増賀上人の墓『念誦崛』

談山神社中興の祖・増賀上人。

俗世を嫌い、奇行で知られる増賀上人の墓にお参りして来ました。

談山神社西大門跡手前の増賀堂跡を訪れ、いつかは来たいと思っていた場所です。

念誦崛

増賀上人の墓「念誦崛(ねずき)」。

二段石積みの円墳です。

下段の直径は4mにも及びます。上段の頂にはかつて五輪塔が建っていたようです。「南・無・増・賀・上人」と刻んだ五輪塔で、今はその地輪を残すのみとなっています。

念誦崛

150段の石段を登り切った所にありました。

談山神社の西門跡から、心細くなるような林道を通って辿り着きます。

石のゲートを額縁に現れる念誦崛!なかなか絵になりますね。

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多武峯奥之院へアクセス!俗世間と離れた談山神社中興の祖

そもそも、なぜ念誦崛という名前が付いているのでしょうか?

比叡山の修行を終えて多武峯に入山した増賀上人。以後40年間、入滅までこの地に隠棲したと伝わります。念誦崛の名前は、俗世間を嫌って念仏三昧の内に入滅したからとも言われています。

念誦崛道案内

念誦崛と明日香・石舞台ハイキングコースの分かれ道。

西門跡から右手へ進んで行くと、このような看板に出くわします。増賀上人墓の道案内ですが、ここを右へ向かいます。左へ下って行くと、気都和既神社、石舞台古墳へと通じています。

念誦崛道標

さらに歩を進めると、また道標がありました。

民家の手前にある道標で、ここを北山・桜井方面へ取ります。

明るい場所はこの辺りまででしょうか、徐々に薄暗い林の中へと入って行きます。

三社神社鳥居

道中、左手にあった三社神社

この辺りの住所は桜井市西口・・・鳥居の額塚が笠木の上へ飛び出していますね(笑)

三社神社社殿

三社神社の社殿。

赤い色がよく映えます。

念誦崛不動尊の石標

さらに進んで行くと、念誦崛不動尊を案内する石柱が立っていました。

左手の崖の下へ降りて行くようです。

念誦崛不動尊の石標

ここを下ると、念誦崛不動尊に辿り着きます。

今回は目的がはっきりしていたので寄り道はせず、一路増賀上人のお墓を目指します。

念誦崛アクセスルート

ここを登って行くようです。

要所要所に道案内が付いており、途中で迷うこともないでしょう。

大西良慶生誕の地碑

進入路の脇にあった石碑。

「大西良慶和上生誕之地」と記されています。

大西良慶

大西良慶(りょうけい)?

誰のことかなと思って調べてみると、京都清水寺の貫主を務めた僧と出ています。

1983年に107歳という長寿で亡くなられたようで、鹿児島県で一躍話題になった日本初の五つ子の名付け親にもなりました。大西良慶和上は、談山神社神職の二男として生を享けているようです。

念誦崛アクセスルート

今来た道を振り返ります。

この分岐点を右手に取って登って来たところです。

念誦崛

この辺りはかつて、多武峯奥の院と呼ばれた『紫蓋寺(しがいじ)』の寺域でした。

明治維新の頃までは念仏常行堂、地蔵堂、鐘楼、さらには僧坊が建ち並んでいたそうです。今は全て廃墟となっていますが、当時の石垣や石段を見ることができます。

この道沿いの石垣も、おそらく紫蓋寺の遺構ではないでしょうか。

念誦崛の石仏

道中の石仏群も見所に満ちています。

光背に刻まれるのは梵字でしょう。錫杖を手にした地蔵菩薩が半肉彫りにされます。

増賀上人墓の石段

この石段を登って行きます。

石段下には手水石が置かれていました。

増賀上人墓の石段

念誦崛へのアクセス!

もうこれだけで胸の高鳴りを覚えますね。

かなりの高所に祀られているようです。

増賀上人墓の石段

落葉が敷き詰められます。

かなりの昔から、この石段は多くの参詣人を出迎えてきたことでしょう。

増賀上人墓アクセスルート

一旦、階段が途切れて広場に出ます。

綺麗な地蔵石仏がお立ちになられていました。

上を見遣れば・・・見えていますね!ついにピラミッド状の念誦崛の先端が視界に入りました。

増賀上人墓

奇抜な格好のお墓です。

増賀上人の一代記絵巻には、奇妙な姿の上人が描かれています。

腰に差す刀の代わりに、干物の魚をぶら下げているのです。なんとも不思議な格好ですが、これも増賀上人の逸話の一つなのかもしれませんね。

増賀上人墓

二段重ねのお饅頭。

先端には五輪塔の残欠である地輪が乗っかります。

完全な形の五輪塔を想像してみますが、現在の姿の方がしっくりきますね。全体的なバランスとしては、地輪のみを残している方がベターです。

念誦崛石碑

「奉修復 慈恵大師高弟 増賀上人廟」

傍らに石碑が建立されていました。

念誦崛

方形の基壇の上に建ちます。

一つ一つの石垣が絶妙なバランスで組まれているのでしょう。

念誦崛石碑

「慈恵大師1025年遠忌記念事業 発願 比叡山延暦寺」

比叡山で修行した増賀上人。

そこで師事した師は世俗的な一面を持っていたようです。反りが合わなかったのでしょうか、多武峯に隠棲した増賀上人はこの地に骨を埋めることになります。

増賀上人墓

ぐるりと周囲を巡ることができます。

横穴式石室の見学とはまた違った趣がありますね。

増賀上人墓

念誦崛(ねずき)というネーミングもまたいいです。

一体何だろう?と思わせる名前ではないでしょうか。

念誦崛

期待にそぐわぬ奇異なお墓。

紅葉の名所・談山神社の奥の奥、山深い場所にこんな墓所があったとは。

念誦崛

訪れる人も少ない穴場です。

アクセスルートに人気は無く、思わず腰に鈴でも付けておけばよかったと思うほどです。

念誦崛の石段

念誦崛見学の帰り道。

先ほどの踊り場に戻って参りました。

かなり広いですね、数多くの石仏が並んでいます。

念誦崛の手水

今となっては使えない手水処。

辺りはひっそりと静まり返ります。

紫蓋寺石垣

石垣の所まで降りて来ました。

ここは大和・妙楽寺の奥之院。

談山神社はかつて、妙楽寺というお寺でした。この辺りは斉明天皇の両槻宮跡という説もあるようです。幾多の歴史を乗り越えて、この場所に眠り続ける増賀上人。

念誦崛アクセスルート

本当に物寂しい場所です。

昼間は割と日も当たりますが、夜になると漆黒の闇と化すでしょう。

林道の井戸

おや?

これは井戸でしょうか。

バケツと柄杓が置かれていました。

念誦崛周辺地図

増賀上人墓周辺の地図。

念誦崛のある場所から林道西口北山線が伸びています。

談山神社西門付近地図

談山神社西門付近案内図。

万葉展望台の場所が示されていました。

多武峯談山神社は見所がいっぱいですね。

大化の改新の舞台であり、蹴鞠の名所でもある談山神社。御破裂山の藤原鎌足の墓、参道沿いに建つ後醍醐天皇寄進燈籠、さらには足の病にご利益のある如意輪観音と、その要所は枚挙にいとまがありません。

大方の参拝客は西門跡から奥へ足を運ぶこともないでしょう。

談山神社の歴史を語る上では欠かせない増賀上人のお墓です。是非一度、奥之院に眠る増賀上人に会いに行きませんか?