田原本町大字宮古字穂屋に鎮まる鏡作伊多(かがみつくりいた)神社。
鏡の神様を祀る鏡作神社との関連が想像されますが、案の定八尾に鎮座する鏡作神社の末社に当たるようです。八尾の鏡作神社にも祀られている石凝姥命(いしこりどめのみこと)を御祭神とする延喜式内社で、古来より穂屋明神と称されていました。
鏡作伊多神社の本殿。
一間社流造の本殿には、千木や勝男木も見られます。
御祭神の石凝姥命は、かつて天照大神の霊に則って八咫鏡を造った神とされます。
この辺りには鏡作神社と称する神社が数多く見られ、三宅町石見には石見鏡作神社、田原本町保津にも同名の鏡作伊多神社、さらに田原本町小阪には鏡作麻氣(かがみつくりまけ)神社が鎮座しています。
宮古池畔に佇む延喜式内社
鏡作伊多神社のある場所は宮古池のすぐ近くです。
道路を挟んで宮古池の南西隅に位置しています。すぐ南方には保津環濠集落が広がり、有名な宮古薬師堂へも徒歩圏内の立地です。宮古薬師堂には平安初期の重要文化財・薬師如来坐像が安置され、仏像好きの集まる場所として知られます。
鏡作伊多神社の黄葉。
12月も中旬に差し掛かり、ほとんどの紅葉が葉を落としていましたが、静寂に包まれた境内にはわずかな黄葉が残っていました。ポツンと残る紅葉に出会い、時間軸での隔離も感じられた瞬間です。
「神々を訪ねて」と題する解説パネル。
延喜式内社 旧城下郡 宮古鏡作伊多神社
祭神 石凝姥命 境内社 布屋(富屋)神社
宮古・鏡作伊多神社は大字宮古集落の南端、宮古池の西に鎮座し、神社南側、道路・水路を挟んで約150m南に保津・鏡作伊多神社がある。宮古と保津の間の道路・水路を境に宮古は城下郡、保津は十市郡で、この道路・水路は整然とした大和国条里に沿わず、西は大字富本から南南東に太子道・下ツ道を横切り、村屋座彌富都比売神社の中ツ道まで延びる仮称阪手道(磯城下横道)で、太子道・下ツ道の交わる場所では、奈良時代以降の交易の場所である巷(ちまた)又は、役所に伴う遺構等が見つかっている重要な場所に鏡作伊多神社が存在する。現在の本殿・拝殿とも平成9年の台風の被害により、新しく建て替えられ、本殿は一間社流造、千木、勝男木。
本殿の北側に、布(富)屋社があり、覆屋の中に板葺本殿、前に「□屋大明神」の石燈籠があり、この布(富)屋社が本来の鏡作伊多神社とも伝えられている。尚、現在、浄蓮寺に安置されている大日如来坐像は元布(富)屋社又は鏡作伊多神社の本地佛である。境内には、元禄3年(1690)、文化2年(1805)の石燈籠、文化6年(1809)の狛犬もある。
古来より重要な場所に鎮座していることが案内されています。
本殿や拝殿が台風被害に遭っていたのですね、それは知りませんでした。江戸時代の石燈籠や狛犬も見所になっているようです。
宮古池の南西隅に立つ道標。
二ヵ所の鏡作伊多神社が案内されていますね。ちょっとややこしいのですが、宮古と保津にそれぞれ同じ名前の鏡作伊多神社が鎮座しています。今回目指すのは、宮古の方の鏡作伊多神社です。池に巡らされたフェンスに沿って歩いて行くと、程なく左手に鏡作伊多神社の鳥居が見えて参りました。
鏡作伊多神社の石鳥居。
境内は少し変わった配置になっているようですね。鳥居の向こうに見えているのが拝殿ですが、こちらから見れば横向きです。正面を向いていないのが何とも不思議です。
狛犬が出迎えてくれました。
同じく田原本町の延喜式内社に列せられる村屋神社に比べれば、随分小さな神社です。この地で鏡の鋳造に従事したという鏡作部。物部氏の一族とされますが、その氏神が鏡作伊多神社には祀られています。
塀を隔てて本殿左横に祀られる境内社。
境内社の社殿も台風の後に造営されたためか、まだ真新しいですね。近づいてみると、神社の名前が記されていました。
水乃神社と住吉神社。
社殿には榊が供えられ、目には見えぬ結界が張られていました。
拝殿の正面に回り込みます。
石見鏡作神社と保津の鏡作伊多神社を底辺とする直角三角形の頂点に、孝霊天皇黒田廬戸宮跡が位置しているようです。この手の話はよくあるので、意図されたものなのかどうかは定かではありませんが、田原本町の七不思議として言い伝えていくのも面白そうですね。
田原本町観光協会の解説パネルは続きます。
今は浄蓮寺に安置される鏡作伊多神社の本地仏も写真付きで案内されていました。
本地仏である浄蓮寺大日如来坐像ですが、公開されることもあるのでしょうか。その際には是非拝観してみたいものです。
延喜式内社 平安時代の延長5年(927)に纏められた「延喜式」の巻九・十に記載された全国2861社・3132座の神社「管社」の一覧表で国・郡・祭神・社格が記載されている。田原本町には、55の神社があり、その内16社、29%が延喜式内社で、さすがに大和朝廷発祥の国、郡だけある。この宮古・鏡作神社も16社の内の1社である。
田原本町内の全神社の内、実に3割弱が延喜式内社に当たるとのこと。さすがに「歴史のオーラが見える町」と言われるだけのことはありますね。
拝殿右横には稲荷社が祀られていました。
このお稲荷さんは鏡作伊多神社の末社の位置付けです。
稲荷社の紋が見られます。
五穀豊穣を願うお稲荷さんですが、鏡作伊多神社では毎年6月になると、早苗振祭(さなぶりさい)という祭事が執り行われています。
境内には鉄棒も設置されていました。
近所の子供たちの遊び場にもなっているようですね。
普段から神社に人が集うことは意義深く、遊具と神社が混然一体となっている風景は理想的でもあります。次回の散策では、保津の鏡作伊多神社も訪れてみようと思います。