釈迦如来と法相柱@興福寺中金堂

落慶法要を終えた興福寺中金堂を拝観して参りました。

恒例となった興福寺国宝公開ですが、2018年度の今秋は中金堂一般拝観と国宝館の特別展示が組まれていました。興福寺から送られてきた期間限定の拝観券を手に、奈良公園界隈を目指します。

興福寺中金堂と拝観チケット

特別拝観チケットと中金堂の冊子。

屋根の上の鴟尾が青空によく映えますね。

中金堂再建現場の見学から、早3年半の月日が流れました。無事に竣工して、私自身もこの日を迎えることが出来て大変嬉しく思います。足場の組まれた再建現場が懐かしいですね。

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吉祥天に薬王・薬上菩薩!中金堂仏像群と法相宗の系譜を伝える法相柱

中金堂の見所の一つに、祖師を描いた法相柱(ほっそうちゅう)が挙げられます。

御本尊・釈迦如来の向かって左前に立つ一本の柱に注目です。興福寺の宗派は法相宗ですが、法相の教えを今に伝える祖師画が鮮やかに描かれていました。興福寺北円堂に祀られる無著菩薩・世親菩薩をはじめ、玄奘三蔵、玄昉僧正、解脱上人などの姿も見られます。

木造釈迦如来坐像と法相柱

本尊・木造釈迦如来坐像と法相柱。

無著菩薩が下段右端で、横向きに歩く姿が描かれています。法相宗を確立した無著・世親菩薩は兄弟の僧で、弟の世親菩薩はその隣で正面を向いています。上段へ行くほど服装が派手になっていますね。最も質素な身なりで描かれているのが、無著・世親菩薩ではないでしょうか。

気になるのが、上から二段目左端の人物です。

中金堂のパンフレットには「別当行賀(べっとうぎょうが)」と案内されています。垂れ目の顔にピンときたのですが、法相六祖に名を連ねる高僧・行賀に違いありません。

興福寺釈迦如来坐像

木造釈迦如来坐像

興福寺中金堂の本尊です。

比較的歴史は浅く、江戸時代の寄木造で創建当初から数えて5代目に当たります。初代の御本尊は、藤原鎌足が蘇我入鹿打倒を祈願して造立した釈迦如来像と伝えます。この度の落慶により、脇侍の薬王・薬上菩薩と共に仮金堂(現在の仮講堂)から移されました。

金色に輝く釈迦如来ですが、桧材で造られているようです。一見すると眠たそうな伏し目は悟りの境地を表しているのでしょう。大きな耳たぶに密集する螺髪など、どれも仏様の特徴をよく表現しています。

興福寺中金堂落慶

興福寺中金堂落慶の立看板。

拝観受付の手前に、五色幕をデザインした看板が立っていました。

興福寺中金堂

中金堂の周りは木の柵で囲われています。

拝観料を納めて、この中に入る段取りですね。

興福寺中金堂

中金堂の前にはかなり広いスペースが取られていました。

中金堂は単層裳階付き、寄棟造の歴史的建築物です。

藤原不比等が興福寺最初の堂宇として創建したと伝わります。710年(和銅3年)の創建で、奈良に都が遷った平城遷都と時を同じくしています。

厨子入り木造吉祥天倚像

重要文化財の「厨子入り木造吉祥天倚像」(ずしいり もくぞう きっしょうてんいぞう)。

南北朝時代の桧材一木造の仏像で、厨子内には極彩色の吉祥天曼荼羅が展開しています。

厨子の扉には梵天・帝釈天、奥壁には七宝山図が極彩色で描かれています。なぜか今回の拝観では、この吉祥天像だけが非公開でした。厨子の扉が固く閉ざされ、中の様子を窺うことが出来ませんでした。一つだけ見せないというのも、巧みな観光戦略なのかもしれません。見学する側からしてみれば、どうしても ”やり残し感” が付きまといます。次回は必ずと思ってしまうのも、きっと想定内なのでしょう。

ところで、この吉祥天はインドの仏像様式を伝える倚像(いぞう)スタイルです。

台座に腰掛け、両脚を前に垂れています。奈良県内で「倚像」といえば、紅葉名所の正暦寺に祀られる薬師如来倚像を思い出します。結跏趺坐の仏像はよく見られますが、脚を組まない倚像は珍しいのではないでしょうか。

そもそも吉祥天はヒンズー教の女神です。インドの仏像スタイルを踏襲しているのも頷けますね。

台座裏の墨書銘によれば、暦応3年(1340)に施入され、中金堂に安置されたことが分かっているようです。

中金堂ライトアップの照明器具

照明設備でしょうか。

夜間にライトアップされるようです。向こうに見えている建物は興福寺南円堂です。南円堂に安置されていた国宝の四天王像ですが、今は中金堂の釈迦如来坐像の周りに配置されています。

