宇陀市榛原区萩原に鎮座する墨坂神社。
崇神天皇が大和の流行病を鎮めるため、墨坂の神と逢坂の神を祀ったと伝えられます。
古事記や日本書紀にも記述のある墨坂神社。
記紀各々の崇神天皇の条には、大物主神や神人が天皇の夢の中に現れ、墨坂の神に赤色の盾矛、大坂の神には黒色の盾矛をもって祀れとのお告げがあったと書かれています。その教えに従ったところ、悪病が止み平穏が訪れたそうです。
崇神天皇勅願の墨坂神社!西峠の記憶
墨坂神社は神武伝承にまつわる聖地の一つでもあります。
桜井から宇陀に至る現在の西峠は、神武天皇が東征の際に大和に踏み入った場所として知られます。西峠(墨坂)には赤くおこした炭が置かれ、敵の侵入を待ち受けたと伝わります。現在は榛原駅から程近い場所にある墨坂神社ですが、元の鎮座地は西峠付近の天の森だったようです。
崇神天皇勅願の古社。
神武天皇が初代天皇なら、崇神天皇は第十代天皇に当たります。神武天皇と崇神天皇の間の八名の天皇はその実在が疑問視されており、欠史八代と言われていることは周知の事実です。
独特な鳥居の形は、両部鳥居と呼ばれる形式です。
両サイドの広がりにその特徴が見られます。
三輪さんの三ツ鳥居もそうですが、こういう興味深い鳥居を拝見すると、古代から連綿と流れてくる不思議な空気を感じます。
墨坂神社の神紋である右離れ立ち葵。
フタバアオイが図案化されていますが、確かに右側の葉だけが少し離されたデザインになっています。
近鉄榛原駅から墨坂神社へ向かうと、程なく宇陀川が見えて参ります。
宇陀川に架かる朱色の橋の向こう岸に社殿が見えますね。
車でアクセスする場合は、国道369号線を仏隆寺へ行く手前の右側にあります。榛原駅からすぐ近くに鎮座していますので、迷うことなく辿り着けるのではないでしょうか。
墨坂神社の行事としては、毎年11月3日に催される渡御行列が有名です。
元は西峠付近にあった墨坂神社ですが、明治までは六所権現とも天野宮とも称していました。旧跡に御旅所があり、例祭日にはお旅所から本社へと、時代行列や太鼓台が列を成して練り歩きます。
多くの見物客が訪れ、賑わいを見せる墨坂神社。
墨坂神社の本殿は奈良の春日大社の本殿を移築したものだそうです。ちょっと意外な事実ですね。
墨坂神社から宇太水分神社への散策を収録した動画を最後にご案内します。
どうぞご参照下さい。