藤原鎌足を祀る談山神社。
そこから4㎞ほど下って来た表参道沿いに鎌足産湯の井戸があります。
歴史的人物には「産湯の井戸」なるものが語り継がれます。飛鳥から遠く京都の菅原院天満宮神社でも、菅原道真の産湯の井戸を見学した記憶が蘇ります。
鎌足産湯の井戸。
藤原氏の祖とも言われる藤原鎌足。その母に当たる大伴夫人の墓もすぐ近くにあり、ここ明日香村小原は藤原氏の始まりを物語る歴史スポットになっています。
大織冠の冠位を賜った藤原鎌足
歴史上、大織冠(たいしょくかん)の冠位を与えられたのは藤原鎌足ただ一人です。
鎌足を重用した天智天皇(中大兄皇子)が、鎌足の死の前日に当たる天智天皇8年(669)10月15日に大織冠の冠位を授けました。大化の改新に結び付く、飛鳥寺西方での中大兄皇子と鎌足の蹴鞠のエピソードは有名ですよね。固い絆で結ばれた二人であったのだろうと推測されます。
大原神社。
談山神社表参道沿いに鎮まる大原神社の本殿裏に産湯の井戸はあります。
万葉文化館に開花する紅梅。
目の覚めるような、とても綺麗な花を咲かせていました。
大原神社向かって右手前の石碑に、大織冠の文字が刻まれています。
冠位の中でも最上位とされた大織冠は、647年から685年まで用いられていました。
大化の改新の相談場所とされる談山(かたらいやま)から藤原鎌足の墓のある御破裂山へ歩いたことがあるのですが、鎌足公の墓所は人影もなくひっそりと静まり返り、少々不気味な印象を受けました。御破裂山に比べれば、この辺りには観光客の姿もあちこちに見られ、長閑な雰囲気に満ちています。
大原の里の案内板。
明日香村付近の地名には、「原」や「丘」がよく見られます。そこに「小」や「大」の美称が冠され、様々な地名のバリエーションが生まれています。今ぱっと思い付くだけでも、真神原、向原(むくはら)、雷丘などがあります。
鎌足産湯の井戸入口。
交通標識ではありませんが、黄色い案内板はやはり目立ちますね。
最高位の大織冠が案内されています。
大織冠と名の付く神社も各地に見られ、郡山城の鎮守社と伝わる大織冠鎌足神社や、大阪の茨木市に鎮座する鎌足古廟の大織冠神社などは有名です。いずれも藤原鎌足ゆかりの神社ですが、ここ大原神社の本殿裏には鎌足産湯の井戸が佇みます。
大原神社の向かって右側には、藤原寺跡が広がります。
かつては法光寺、中臣寺、鎌足誕生堂とも呼ばれた藤原寺(とうげんじ)。その面影はもはや見られませんが、藤原寺の鎮守社が大原神社ではないかとも言われています。
大原神社本殿。
狛犬が両脇を固めています。
大原神社の本殿横を通り抜けて、さらに奥へと進みます。
この階段を下って行くと、鎌足産湯の井戸へと辿り着きます。
以前にこの場所を訪れた時は季節が夏ということもあってか、辺りは草木に覆われて鬱蒼としていましたが、今回は見違えるように視界が開けています。
竹田川の畔まで下りてくると、鎌足産湯の井戸の案内板が見えました。
井戸が二つあって、右側の井戸にだけ「鎌足産湯の井戸」の案内板が立てられていたのですが、果たしてこの右側の井戸だけが鎌足産湯の井戸なのでしょうか。あるいは両方ともそうなのでしょうか。
お賽銭が供えられていました。
家紋のデザインにもよく使われる井桁は、ふつふつと水の湧き出る豊穣の象徴でもあります。井戸は有難い存在です。そして、触れてはならない神聖なものでもあります。よくリフォーム工事などでは、その家に元からあった井戸に触れてはならないと言います。単なる迷信ではない、どこか凛とした存在感を鎌足産湯の井戸からも感じ取ることができます。
鎌足産湯の井戸に手を合わせます。
鎌足産湯の井戸へのアクセスは、飛鳥坐神社から徒歩3~4分でしょうか。奈良県立万葉文化館からもほど近い場所にあります。明日香村散策の際には、是非立ち寄ってみたい穴場スポットの一つです。