高倉下命を祀る椋下神社

宇陀市榛原区福地に鎮座する椋下(むくもと)神社。

神武天皇に霊剣をもたらしたという高倉下(たかくらじ)が御祭神です。国道沿いのスーパーから少し入った所にあり、榛原中学校の手前に位置しています。奥ノ芝2号墳を見学するために福地エリアに入ったのですが、思わぬお社に出くわしました。

椋下神社鳥居

椋下神社の鳥居。

境内には金刀比羅神社、愛宕神社、庚神社などの摂社もありました。

鳥居の前は伊勢街道で、往時の賑わいが偲ばれます。椋下神社は元来この地にあったわけではなく、南東1㎞方向の福地岳の山中に鎮座していたと伝えられます。

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布都御魂を携えて神武天皇の元へ

高倉下(たかくらじ)を語る上において、霊剣の布都御魂(ふつのみたま)は外せません。

フツノミタマと言うと私たちは天理市の石上神宮を思い出すわけですが、椋下神社のようにそのゆかりの地も奈良県内には幾つか存在します。神武東征の場面に登場する高倉下ですが、”タカクラジ” は人であって神ではありません。

椋下神社

本殿へと続く石段。

椋下神社の本殿は、拝殿から奥の高所に祀られていました。

椋下神社

伊勢街道沿いの椋下神社。

読み方は「むくもと」ですが、椋下(くらげ)と読むこともあるようです。

神武東征がいよいよ最終局面を迎え、熊野からヤマトの地に足を踏み入れようとしたところ、神の毒気にあたってしまいます。

そのタイミングで登場するのが高倉下です。

高倉下の夢枕に、天照大神と武甕雷神(たけみかづちのかみ)が立ちます。

アマテラスは下界の様子を心配し、タケミカヅチの所持する霊験・フツノミタマを高倉下に下賜することに決めます。タケミカヅチは高倉下に以下のように命じたと伝えられます。

「私の剣は名を韴霊(ふつのみたま)という。今まさに、お前の蔵に置いておく。それを取って、天孫に献上しなさい」

椋下神社の由緒

延喜式内社「椋下神社」の由緒。

夢から覚めた高倉下は、夢の教えのままに蔵を開いてみました。するとどうでしょう、剣が床に突き刺さっているではありませんか!さっそく剣を携えて神武天皇の元を訪れると、皆嘘のように精気を取り戻したと伝わります。

福地山

福地山(高倉山)と案内されています。

かつて福地岳のことを高倉山と言ったそうですが、由緒にも記されていますね。さらに「中古に桜嶋寺」と続きますが、これは中世に存在していた神宮寺の桜島寺を指します。江戸時代後期には既に廃寺になっているようです。

椋下神社拝殿

拝舎に下がる鈴緒。

夢のお告げに従った高倉下。彼の行動が無ければ、今の橿原神宮も存在しなかったということになるでしょうか。

椋下神社本殿

木立の中に包まれる本殿。

その下の石垣の傾斜はかなり急です。

椋下神社境内

おや?

拝舎の右横に四角く囲われた空間がありました。

何かの結界が張られているようですね。

神武東征に功績のあった霊剣ですが、同じように神武天皇を助けた八咫烏も有名です。宇陀市榛原区高塚には八咫烏神社が鎮まります。道案内をしたという八咫烏ですが、日本サッカー界の象徴でもあります。

神話の世界が息づく宇陀市内。

高倉下(たかくらじ)の名前も、これを機に覚えておきたいものですね。