東大寺の白蛇川

東大寺南大門から中門へと続く参道を歩いていると、東西を横切る川の存在に気付きます。

川の名前を白蛇川(はくだがわ)と言います。

東大寺の白蛇川

東大寺境内の白蛇川。

細い溝のような川が、東から西へと流れています。二月堂参道や鏡池よりも手前に位置しています。白蛇川には餅飯殿(もちいどの)の地名由来にもなったお話が伝わります。

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理源大師の大蛇退治伝説

近鉄奈良駅を降りると、ひがしむき商店街というアーケード街があります。

そこを抜けると、さらに餅飯殿のアーケード街が連なっています。今の餅飯殿町界隈には、かつて冨貴郷(ふきのごう)があり、東大寺や春日大社に蕗(ふき)を納め繁栄していたそうです。

東大寺中門

東大寺中門。

ちょうどその頃、修験道の霊峰・大峰山に人を喰う大蛇が棲み、世は乱れ果て、いよいよ奈良の都にも災いが及ぼうとしていました。弘法大師の生まれ変わりとも評された東大寺の理源上人(りげんしょうにん)に大蛇退治の勅命が下されます。

その時に付き従ったのが冨貴郷の七人衆でした。

理源大師のお供として、箱屋官兵衛をはじめとする強者七人が名乗りを上げます。

東大寺鏡池

石灯籠から東大寺鏡池を望みます。

箱屋官兵衛は大法螺貝の名手だったと伝えられます。

町衆が大蛇退治に出掛けるというので、町中総出で餅を搗き、飯を炊き、握り飯や干し飯(いい)を人馬に背負わせます。理源大師を先頭に、修験者装束で大蛇退治に出発することになります。道中の村々は既に大蛇によって荒らされていましたが、理源大師一行は持参した米や餅を人々に分け与えて道案内を頼みました。

東大寺本坊大広間のイベント

東大寺本坊大広間のイベント宣伝ビラ。

東大寺本坊は理源大師によって開かれた東南院のあった場所とされます。

一行の前に大口を開けて現れた大蛇!

理源大師が印を結んで呪文を唱えると、大蛇は大口を開けたまま動けなくなったと云います。そこへさらに箱屋官兵衛が、大法螺貝を大蛇の口めがけて吹き鳴らします!あまりの大音響に尻尾まで動かせなくなった大蛇は、箱屋官兵衛が手にする大鉈(おおなた)で真っ二つに切り裂かれたと伝えられます。

今も吉野の黒滝村には、理源大師ゆかりの百螺山鳳閣寺(ほうかくじ)があり、大蛇の頭蓋骨が残されているそうです。

東大寺南大門と鹿

南大門と鹿。

餅飯殿町の由来にもなった大蛇退治の伝説。

この伝説と全く同じ話なのか、あるいはよく似たアナザーストーリーなのか、以下のような昔話も伝わっています。

理源大師が大峰山へ登拝したとき、洞川に一匹の白蛇が棲んでいました。

山に参詣する人々の安全を配慮した理源大師は、この白蛇を封じ込めたそうです。その後、理源大師がが東南院(現在の東大寺本坊)の書斎で読書していると、天井から白蛇が現れ、灯火を消して飛び掛かろうとするではありませんか!

暗闇の中で光る白蛇の眼を睨み付ける理源大師。

「おとなしく洞川へ帰れ」と一喝すると、恐れをなした白蛇は姿を一旦消したといいます。ところが、その後も毎夜物悲しげな様子で現れたため、不憫に思った大師は洞川に弁財天の祠を作り、さらには餅飯殿にも弁財天を祭祀し、東南院の北の川に白蛇を放ったと伝えられます。

その放生の川こそが、白蛇川というわけですね。

東大寺では、毎年8月6日に理源大師の法要・聖宝忌が営まれています。

東大寺本坊持仏堂には、理源大師坐像が祀られているようです。さすがに東大寺は奥が深いですね、いつか拝観してみたいと思います。