興福寺中金堂

続々と拝観客が堂内へと入って行きます。

遷都祭で盛り上がった2010年に立柱式が行われ、2014年の上棟式を経て、遂に2018年度の再建落慶を迎えました。

天平の創建当時から使われ続けてきた基壇の上に建っているそうです。

平城京の北東に接する丘の上に築かれた基壇。基壇の上には礎石が配され、そこに立派な柱を立て巨大な仏堂を支えていました。天平時代の基壇そのままに、8度目の再建を果たした興福寺中金堂。多川俊映貫首(かんす)の言葉を借りれば、7度焼けて8回目の建立を成し遂げた興福寺は、まさしく七転び八起きの寺と言えるのではないでしょうか。

興福寺中金堂

真正面から中金堂を見ます。

中尊の釈迦如来が垣間見えますね。

木造薬王・薬上菩薩立像

重要文化財の木造薬王・薬上菩薩立像。

御本尊の両脇侍として立つ仏像です。

薬王(やくおう)・薬上(やくじょう)菩薩とは、あまり聞き慣れない仏像です。鎌倉時代の寄木造で、心と身体の病を治す有難い菩薩様のようです。釈迦の脇侍として薬王・薬上を置くのは古式に則ったスタイルとされます。良薬を人々に与え、心と身体の病気を治した兄弟の菩薩なんだそうです。

無著・世親菩薩も兄弟なら、薬王・薬上菩薩も兄弟の間柄なんですね。

興福寺南円堂

八角堂の南円堂を望みます。

今回の落慶で南円堂の四天王像を迎え入れたわけですが、代わりに南円堂に収められたのは仮金堂の四天王像とされます。運慶の父・康慶の作品で、国宝指定を受けたばかりの仏像です。

興福寺五重塔と東金堂

興福寺五重塔の左横に建つのは、国宝の東金堂です。

東金堂と五重塔が並び建つ風景は、もうすっかり見慣れた感がありますね。

興福寺南円堂

三角コーンで規制線が張られていました。

この向こう側には行けないようです。

興福寺中金堂

改めて巨大な建築物!

法相宗大本山・興福寺の中核を成す建物です。

江戸時代の1717年に火災に遭ってから、実に301年ぶりの本格的な再建です。

興福寺中金堂

建築資材である木材の調達は困難を極めたようです。

中金堂の柱には長さ10m、直径77cmの巨木が必要とされました。国内では枯渇していたため、20年近くの歳月をかけて外国産の巨木を探し求めたそうです。

興福寺中金堂

アパやドーシェと呼ばれるアフリカの欅(けやき)材を柱に、カナダの桧材を梁などに使用しています。

耐震性を高めるため、柱の下の礎石中央には半球状の出っ張りがあるようです。そこへ底に窪みを作った柱をつないでいます。つまり、凹凸を作って巧みにかみ合わせています。地震によって生じる柱のずれを防ぐ耐震構造ですね。

興福寺中金堂

中金堂の堂内は撮影禁止です。

柱や礎石の他にも、堂内の壁が耐震補強されているようです。

今回の再建に当たり、中金堂四隅の壁と内陣左右の壁にステンレス板が採用されました。

壁の内側に木材を格子状に組み、ステンレス製の正方形の板をボルトで固定しています。これによってステンレス板と格子が揺れの力を分散させ、地震被害を最小限に抑えるというものです。

興福寺中金堂

中金堂内陣には諸尊(仏像群)が配置されていました。

その外側両脇には、ニュースでも話題になった論議台が置かれていました。

僧侶の口頭試問の際に使われるものですね。両サイドに置かれた論議台の奥にも空間があったのですが、そこへは入って行けないようです。不思議な造りだなと思ったのですが、係の方にお伺いすると、創建当時からこのような建築様式で理由は分からないとのことでした。

興福寺今昔写真展

興福寺今昔写真展。

再建記念イベントのようです。

三重塔近くの興福寺会館に於いて、往時の興福寺境内の白黒写真が紹介されています。無料で見学できますので、ご興味をお持ちの方は是非足を運んでみて下さい。

興福寺中金堂の大黒天

木造大黒天立像(重要文化財)。

鎌倉時代の一木造で、向かって左側の薬上菩薩の前に祀られていました。

私たちがよく知るふくよかな大黒さんとは趣が違いますね。それもそのはず、円満な顔で俵の上に乗る大黒天は後世に流行した容貌とのこと・・・元は大自在天の化身として、怒りの顔を持つ厨房の守護神だったと言います。

大黒天の本来の姿に近いのですね。

中金堂から北東方向にある国宝館の特別展示では、香川県志度寺(しどじ)の「志度寺縁起絵」が公開されていました。その中に、興福寺中金堂の本尊・釈迦如来像に関する伝承が描かれているようです。再建に際し黄金の輝きを取り戻した釈迦如来ですが、その歴史の一端に触れることができます。