近鉄岩見駅近くに石見新池という溜池があります。
石見集落の外れにある池で、周辺は公園として整備されています。そんな石見新池の東の畔に地蔵堂が建っています。お堂の中には二体の石像が祀られていました。
石見のおうてくれ地蔵。
赤い涎掛けをまとう左側の仏像に注目です。三宅町の観光ガイドマップにも掲載されている「おうてくれ地蔵さん」ですね。単体で祀られているのかと思いきや、向かって右側には蓮華座に坐す如来像が安置されていました。
寺川に架かる今里橋から「おうてくれ地蔵」へアクセス
おうてくれ地蔵に手を合わせるために訪れた三宅町。
普段はあまり足を延ばす場所ではありませんが、石見鏡作神社に詣でたついでに行ってみることにしました。
右手には錫杖をお持ちになられています。
この地蔵堂は住民の寄付金によって、昭和60年に建てられたようです。昔話にも登場するお地蔵様にしては、随分真新しい印象です。それもそのはず、現在のおうてくれ地蔵は平成23年に古像を模して造像されました。
地蔵堂の周りを彩る花々。
近隣住民によって手厚く祀られている様子がうかがえます。
おうてくれ地蔵への行き方ですが、近鉄岩見駅からだと南東へ約700mの距離になります。
今回、私は唐古鍵遺跡前の道の駅レスティ唐古・鍵の駐車場に車を停め、徒歩で向かいました。国道24号線の西を通る下ツ道を南下し、ほどなくして西へ折れると今里の蛇巻きで知られる杵築神社へ出ます。右手に神社を見ながらさらに西へ進むと、寺川に架かる今里橋が見えてきます。
寺川に架かる今里橋。
寺川を水運として栄えた今里の浜のすぐ傍に当たります。
今里橋の上から今来た道を振り返ります。
左前方に見えている杜が今里杵築神社です。
橋を渡り切ります。
この道を下って、集落の間を通り抜けると石見新池へと出ます。
ありました、ありました!
池の手前に地蔵堂が建っていました。
石見新池水辺公園。
一周およそ500mの公園です。犬の散歩は禁止されているようですね。
おうてくれ地蔵を祀る地蔵堂は、石見新池の東側に建ちます。
民話に語り継がれるお地蔵様との出会いに胸が高鳴ります!
お香水を注ぐ地蔵祭
石見のおうてくれ地蔵を仰ぐ近隣住民の方々。
毎年7月23日には、地蔵法要も営まれているようです。大淀町の正覚寺からご住職を迎え、和やかに地蔵祭が催されます。
地蔵法要の日には、お堂の前にテントが張られます。
僧侶の読経が終わると、子ども達一人ひとりの頭にお香水(こうずい)が注がれます。いわゆる灌頂(かんじょう)の儀式ですね。有難い智恵の水を授かった子供たちは、それぞれお菓子のお下がりを頂いて帰路に着きます。
おうてくれ地蔵さんの解説がありました。
昔、この道の両側に竹藪がうっそうと茂り、昼でも薄暗い所でした。
この道のかたわらにお地蔵さんの祠がありました。
夜、このお地蔵さんの前を通ると「おうてくれ」「おうてくれ」と聞こえてきて、肩が重くなり、お地蔵さんが背中に乗っかかってこられると、言い伝えられています。
それでいつの頃からか、おうてくれ地蔵さんと呼ばれるようになりました。
※「おんぶして」とせがむ、子どもの様な可愛い親しさと、夜道を通るのがこわいと思わせるお地蔵さんですね。
夜遊びをする若者を戒めたのでしょうか。
若者の背中に乗っかったお地蔵さんは、「日が暮れるまでに家に帰るか」「親に心配かけないか」と問い質したと言い伝えられます。
昔話ふうのイラストですね。
石見のおうてくれ地蔵は、よく知られた題材なのかもしれません。
三宅町の観光地図を見てみると、おうてくれ地蔵の南方には石見(玉子)遺跡という遺跡があるようです。
5世紀後半から6世紀にかけての祭祀遺跡で、埴輪や鳥の形をした木製品が出土しています。
非常にきれいな地蔵石仏で、歴史を感じさせるには物足りないものがあります。
劣化が激しかったのでしょうか、既に民話に語られるおうてくれ地蔵ではありせんが、後世に語り継がれることを願ってやみません。
石見新池の反対側~アガパンサスの花ですね。
石見のおうてくれ地蔵は、今春整備された唐古鍵遺跡史跡公園からも徒歩圏内です。
奈良盆地のほぼ中央に位置する田原本町や三宅町ですが、まだまだ穴場の観光スポットに出会える予感がしますね。