太子道沿いの屏風杵築神社と万葉歌碑の間ぐらいにヨノミの木があります。
三宅町の観光パンフレットをめくりながら、ヨノミの木って何だろう?と不思議に思いながら、その場所まで足を運んでみることに致しました。
太子道沿いのヨノミの木。
ヨノミの木とは、要するに榎(えのき)のことを意味しています。
道祖神か結界か?榎の意味を探る
昔から榎(えのき)は町を区切る境目に立っていたり、縁切り・縁結びにご利益のある御神木とされたりしました。
その土地の野神を祀る木でもあり、様々な意味で人々の生活と密接につながっていました。
太子道のヨノミの木も、三宅町独特のL字型に曲がった道づたいに残されています。
道祖神のような役割も果たしていたのでしょうか。くねくねと曲がりくねった山の辺の道のハイキングの途上にも、道案内の猿田彦(サルタヒコ)が祀られていますが、ヨノミの木にも同じような役目があるのかもしれません。
ヨノミの木から少し南へ行くと、太子道の案内板がありました。
ちょうど伴堂杵築神社の前辺りですね。
榎の大木といえば、今井町の手前に架かる蘇武橋のことを思い出します。
聖徳太子が往来した斑鳩から飛鳥までの道のりの途中に、堂々たる榎の巨樹が鎮まります。蘇武橋の榎も、今井町への入口に位置していることを思えば、一種の結界を表していたのかもしれません。
昔からの慣習で、家の北西の角に ”悪霊” の侵入を防ぐためのヨノミの木(榎)を植えたという話が伝わります。
家の北西隅に立つ榎を角榎と言うようですが、なぜ北西の方角なのでしょうか。いわゆる表鬼門は北東方向で、裏鬼門は南西方向ですよね。家相からいって、北西の方角には蔵を建てると良いとよく言います。蓄財に適した方角が北西だとばかり思っていましたが、ヨノミの木にも金銭運向上の霊的パワーが宿るのでしょうか。
ヨノミの木を北上し、寺川に架かる橋を渡った場所に式内糸井神社が鎮座します。
拝殿内に掲げられた県指定文化財の「結崎のおかげ踊り絵馬」や「結崎の太鼓踊り絵馬」はよく知られるところです。太子道周辺の神社仏閣の中では、最も有名なお社ではないでしょうか。
能楽観世流発祥の地に面塚が建ちます。
昔は寺川沿いにたくさんの榎が生育していたと伝えられます。
昇り龍で知られる今里の蛇巻きもその中の一つと言えるのではないでしょうか。今も太子道沿いに往時の面影を残すヨノミの木を見ながら、在りし日の聖徳太子も、通勤の途中で榎を眺めていたのだろうかとふと頭をよぎりました。