できます。
秋にはダリア園として人気の「彩りの広場」ですが、春にはチューリップが咲き誇ります。
馬見丘陵公園の中央エリアや南エリアに多く見られる古墳ですが、彩りの広場のある北エリアにも、帆立貝式古墳の池上古墳があります。
上池と下池の中間地点に差し掛かった辺りに、ナガレ山古墳を案内する道標が立っていました。
右手へ行けばナガレ山古墳、左手へ行けば倉塚古墳、一本松古墳へと続きます。
規則正しく円筒埴輪が並んでいます。
ナガレ山古墳の向こうに見える円形状の広場は「結びの広場」です。
後円部から今来た道を振り返ります。
右手には前方部が見えています。
一番高い後円部に登ると、そこはちょっとしたビュースポットになっていました。
二上山や葛城山、それに大和三山も見渡せるようです。
同じく後円部からは三輪山も望むことができます。
なだらかに美しい山容を誇る三輪山は、ここナガレ山古墳からもその秀逸な姿をたたえていました。
ツツジの花とナガレ山古墳。
家に帰ってから馬見丘陵公園の古墳を案内するパンフレットに目を通してみました。そこに掲載されていた「埴輪とは」と題する箇所を引用させて頂きます。
一般的に円筒埴輪は、墳頂や墳丘の段部分に連接して立てられています。復元されたナガレ山古墳では、古墳が築かれた当初の埴輪列が再現されています。
言われてみれば、確かに墳丘の段部分に円筒埴輪がずらりと並んでいました。
ナガレ山古墳の円筒埴輪。
現代に蘇る形で見事に復元されているナガレ山古墳は、古代史ファンんにとっても格好の学習材料になっているのではないでしょうか。この目で見て体感できる、ナガレ山古墳は我が国でも数少ない貴重な古墳と言えるでしょう。