平成7年(1995)に発掘調査された中之庄遺跡。
阿騎野・人麻呂公園は、その中之庄遺跡を保存するために整備された公園です。
柿本人麻呂像。
中山正實(まさみ)画伯の壁画『阿騎野の朝』を元に制作されています。
ここから東方の高見山方面にかぎろひを見ることができます。
近くの「かぎろひの丘万葉公園」では、毎年かぎろひを観る会が催されています。陽炎(かぎろひ)とは、ちらちら光るものを意味し、明け方のほのかな光・曙光(しょこう)を表しています。
復元された竪穴式住居や掘立柱建物を見学
阿騎野・人麻呂公園は、古代に薬狩り(くすりがり)の行われた場所です。
持統6年(692)のとある冬の日、軽皇子(後の文武天皇)のお供でこの地を訪れた柿本人麻呂。万葉歌の傑作として伝わる ”かぎろひ” を謳った場所でもあります。
ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかえりみすれば月かたぶきぬ
あまりにも有名な歌ですが、その万葉歌碑も公園内に建立されていました。
向こうに見えている建物は大宇陀体育館ですね。
薬狩りと言っても、今の時代の人にはピンとこないものがあります。
文字通り薬草を摘んだり、鹿の袋角を採ったりして、それらを薬用とした行事が「薬狩り」です。今も宇陀市内は薬草と縁の深い土地柄です。古代にこの場所で薬狩りが行われていなければ、人麻呂の名歌も生まれなかったのかもしれませんね。
宇陀市で薬狩りが行われた後、高取町の羽内でも華やかに催されました。大型建物跡が出土した羽内遺跡は、推古天皇の薬猟行宮(くすりがりあんぐう)とされます。
復元された竪穴式住居。
弥生時代、飛鳥時代、中近世の三時代にわたる遺構が発見された中之庄遺跡。
竪穴式住居の入口ですね。
残念ながら中には入れないようです。
「歌聖」と呼ばれた柿本人麻呂。
人麻呂ゆかりの地は奈良県内にも多数存在しています。
ぱっと思い出すだけでも、葛城市の柿本神社、柿本氏の氏寺である柿本寺跡、人麻呂を祀る橿原市の人麿神社等々、枚挙にいとまがありません。それだけ影響力のある人物なのでしょう。