興福寺法相六祖坐像の行賀

写実性に富んだ仏像に目が留まります。

興福寺に伝わる法相六祖坐像(国宝)の内の一体、行賀像です。この写真を目にするまで、法相六祖坐像(ほっそうろくそざぞう)の存在すら知りませんでした

法相六祖坐像の行賀像

柄香炉(えごうろ)を持つ行賀像。

立膝をし、やや上目遣いの視線を預けます。額には皺や血管が刻まれ、写実的な鎌倉新様式の出発点を示します。これは傑作です。六祖坐像とは、興福寺法相宗興隆に尽力した学僧の肖像彫刻です。興福寺南円堂の八角形須弥壇の周囲に安置されていました。行賀像の他にも、善珠(ぜんじゅ)、常騰(じょうとう)、玄昉(げんぼう)、玄賓(げんぴん)、神叡(しんえい)の計六体から成ります。

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康慶と慶派による国宝肖像彫刻

行賀は第3世別当を務めた高僧です。

6体の内、写真の行賀像だけは奈良国立博物館に寄託されています。常時3体ほどは国宝館に展示されているようで、元の南円堂に法相六祖坐像が勢揃いしているわけではないようです。

興福寺南円堂

興福寺南円堂。

堂内の中尊・不空羂索観音坐像も国宝に指定される仏像です。

焼失した旧像を忠実に再現し、男性的な風貌と衣文のリアリズムに慶派の奔流を感じさせます。額の第三の目も実に印象的です。

法相六祖坐像の行賀像

素晴らしい表情をしていますね!

まさに生き写しの写実表現ではないでしょうか。法相六祖坐像も本尊同様、焼失した塑像を復興して造像されています。造り直された肖像彫刻なわけですが、明らかにそのベクトルが変わっています。玉眼を用い、高僧の魂をそのままに封じ込めます。思わずギョッとする写実彫刻ですね。

仏師康慶とその弟子たちが文治5年(1189)に造像したようです。

造像当時の仏師集団には3つの系統があったと言われます。

京都を中心に活躍していた院派(いんぱ)と円派(えんぱ)、さらには奈良を中心とする奈良仏師の集団です。いずれも平安時代に幅を利かせた定朝の子孫や弟子に当たりますが、あくまでも主流は京都の院派と円派でした。京都の二派は、定朝の温和で形式的な様式を受け継いでいました。つまり、保守的な作風だったのです。

それに対し、地理的にも離れた奈良仏師たちは仏像制作に新たな風を吹き込みました。革新的で、かつ重厚な写実スタイルを築き上げていったのです。興福寺南円堂に残された ”行賀像” をはじめとする法相六祖坐像はその象徴でもあります。

興福寺を知る上で、国宝の法相六祖坐像は外せません。

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