東大寺転害門をご案内致します。
国宝に指定されている転害門。読み方は”てがいもん”です。
東大寺転害門。
門前の石標には「史跡東大寺旧境内」と刻みます。ちょうど一条通り(佐保路)の東端に位置していました。転害門という名前に興味を抱きます。珍しいネーミングですよね、転害門なんて。
東大寺転害門の真ん前にはバス停があります。
停留所の名前を見てみると、手貝町と書かれていました。手貝、手掻、転害・・・と色々な表記があるようです。
東大寺転害門の名前の由来
転害門の名前の由来も、幾つか語り継がれているようです。
転害門のある場所は大仏殿の西北に位置します。吉祥の位置で、害を転ずる意味から転害門と名付けられた・・・なるほど、納得のいく考え方ですね。
転害門の周辺地図。
東大寺宇佐八幡の神幸道路(一条大路)に於いて、殺生が禁じられたことから転害と呼ばれるようになった・・・この説も説得力があります。
東大寺の手向山八幡宮の手掻会(てがいえ)が、この場所をお旅所としたところから転害門と言うようになった・・・手掻会とは祇園祭のことですね。
祇園祭で笹鉾を出したと云われる「笹鉾町」が近くにあることからも現実味が感じられます。
手掻会(転害会)が祇園祭だとすれば、転害門に見られる盃状穴との関連が気になります。
盃状穴の謎は様々に語られていますが、神仏分離令で消された牛頭天王(スサノオ)に対する厄除祈願の痕跡ではないかとする説があります。山添村の神波多神社にも盃状穴がありますが、神波多神社の主祭神もスサノオノミコトです。
東大寺と宇佐八幡宮の歴史
東大寺と大分県の宇佐八幡神には、実は深い関係があるんです。
大仏鋳造の時、東大寺の守護神として豊前の宇佐八幡神を勧請した歴史が残されています。
奈良からみて西の方角の大分。西方向へ門戸を開いている東大寺転害門。
大仏造営の頃、大仏守護の神様が宇佐八幡から転害門を通って、東大寺の東にある手向山八幡宮へ向かわれたと伝えられます。
15m以上もある注連縄が張られています。
門の向こう側には若草山の美しい緑がうかがえます。
転害門は東大寺創建当初からある立派な門です。
東大寺の歴史を紐解けば、2度の大火に見舞われています。転害門は、その中でも奇跡的に残された遺構です。東大寺の西大門としてその偉容を誇る転害門。
転害門から一条通りを西へ進めば、東大寺の大仏にゆかりのある聖武天皇の陵があります。さらに西へ進んで行くと、不退寺、法華寺と奈良の名刹が続きます。