天王塚古墳!三宅町但馬

三宅町但馬にある天王塚古墳を訪れました。

三宅町には削平古墳が多く、見応えには欠ける部分があります。しかしながら、周辺は田畑が広がり古墳ウォークにはおすすめです。奈良盆地のほぼ中央に位置する三宅の原はアップダウンの無い平地です。よく晴れた日には、ウォーキング向きエリアとなっています。

天王塚古墳

三宅町の天王塚古墳。

以前は墳丘上に櫟(くぬぎ)の木が生えていたようです。今は伐採され、切り株だけが残っていました。どこかこう、畝傍山の山容に似ていますね(笑)

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径16mの円墳!近鉄西田原本線の南にある天王塚

天王塚古墳は近鉄沿線の南に位置しています。

西田原本駅から新王寺駅まで伸びる近鉄西田原本線。西田原本~黒田~但馬と続きますが、天王塚古墳は近鉄但馬駅の南東に当たります。飛鳥川の東で、但馬のはま船着場跡も徒歩5分余りの距離でした。

天王塚古墳

天王塚古墳のすぐ近くに民家が迫ります。

田植えの季節を迎え、水が引かれていました。線路の北側には、前方後円墳の芝ぞえ古墳があります。ご興味をお持ちの方は、天王塚古墳とセットで見学しておきましょう。

天王塚古墳の案内板

天王塚古墳の解説。

少し離れた場所に案内板がありました。

南西約100m先にある円墳で、大字但馬小字天王にあるため「天王塚」と呼ばれる。当時の豪族の墳墓と考えられる。 三宅町教育委員会

天王塚古墳の伐採木

豪族の墳墓ですか・・・。

手前の伐採木は、ひょっとすると天王塚に生えていた櫟なのかもしれません。

天王塚古墳

本当に見れば見るほど、畝傍山の姿に似ていますね。

飛鳥川を挟んで西側には、歴史を感じさせる但馬杵築神社があります。石造十三重塔や、雨乞いの「多度さん」が見所です。天王塚を訪れたら、是非見ておきたい神社の一つですね。

三宅の原

三宅の原の案内。

万葉集に出て来る三宅ヶ原が、古代天皇の稲作の御料地「屯倉」・「屯田」と考えるなら現在の三宅町及びその近傍が、三宅の原と呼ばれていたと考えられる。 三宅町教育委員会

御料地(ごりょうち)とは、皇室の所有地を意味します。

奈良県内には数多くの国号地名が残ります。三宅町内だけでも、「石見(島根県西部)」「三河(愛知県東部)」「但馬(兵庫県北部)」などがあります。国号地名は奈良盆地の平坦部に集中して見られます。

なぜでしょうか?

大和王権が農地を開墾するため、全国各地から人々を招集したものと思われます。ちょうど今の県人会のように、同郷の者同士が集まって暮らしたのでしょう。

天王塚古墳

現在の兵庫県北部地域に当たる但馬(たじま)。

但馬の人々が、ここ大和に駆り出された歴史があるのかもしれません。

天王塚古墳

垂仁・景行天皇の御代、直轄地として置かれた「倭屯倉(やまとみやけ)」。

倭屯倉の想定地こそが、ここ三宅町とされます。

天王塚古墳

但馬の豪族が大和政権によって呼び出され、低湿地帯の開発に勤しんだ・・・

開墾を主導した人々が埋葬されているのでしょうか。被葬者は不明ですが、謎に満ちた三宅古墳群は大和王権との関係抜きには語れません。

飛鳥川の辰ヶ辻橋

飛鳥川に架かる辰ヶ辻橋。

三宅町周辺は細い道が多く、車での観光には向いていません。今回私は三宅健民運動場の駐車場に車を停め、徒歩であちこち歩き回りました。歩く目線で見る三宅町は、まだまだ魅力に満ち溢れています!

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