明日香村の八釣マキト古墳公園

明日香村の八釣マキト古墳を見学して参りました。

飛鳥資料館庭園で八釣マキト5号墳を見学したことはあったのですが、その他の八釣マキト古墳群は初見です。以前に一度、車で向かったのですが見つけられずにいました。今回はそのことを教訓に、万葉文化館の駐車場に車を停めて徒歩で八釣マキト古墳群を目指します。

八釣マキト1号墳

八釣マキト1号墳。

立派な横穴式石室が残っていました。

桜井市内から明日香村へ向かう際、飛鳥資料館を超えた奥山の辺りで左折し、岡寺や石舞台古墳へと続く坂道を登って行きます。坂道を登り始めると、間もなく左手に「八釣マキト古墳」と書かれた道標が立っています。こんな所に古墳があるんだなと思いつつ、なかなか足を向けることのなかった古墳です。

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多くの副葬品が出土した八釣マキト1号墳

八釣マキト1号墳は6世紀中頃の円墳です。

有力豪族層の墓域に築かれた古墳として、古代史好きの方にはおすすめしたいと思います。

八釣マキト1号墳

八釣マキト1号墳の玄室から羨道部分を望みます。

天井石や盛り土が失われており、全く恐怖感もなく石室の中に入ることができます。青空の元、まじまじと横穴式石室を堪能して参りました。

八釣マキト1号墳の案内板

八釣マキト1号墳の案内板。

八釣マキト1号墳は、6世紀中頃に作られた直径約18mの円墳です。石室は右片袖式の横穴式石室で、全長6.05m、玄室長3.55m、幅1.60m、羨道長2.50m、幅1.10mになります。なお、天井石は石室内に落下していました。

この古墳からは多くの副葬品が出土しています。土器類では、須恵器の短頸壺、子持蓋、高坏、器台などがあります。中でも子持蓋は蓋天井部の小壺部に孔が開けられ、岡田山1号墳(島根県松江市)に次いで2遺跡目の出土例となります。

装身具では耳環3点、銀製空玉10点、滑石製玉5点、そして青色のガラス小玉が142個、黄色の重層ガラスの外層部1点があります。重層ガラスとは二重のガラス玉をつくり、その間に金、銀膜を挟み込んだものです。

武器には大刀の一部や刀子、刀子金具、鉄鏃があります。刀子金具は責金具と鞍尻金具で共に純度90%の金製でした。また馬具には鞍金具や雲珠、辻金具、留金具、責金具などが残っていました。この中でも雲珠は鉄地銀張製で、特に鉢部分まで銀を張ったものは類例がなく、銀の純度も99%と高品質のものです。

実に絢爛豪華な副葬品ですね。

ある程度の権力を持った被葬者が埋葬されていたのでしょう。

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八釣マキト古墳の行き方

前回はアクセスに迷いました。

近くまで来ているのに道案内が無い。古墳探索においてはよくあることです。

そこで今回は、迷うことなく八釣マキト古墳に辿り着けるようにアクセスルートをご案内しておきます。

八釣橋

奥山方面から上がってくると、写真の八釣橋が見えてきます。

この橋を渡って、さらに先へと進みます。

八釣橋

八釣橋。

この先には奈良県立万葉文化館もあるためか、大型観光バスとすれ違いました。

このルートの先には万葉文化館、岡寺、石舞台古墳と観光名所が連なっています。

八釣マキト古墳の道案内

しばらくすると、左手に八釣マキト古墳を案内する道標が立っていました。

ここを左に取って、八釣集落の方へと入って行きます。

八釣マキト古墳のアクセスルート

道の途中に綺麗な芙蓉の花が咲いていました。

8月、9月の暑い時期は芙蓉の季節ですよね。訪れたのはお彼岸前でしたが、まだまだ元気な芙蓉に出迎えられます。

八釣マキト古墳の分岐点

アクセスの際、ここが最重要ポイントになります!

