興福寺弁才天供@興福寺三重塔

毎年7月7日は弁天さんの縁日に当たります。

奈良の興福寺では、国宝三重塔の初層が開扉されて「弁才天供(べんざいてんく)」が営まれます。法要は午前10時から一時間ほどで済みますが、特別開扉は午前9時から午後4時まで行われます。

興福寺三重塔

法要真っ最中の興福寺三重塔。

三重塔の東側にテントが張られ、既に多くの参列者が集っていました。興福寺の弁天さんですが、5年前に行われた興福寺国宝特別公開の際に拝見したことがあります。その時以来の弁天さんとのご対面です。

スポンサードリンク

頭上に鳥居を頂く弁才天

弁才天は元の名前をサラスヴァティー(Sarasvati)と言い、河の女神とされます。

道理で水のある所によく祀られているわけですね。弁天さんと言えば赤色、そして水がイメージされる神様です。芸能や音楽の神様でもありますから、芸能関係に従事する方々からも篤い信仰を集めます。

興福寺弁才天供

境内の休憩所に弁才天の写真が貼られていました。

興福寺三重塔の初層内陣、その東の須弥壇に坐しておられます。頭に鳥居を載せ、八本の手に宝珠や剣を持ちます。

興福寺の弁才天坐像は、弘法大師空海が天川村の弁才天を勧請したと伝わります。興福寺南円堂建立の際、天川村の弁才天に参籠したという空海。その時に宇賀弁才天を感得し、その神を窪弁才天として興福寺に勧請したそうです。ちなみに窪弁才天というのは、三重塔が興福寺の窪地に建っていることにちなみます。

興福寺境内の地蔵

三重塔手前に祀られる地蔵石仏。

南円堂へと上がって行く石段の途中で左に折れ、三重塔が建つ場所へと向かいます。

興福寺三重塔

南都焼き討ち後に再建された三重塔。

現在の塔は鎌倉時代の作ですが、国宝に指定されています。

初層内陣には東に薬師如来、西に阿弥陀如来、南に釈迦如来、そして北には弥勒如来が各千体も描かれています。今回の拝観では圧巻の板絵を見ることはできませんでしたが、”非公開ゆえの宝物感” がそこかしこに感じられました。

興福寺弁才天供

烏帽子を被った白装束の神官の姿が見られます。

興福寺の弁天さんは仏像なのか七福神なのかはっきりしないところなのですが、神仏習合のお姿が映されているような気が致します。明治期の廃仏毀釈の際に、旧塔頭である世尊院から移されて来た仏像です。大切に守られてきた歴史があるわけですね。

興福寺三重塔初層

興福寺三重塔の初層。

こちらは西側に相当します。この扉を開ければ、阿弥陀様の板絵があるものと思われます。

五重塔に比べればこぢんまりとした塔ですが、その高さは19メートルに及びます。上層に比して初層が大きく作られており、安定感に満ちた造りです。初層内陣の折上組格天井には、極彩色の文様も描かれているそうです。

興福寺摩利支天石

摩利支天石。

三重塔の東側の小高い丘に鎮座していました。

奈良発祥の武道・宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の流祖である興福寺の僧の守り本尊とされます。

国宝興福寺三重塔拝観券

国宝興福寺三重塔の拝観券。

弁才天供の特別開扉は拝観無料です。無料なのに拝観券を頂いて恐縮なのですが、拝観券の裏には三重塔と弁才天坐像の解説がありました。玉眼の弁才天坐像は、檜材による寄木造のようです。眷属に十五童子を従える姿も、他の弁天さんと同じですね。

興福寺弁才天供の法要に参加した後は、餅飯殿商店街にある餅飯殿弁財天社にお参りして来ました。7月7日は弁天デーです。七夕とも重なり、商店街には笹の葉に吊るされた短冊が風に揺れていました。