今井町の井戸「蘇武之井」

人呼んで蘇武之井(そぶのい)。

歴史ある伝説の地には井戸がつきものですが、江戸時代の景観が今も残る今井町入口にも井戸がありました。

蘇武之井

飛鳥川の畔、蘇武橋を渡った所にある蘇武の井。

道を挟んで向かい側には、景観重要樹木として知られる蘇武橋のエノキが聳えています。北尊坊門跡近くにあるこの井戸からさらに南へ行くと、同じようにまた蘇武之井があります。今井蘇武橋公園として整備された飛鳥川沿いの縦長エリアに蘇武之井が二つ存在しています。

蘇武之井

六角形の形をしていますね。

さすがに今は涸れてしまっているのでしょうか、井桁文様の蓋が被せられていました。

蘇武之井の前の通りを南へ向かうと、今井町観光の拠点である華甍へとアクセスします。駐車場も隣接されているためでしょうか、車の往来が頻繁にありました。今井町の町の中は、車を下りて徒歩で散策することになります。

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遊部に由来する蘇武

古来より氾濫を繰り返しながらも、人々の生活に潤いをもたらしてきた飛鳥川。

飛鳥川のことをかつては蘇武川と言い、その付近には蘇武井、蘇武橋、蘇武田などの地名が残っています。

蘇武之井の解説パネル

蘇武の井の解説パネル。

かつて、蘇武井からは良質の水がこんこんと湧き出てき、今井の里の千軒の家々がこの水を毎日汲んでも、またいかなる日照りが続いても、涸れることはなかったという。

庚申の右手に石碑が立ち、「今井ソンボの朝水汲みは桶がもるやら涙やら」と歌の一節が刻まれている。今井蘇武の朝水汲みは、桶から漏れる水と自分の涙で、襦袢や片袖がみな濡れたという意味だそうな。朝水汲みの厳しさが伝わってくるような歌である。

この付近は昔の高市郡遊部郷にあたる地域で、飛鳥川も遊部川といい、蘇武井のある付近は”遊部の岡”とか”あそふ岡”と呼ばれていた。蘇武または尊坊は、”あそぶ”がなまって、”アソブベ”の上・下音アとベを省略した語であるとする説がある。

文明15(1483)年に書かれた聖徳太子伝玉林抄という書物では、「太子斑鳩より蘇武蘇武の橋を渡り、八木の里を経て橘京へ通う」と書かれているそうで、また、聖徳太子が水を飲まれたとも、愛馬の黒駒に水を与えられた井戸とも伝えられている。

高市郡の遊部(あそぶべ)は「喪葬令」にもみえ、鎮魂葬送の礼に関わる部曲(かきべ)と伝えられます。部曲とは大和朝廷時代の部(べ)の一種で、豪族の私有民を表します。蘇我部・大伴部などのように、豪族の氏に部の字を加えて名字とするスタイルです。大化の改新を機に廃止された部曲ですが、古代の歴史を知る材料の一つになっています。

蘇武之井

角度を変えて蘇武井を撮影。

ブロック塀に囲まれた祠は、解説パネルで案内されていた庚申さんでしょうか。確かにその右隣には石碑が建っています。

蘇武之井近くの石碑

何と刻まれているのか・・・残念ながらよく分かりません(笑)

今井ソンボの朝水汲みの歌の一節を追ってみたのですが、なかなか符合致しませんでした。ひょっとしてこれではないのかな?辺りを見回してみましたが、それらしき石碑は見当たりません。

今井町の町並みマップを見てみると、北尊坊通、中尊坊通、南尊坊通と「尊坊」と名の付く通りが東西に通っています。造り酒屋の河合家住宅は、中尊坊通の西側に位置していましたよね。解説パネルによれば、どうやら尊坊の由来も遊部に端を発しているようです。「遊部(あそぶべ)」の最初と最後の音である「あ」と「べ」を省略すると、「そぶ」の音だけが残ります。

今井町のカフェ

今井町のカフェ「ハックベリー」。

北尊坊通へと入って行く角にあります。今井町の入口にある軽食兼喫茶のオシャレなお店です。

蘇武之井

「蘇武之井」の石標。

ちょっと話は逸れますが、香具山の麓の木之本町に畝尾都多本神社というお社があります。泣沢女神(なきさわめのかみ)を祀る神社なのですが、遊部の祖神が祀られているとも言われます。畝尾都多本神社には本殿がなく、境内にある井戸が御神体とされます。そう、井戸の神様が祀られているのです。

葬送儀礼の際、遺族に代わって泣きじゃくる人のことを泣き女と言います。泣き女には悪霊払いの意味が込められ、古来より雇い泣きの風習が存在していたと云います。

遥か古代に、飛鳥川流域の遊岡(あそぶがおか)には雇い泣きの部曲が暮らしていたのかもしれませんね。

遊部郷

聖徳太子、並びに愛馬の黒駒が蘇武之井で喉を潤した・・・何とも歴史ロマンの掻き立てられるエピソードではないでしょうか。

明日香村の橘寺にお参りすれば、本堂前に黒駒像を見ることができます。通勤の際に蘇武橋を渡ったとされる聖徳太子。太子伝説も相まって、益々その歴史の深さを感じさせる井戸に思いを新たにした次第でした。

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