真っ直ぐ、左手、右手と三方向に道が分かれています。いわゆる三叉路ですね。

正解ルートは右手です。

左手が集落方面、真っ直ぐ行くと弘計皇子(をけのみこ)神社へと通じています。前回トライした時は、迷うことなく真っ直ぐのルートを取りました。どこを探しても見つからなかったわけですね(笑) ここの三叉路に道案内があればどうということもないのですが、肝心なポイントでミスを犯してしまったようです。

祠

右手角には、こんな祠が祀られていました。

倉庫に囲まれるようにひっそりと佇みます。

八釣マキト古墳のアクセスルート

右折して緩やかな坂を上り、来た道を振り返ったところ。

少し道が広がり、広いスペースが設けられていますね。

八釣マキト古墳公園の駐車場というわけでもないと思いますが、ここに一時駐車しても別に問題はないものと思われます。緊急車両用のスペースなら、そうと分かる表示があるはずです。今回私は徒歩でしたので、そのまま上手へと歩いて行きます。

八釣集会所

八釣集会所。

緩やかな坂道を上って来ると、左手に八釣集落の集会所がありました。このすぐ上手に八釣マキト古墳公園があります。

道路と隔てるように植え込みがあり、その左手に八釣マキト古墳公園が設けられていました。

八釣マキト古墳公園

復原 八釣マキト古墳公園

〒この古墳は、平成14年用寄附金付お年玉付郵便葉書に付加された寄附金で整備したものです。

入口付近の生垣の隙間から、看板が顔を覗かせていました。

実際に行ってみれば分かりますが、公園にしてはその敷地面積はとても小さいものです。すぐ畑地に隣接しており、作業中の農家の方の声が聞こえてきます。

八釣マキト4号墳

改装墓と考えられる八釣マキト4号墳。

古墳公園の入口を入ってすぐ左手に横たわっていました。

うん?これが古墳なの?と疑ってしまうほどの小さい古墳です。

八釣マキト4号墳の案内板

八釣マキト4号墳の解説パネル。

八釣マキト4号墳は尾根の鞍部に位置していました。墳丘の盛土は確認できず、石室は地山を掘り込んで構築してありました。おそらく簡単な盛土が施されていたものと考えられます。

石室は竪穴系の小石室で、その規模は長辺77cmで短辺55cmです。北壁では45cmと25cmの2石を二段並べるのに対して、南壁は43cmの偏平な石材一つで構成されています。西壁は本来3石で構成しますが、2石だけ遺存していました。また、東壁も3石で構成しますが、一部二段となっています。

天井についてはすでになくなっており、本来は石で蓋をしていたと推定されます。床面には敷石など施していませんが、中央北寄りと南寄りに15~30cmの偏平な石を並べてあることから、棺台として使用したものと推定されます。

石室内から出土した土器は須恵器杯身2点のみです。なおこの4号墳は、石室の規模や形態からみて改装墓であると考えられます。

4号墳から右手に目をやると、1号墳らしき石室が露天にさらされていました。

やっと目的の古墳らしい姿を視界に捉えます。

八釣マキト1号墳の注意書き

八釣マキト1号墳の手前まで足を運びます。

「古墳のうえには登らないで下さい」の注意書きですね。上に登ることは禁じられていますが、剥き出しになった石室の中は入ることが出来ます。大空を仰ぐ横穴式石室ですから、残念ながら探検気分を味わうことはできません。でもその分、石室見学の初心者にはおすすめとなっています。

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片袖式横穴式石室にイン!

いよいよ横穴式石室の中へと入ります。

整備が施されているので、いつものように開口部で躊躇することがありません。奥まで見通せる石室のため、わざわざ中に入らなくても全体像はつかめます。でも、やはり細部を確認してみたくなりますよね。

八釣マキト1号墳の奥壁

羨道を通って玄室へと入ります。

大小様々な石が使われていますね。

八釣マキト1号墳の石材

6世紀中頃の円墳とされます。

移築整備されているとはいえ、この巧みな石組みは当時のまま残されているものと思われます。

蛇の抜け殻

おっ!

