町石(ちょういし)ってご存知でしょうか?
路傍に立てて、一町ごとに道程を記した石のことで「丁石」とも書きます。仏名や仏像などを刻したものが多く見られます。高野山金剛峰寺の伽藍から奥之院、及び慈尊院に至る道に立てられた道標を「町石卒塔婆(ちょうせきそとば)」と言いますが、あれも町石の一種だと思われます。
多武峯街道沿いに建つ町石。
等彌神社から談山神社一の鳥居(大鳥居)を経て、聖林寺、屋形橋、談山神社へと続く古道沿いに計五十二基の町石が建てられています。なぜ52基なのか?そこにも深い意味が隠されているようです。
悟りに至る仏道修行を表す町石
談山神社一の鳥居の袂に町石の案内板がありました。
そこには、因位(いんい)から仏界に至るまでの修行の道と解説されています。因位とは、未だ仏果を得ない菩薩の地位を表します。因位(いんに)、あるいは因地(いんじ)とも言われる迷いの境地です。
談山神社の参道沿いに仏界のものがあるのは、おそらく神仏分離以前の歴史に遡るからなのでしょう。談山神社の前身が多武峯妙楽寺であることを思い起こさせますね。
一の鳥居の袂に建つ多武峯町石。
こちらが第一基目の町石のようです。悟りの階段を登り始める矢先ですから、まだ迷いの中にある町石という位置付けです。最終段階の町石が談山神社の摩尼輪塔です。菩薩が無事に五十二級の修行を終え、悟りを得て如来になった姿を表していると言います。梵字のアークが刻まれた摩尼輪塔は重要文化財にも指定されています。
今までにも幾度となく目にしてきた摩尼輪塔ですが、如来の姿を表していたことを初めて知りました。塔身に「妙覚」の文字が彫られていることからも、悟りの境地に達した姿であることがうかがえます。
談山神社多武峯町石(県指定史跡)
談山神社の一ノ鳥居から、摩尼輪塔までの約5.56㎞の間に、参道に沿って52基の町石が建てられていた。町石の形式は板碑型で、町石の高さ約150cm、幅33cmである。江戸初期承応3年10月16日に、法眼が施主となって造立した。52基の町石は、因位(まよい)から仏界(さとり)に至る仏道修行をあらわし、十信、十住、十行、十回向までは凡夫、十地は聖者の菩薩行、等覚(仏に等しいさとり)、妙覚(迷を減尽した仏界)とに分けられている。 桜井市教育委員会
難しい仏教用語で案内されていますね。
等覚(とうがく)とは正覚(しょうがく)に等しい覚を意味します。
さらに最後の位である妙覚(みょうかく)は菩薩修行の最終位であり、煩悩を断じて智慧が円満した境地を表しています。52基の町石で思い出しましたが、興福寺の五十二段も同じような意味合いを持つものと思われます。
二基目の町石。
先ほどの案内板に従えば、十信の位置にある町石ということになりますね。
発心から解脱までの修行の段階。
談山神社に至る多武峯街道はハイキングコースにもなっています。町石の意味をかみしめながら歩いてみるのも面白そうですね。