天の岩戸神話の鏡。
古事記に語り継がれる八咫鏡を鋳造した神様が、三宅町石見に祀られています。
近鉄石見駅から東へ300mほどの場所に、石見の氏神・石見鏡作神社が鎮座します。神社の周辺は湿地帯で、今も環濠集落の名残が感じられます。
石見鏡作神社。
石鳥居の向こうに拝殿、その奥には本殿が控えます。向かって右側の建物は公民館の裏手に当たります。周りには環濠が巡り、神社の入口が分かりづらくなっていました。
石見橋を経由して迷路の中の神社へアクセス
石見鏡作神社は寺川の西側にあります。
国道24号線から西へ、寺川に架かる石見橋を渡って石見鏡作神社を目指します。
道行く人に神社の場所を尋ねるのですが、皆さん同様に田原本町の八尾にある鏡作神社と勘違いなさいます。ご近所にお住いの方々にもあまり知られていない神社のようです。
石見鏡作神社の本殿。
三柱の神様が祀られているのでしょうか。
苔生した屋根に趣を感じます。
寺川に架かる石見橋。
この橋を渡って西へ進めば、程なく左手に石見鏡作神社の社叢が見えてきます。神社を通り過ぎ、さらに道なりに進むと近鉄石見駅に辿り着きます。
ぐるりと回り込んで、神社の入口に到着。
環濠集落の案内板や公民館、さらには白髭(しらひげ)神社の前を経由して目的地に辿り着きました。
神社の前に何やら案内板がありました。
「迷路」の案内板。
集落内の通路は「袋小路」L型・T型・?型等の箇所が多くて、直進するには極めて不便であるが、昔は外敵との交戦の難を逃れるのに好都合であった。
さっそく辺りを見回してみます。
随分入り組んだ細い道が続きますね。外敵の侵入を防ぐ目的で作られた道のようです。橿原市にある今井町の町並みを思い出します。
立派な造りの家も残されていました。
すぐに袋小路へと入っていく感じですね。
石見鏡作神社の案内板。
平安中期に著された延喜式にも当神社の名が見られ大字石見の氏神として古き由緒ある神社である。
鏡作神社の由来は、古事記にある天の岩戸神話に天照大神が天の岩戸にこもられ困った神々が相談し、天の香久山の榊の中枝に吊り下げた八咫鏡云々とあるが、その鏡を鋳造したのがこの神社の祭神石凝姥命(いしごりどめのみこと)である。よって、鏡作神社と呼ばれるようになった。そして、鏡作工人の祖人とされている。鏡作神社がこの地にあるのは、日本神話の歴史上大切な誇りとすべき神社である。 三宅町教育委員会
ここ石見鏡作神社には、かつての居住者「鏡作部」の氏神が祀られています。
境内社の徳松大神
境内を少し歩いてみることにしましょう。
拝殿の右手奥へ入って行くと、狛狐の置かれたお稲荷さんが祀られていました。
名前を確認してみると、「徳松大神」と書かれています。
石見鏡作神社の拝殿。
この右手奥に稲荷社らしき祠がありました。
徳松大神の朱色鳥居。
同じく「鏡作」を冠する宮古の鏡作伊多神社にも稲荷社が祀られていたのを思い出します。
そう言えば、石見鏡作神社に隣接する白髭神社も、かつては鏡作神社の境内社であったと伝わります。白髭神社には道祖神のサルタヒコが祀られているようですが、徳松大神は宇迦の御魂でしょうか。
徳松大神の鈴の緒。
あまり聞き慣れない名前ですが、狐の姿が全てを物語っているような気がします。
徳松大神の左後方に遥拝所が設けられていました。
果たしてこの遥拝所はどこに向かっているのでしょうか。
拝殿を別角度から。
三宅町にも数多くの神社が祀られています。
おかげ踊り絵馬で知られる伴堂(ともんど)杵築神社、”雷の落ちない神社” として民話に語り継がれる三十八柱神社、さらには雨乞いの神様・多度神社なども興味深いですね。
石見鏡作神社に参拝後、石見新池畔のおうてくれ地蔵に手を合わせて帰路に着きました。