極楽寺ヒビキ遺跡の大型掘立柱建物@橿考研ミュージアム

葛城氏の居館遺跡として知られる極楽寺ヒビキ遺跡

古代豪族葛城氏の拠点とされる集落跡ですが、今は埋め戻されておりその様子を伺うことは出来ません。そんな中、ふと訪れた橿原考古学研究所附属博物館のエントランスホールで思わぬ展示物に出会いました。

極楽寺ヒビキ遺跡の大型掘立柱建物復元模型

極楽寺ヒビキ遺跡の大型掘立柱建物復元模型。

見事に復元されていますね。

神戸大学工学部建築史研究室による製作のようです。

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リアルに蘇る葛城氏の高殿

奈良盆地を一望する標高240mの高台に築かれた葛城氏の居館。

天気のいい日には、遥か若草山まで望むことができるようです。そこには塀と濠で囲まれた広大な集落が形成されていました。当時の天皇家にも匹敵する権勢を誇った豪族の痕跡が垣間見えます。

復元模型の解説

復元模型の解説。

御所市極楽寺ヒビキ遺跡では、古墳時代中期中頃(5世紀中頃)の大型掘立柱建物が検出された。両岸に石垣を積んだ堀に囲まれた約2000㎡の区画内の西側で確認されたもので、建物の東側は広場である。柱はすべて腐朽し、その痕跡だけを残すのみだが、5間×5間の建物本体の面積は、220㎡(67坪)に達し、日本列島屈指の規模を誇る。東側と南側には、L字形に曲がる合計12間分の塀(柵)が巡る。縁部は通有の円柱だが、身舎(もや)部は2間×2間の特異な板状柱で、柱痕跡が赤い土に置き換わっていた。近くに、葛城地域最大の前方後円墳である室宮山古墳(墳丘長238m)があり、その後円部墳頂から、直弧文(ちょっこもん)を施した板状柱をもつ大型家形埴輪が出土している。柱間(はしらま)や板状柱の特徴などが共通することから、この家形埴輪をもとに建物の復元模型が製作された。

極楽寺ヒビキ遺跡の大型掘立柱建物復元模型

さすがは橿考研ですね。

様々な学びが用意されています。

山の辺の道に葛城古道・・・奈良盆地を南北に伸びる二つの古道はよく比較の対象になります。

東の山の辺の道に西の葛城古道。それはそのまま、日の出の三輪山に日の入りの二上山を連想させます。飛鳥の亀石にも、葛城方面との伝説が残されています。

極楽寺ヒビキ遺跡の建物や塀は、そのほとんどが焼失しているそうです。

これは葛城氏が雄略天皇の軍勢の攻撃によって滅びたとする日本書紀の所伝を裏付けます。壮大な古代ロマンを掻き立てる葛城氏の居館ですが、そのわずか一部でも見学出来たことに感謝の意を表します。