今井町河合家住宅に伝わる嫁入り駕籠

かつては豪商で権力のあるお家柄だったのでしょう、今井町の河合家住宅に嫁入り駕籠が展示されていました。

江戸時代に駕籠に乗れる人は限られていたと云います。18世紀中ごろに建てられれた河合家住宅は国の重要文化財にも指定されています。門前には菊の花が置かれ、軒下に吊り下げられた杉玉が印象に残ります。

今井町の河合家住宅

今井町の中尊坊通西側に居を構える河合家住宅。

複雑に入り組んだ今井町の通りはどれも細く、真正面から撮影してもうまく構図の中に入りません。斜め下からの角度が一番いいかなと思い、シャッターを切ります。元来が軍事目的で複雑に作られた町並みです。時間に余裕のある方は右へ左へと迷いながら今井町散策を楽しむのもいいと思いますが、限られた時間の中で今井町観光を満喫するには、エリアの南東隅にある今井まちなみ交流センター「華甍」を訪れてみることをおすすめ致します。華甍は今井町観光の情報発信拠点であり、様々な資料を入手することができます。

河合家住宅への行き方や、その歴史なども華甍で手にした資料で確認することができます。

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現当主の祖母が嫁入りに使った駕籠

河合家住宅の1階に展示されている嫁入り駕籠は、現河合家当主の祖母が嫁入りの際に使った道具とされます。

おそらく引き戸タイプの嫁入り駕籠ではないでしょうか。

関西地方独特の駕籠に「京四つ駕籠」と呼ばれる籠があり、その特徴として「引戸」と「垂れ」の2種類があるようです。未確認で確かなことは言えませんが、よく見てみると駕籠の出入口に取っ手のようなものが見えます。

花嫁駕籠

河合家住宅に伝わる嫁入り駕籠。

同じ橿原市内の雲梯村から、見目麗しい花嫁としてこの地に来られたご先祖様。嫁入り駕籠の後ろには、箪笥や料理道具等々の嫁入り道具が続いたのでしょうか。当時の嫁入りの様子は知る由もありませんが、時代劇などでも目にした覚えがあります。現代の花嫁行列とは似ても似つかぬ、歴史風情を感じさせるものだったのではないでしょうか。

河合家住宅の酒樽

嫁入り駕籠の左側に展示されているのは酒樽でしょうか。

昔の酒樽はこんな形をしていたんですね。

河合家住宅

虫籠窓の両脇に丸窓が見られます。

右側の二つは横に三本、左側の丸窓には横に一本のラインが入っています。家紋ではないのかもしれませんが、優れた意匠ですね。二階の外観は白漆喰塗籠(しろしっくいぬりごめ)の造りで、とても清潔な印象を与えます。

重要文化財の河合家住宅

河合家住宅の前に重要文化財の立札がありました。

当家は、橿原市上品寺町の上田家からの分家とされます。江戸時代初期頃にこの地に移住し、古くより上品寺屋(じょうぼんじや)の屋号で酒造業を営んでいました。迷路のように入り組んだ今井町ですが、河合家住宅は中尊坊通の西寄りに位置します。四つ辻を挟んで東方には高木家住宅(重要文化財)があります。ちなみに河合家住宅は、今も現役の造り酒屋を営んでおられます。

主屋の建築年代は18世紀後半頃とみられ、主屋東北隅に接続される納屋は、杜氏の宿泊所・休憩所・風呂・便所に供した建物(19世紀初期頃改築)と考えられます。今井町の中でも早い時期の二階建て町家とされ、二階部分には座敷が設けられています。1階の根太(ねだ)天井を低くして2階に座敷を整え、竿縁(さおぶち)天井とし、座敷飾りを付加している点が特筆されます。

花嫁駕籠

花嫁駕籠の前のテーブルには花が活けられていました。

10月末に訪れた今井町はHANARART(はならぁと)期間中で、町全体にアートの空気が満ちていました。ぶらりと立ち寄った河合家住宅でしたが、快く住宅内部の見学を許して頂きました。

河合家住宅の竈

奥には竈もありました。

昔の生活空間がそのままに残っています。お稲荷さんの神棚もあったりして、繁栄を続ける商家の姿を垣間見ます。

河合家住宅の花嫁駕籠

ちゃんと外の様子も伺うことができたようですね。

日本古来の家と家の結び付きを感じさせる花嫁駕籠。当時の結婚式は今のように神社や教会で挙げるものではなかったのかもしれません。日本の歴史を顧みれば、自宅での結婚式が主流だった時代があります。花嫁謝辞式と申しますか、日本古来の家族の姿を思い出させてくれるワンシーンです。

河合家住宅の見学は1階のみだと100円、1・2階見学(パンフレット付き)で300円となっています。2階の見学は予約が必要ですので、ご興味のある方は是非問い合わせてみて下さい。見学時間は午前9時30分~午後4時30分となっています。但し、今もお住いになられていることから正午12時~午後1時の間は見学時間外となっていますのでご注意ください。

<今井町の観光情報>

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