蛇の抜け殻を発見致しました(笑)

開放的な八釣マキト1号墳ですが、凹凸のある石室内は小動物の棲家にもなっているのでしょうか。

八釣マキト古墳群の地図

八釣マキト古墳群の地図

現在地の古墳公園から東に八釣マキト古墳群が連なります。公園から近い順に5号墳、1号墳、3号墳、4号墳、2号墳が並んでいます。北の方角には八釣の集落が確認できますね。

築造年代はそれぞれ5号墳(6世紀後半)、1号墳(6世紀中頃)、3号墳(7世紀初頭)、4号墳(7世紀前半)、2号墳(6世紀中頃~後半)とされます。八釣マキト古墳公園には、この中の1号墳と4号墳が移築保存されています。

八釣マキト1号墳の敷石

羨道から玄室へと入る場所に、敷石のようなものがありました。

八釣マキト1号墳は右片袖式の横穴式石室です。この写真からも分かるように、奥壁へ向かって左側が少し広くなっています。片袖式の横穴式石室は今までにも何度か見てきましたが、玄室から開口部に振り返り、段差のある側の方向を指して言うようです。この場合、右側に段差があるから ”右片袖式” ということになります。

八釣マキト1、3号墳出土装身具

八釣マキト1、3号墳出土装身具。

解説板の脇に、実際に出土した装身具の写真が案内されていました。

八釣マキト1号墳玄室の小石

玄室奥壁の手前にあった小石。

何か意味があるのでしょうか、それとも偶然ここに紛れ込んでいるだけなのでしょうか?黒色のこの小石、何だか気になりますね。玄室の中央奥、場所が場所だけに意図的なものが感じられます。

桜井市の越塚古墳を見学した際、玄室の中に石棺の残存があったのを思い出します。石棺の残存だとすれば、古墳の案内にも出ているはずですよね。あるいは落下したという天井石の一部か?

八釣マキト1号墳出土馬具

八釣マキト1号墳出土馬具。

馬具も見つかっているようです。八釣マキト1号墳の被葬者は豪族だったのでしょうか。

八釣マキト古墳の近くには、藤原鎌足産湯の井戸や大伴夫人の墓などがあります。そのことからも中臣氏関連の影が見え隠れしてきます。

片袖式横穴式石室

右片袖式の横穴式石室。

羨道から玄室の中へ入る際、片側にだけ広がりが設けられていますね。片袖式タイプであることがよく分かる写真です。

八釣・東山古墳群

八釣・東山古墳群の解説パネル。

八釣・東山古墳群は、明日香村大字八釣・東山地内にある古墳群です。平成11年にこの地域で農業基盤整備事業が計画され、その事前調査として丘陵上の発掘を行ったところ、新たに7基の古墳が発見されました。

この中で、石室の形態や築造時期が判明しているのはマキト支群にある5基です。これらは、小型の横穴式石室のマキト3号墳、小石室でおそらく改装墓であろうと考えられるマキト4号墳からなり、6世紀中頃から7世紀前半にかけて、尾根上に次々と築かれていたことが判明しました。

この古墳群は、墳丘の規模や多くの副葬品を出土すること、さらに継続的に尾根上に築かれていることから、当地を治めていた有力豪族層の墓域と考えられます。

今回、古墳の様子を後世に残すために、マキト1号墳及び4号墳の石室を移築して復元整備を行いました。

八釣マキト1号墳の墳丘

天井石は石室内に落下していたと言います。

その天井石やいずこへ?

今もどこかで保存されているのでしょうか。

注意書きにもありましたが、くれぐれも古墳の上へは登らないようにしましょう。

<明日香村の古墳案内>

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