高取町の羽内(ほうち)地区。
奈良県民の私でも未踏の地でしたが、今回初めて訪れてみました。目的地は薬狩りの話が伝わる式内社・波多甕井神社です。羽内集落の手前に、羽内遺跡の案内板が立っていました。
羽内遺跡の案内板。
背後には田んぼが広がります。どうやら集落の上手まで登って行くと、波多甕井神社があるようです。
鹿の若角や薬草!古代に行われた薬猟(くすりがり)とは
飛鳥方面から国道169号線を南へ進みます。
壺阪山駅を通過し、清水谷の手前に「うずら町」という交差点があります。そこを右折し、市尾方面へ向かいます。介護老人保健施設の「萩の里あすか」を左手に見ながら進むと、やがて「羽内」を示す道案内を目にしました。道案内のところを左折し、集落の中へと入って行きます。
羽内遺跡。
ただただ、田んぼと畦道の広がるエリアでした。左へ回り込む車道ですが、この先は行き止まりのようです。畑仕事中の住民にお聞きすると、波多甕井神社の手前を右へ降りて行く道も行き止まりになっているようです。波多甕井神社は丘陵上に鎮座しており、西へ降りて行くと藤井集落です。
波多甕井神社。
読み方の難しい神社で、「はたみかい」と読みます。
波多甕井神社の社叢。
平安時代の文献に、薬草の自生地であったことが記されています。
鳥居の建つ入口は、左手の道の先です。右手へ下って行く道が気になったのですが、住民のお話では行き止まりのようです。その先は、吸い込まれるような暗いタイムポケットでした。
羽内は古代、薬猟の行われた場所です。
そもそも薬猟とは、陰暦5月5日に催された宮廷行事のことを指します。鹿の若角や薬草を摘んだようです。宇陀市の菟田野、高取町の羽内、さらには滋賀県の蒲生野(がもうの)で催された記録が残ります。
羽内遺跡の解説文。
大型建物跡は、豪族の居館にしては規模が大きすぎるし、紀路(古代の幹線道)から離れ立地条件も良くないし、土器などの遺物も少ないことも「数日だけしか使わなかった仮の宮だから生活臭がない」と思われる。
また周辺の地形が薬草の自生に適した高低差のある地形や、近くにある波多甕井神社(はたみかいじんじゃ)は平安時代初期の文献大同類聚方(だいどうるいじゅほう)に薬草の自生地として紹介されているなどのことから、薬猟行宮(くすりがりあんぐう)説が有力視されている。 たかとり観光ボランティアガイドの会
羽内の集落へ向かいます。
獣除けの電気柵が巡っていました。
この辺りで大型建物跡が出土したんですね。推古天皇がお出ましの際、建てられた御殿だったのでしょう。常時住むわけではなく、いわゆる行在所(あんざいしょ)というわけですね。
集落の手前。
少し道が膨らんでいます。
波多甕井神社に駐車場はありません。集落内の道も狭く、羽内遺跡案内板の手前に路駐するのがおすすめです。集落を抜け、波多甕井神社の手前まで車で行くことも可能ですが、あまりおすすめはしません。
推古天皇の薬猟行宮(くすりがりあんぐう)。
観光客はおろか、住民の数もそう多くない場所に天皇がお出ましになっていた。そのことを思うと、時代の隔たりを感じずにはいられません。