奈良女子大学記念館の一般公開。
重要文化財の記念館は明治時代の建築です。以前から正門越しに見える記念館に興味を抱いていました。なかなか足を運ぶ機会が無かったのですが、今回初めて構内に足を踏み入れることに致しました。
奈良女子大学記念館。
前身の奈良女子高等師範学校の校舎として、1909年(明治42)に竣工しています。1階は事務室、2階は講堂になっています。今回の一般公開では、奈良女子大学の歴史や生物標本が1階部分に展示されていました。クラシックな階段を上がると、タイムスリップしたかのような講堂が出迎えてくれます。
奈良女子大学の歴史を奏でる百年ピアノ&天皇の写真と教育勅語を納める奉安殿
私が訪れた当日、記念館講堂で「百年ピアノコンサート」が催されていました。
ちょうど演奏プログラムの合間だったようで、残念ながら百年ピアノの音色は聴けませんでした。でも、その代わりに間近に百年ピアノを拝見することが出来ました。
奈良女子大学記念館の講堂。
歴史ある長椅子が整然と並べられています。300名収容の広々とした空間で、現在も大学院の入学・卒業式、コンサートや学生活動の場として活用されています。
天井の中央部が折り上げられていますね。威風堂々とした空間の演出です。
どうやら正面向こうに見えているピアノが”百年ピアノ”のようです。奈良女子大学の創立当時に購入されたグランドピアノで、100年以上の歴史を刻みます。
百年ピアノと奉安所。
ピアノの左手、舞台上に設置されているのが奉安所です。
ギリシャ神殿のような三角屋根と幾重にも連なる緞帳・・・不思議な設えですね。大きな紙芝居でも始まるのかと思わせます。実はこの奉安所は、天皇に敬意を示す空間だったようです。
ミステリアスな空気に包まれて講堂内を見渡すと、後方に学生ガイドの学院生さんがおられます。さっそく伺ってみることにしました。
学生ガイドさんのお話によれば、ここに御真影(天皇・皇后の写真)が掲げられ、その御前で校長が教育勅語を奉読したというのです。天皇を崇拝する時代の名残ですね。御真影と教育勅語ですが、普段は正門脇の奉安殿という建物に納められていたようです。儀式の際に講堂前に運び出され、皆で揃って天皇に最敬礼をしたと伝えられます。
こちらが正門脇の奉安殿。
「奉安庫」とも呼ばれ、同じく三角形の屋根が特徴的ですね。
かつては全国各地に見られた奉安殿ですが、そのほとんどが戦後になってから解体されています。奈良女子大学の奉安殿はなぜ残っているのか?素朴な疑問ですが、その答えが案内板に記されていました。
奈良女子大学の生物学教員がGHQと交渉したようです。
遺伝研究のためにショウジョウバエの飼育室としての使用許可を願い出たそうです。まるでジェットコースターのような用途の変更ですね。天皇の御真影安置室からショウジョウバエ飼育室とは(笑)
奈良女子大学の正門。
立看板にも案内されていますが、記念館一般公開は入館料無料です。
毎年春秋に一週間ほどの日程で公開されています。公開時間は9時~16時までで、学生さんによるガイドツアーも組まれています。
奈良女子大学の奉安殿。
一段高い場所に祀られています。これは貴重な歴史遺産ですね。もうすぐ平成の代も終わり、改元の時を迎えます。日本に根付く天皇制を思うとき、その価値観にも様々な揺らぎがあったことを改めて知らされます。
正門から真っ直ぐに進みます。
女子学生たちが足早に構内へと入って行きます。
菊の御紋ですね。
天皇を象徴する十六菊花紋が奉安所にあしらわれていました。
教育勅語の「勅(ちょく)」とは、天子の命令であり、天皇の仰せ(おおせ)を意味します。ここで校長が教育勅語を奉読していた歴史に想いを馳せます。寺社の多い奈良県内には「勅願寺」と呼ばれるお寺が多数あります。天皇の仰せで開かれたお寺を意味しますが、様々な分野に広く関わってきた天皇の権威を思います。
それにしても立派な建物です。
竣工以来、ほとんど改変されることなく今に至っています。
ヨーロッパ北部に多く見られる、木部を外に表すハーフティンバー(half-timber)という壁構造のデザインが秀逸です。材木を外部に見せ、壁と木造の部分が半々に構成されています。とてもオシャレな意匠ですね。
記念館二階の講堂。
折り上げ天井に目を移すと、装飾性に富んだ半円形の天窓が見られます。
記念館の玄関。
平成6年に改修工事が行われているようです。
ふと背後に何かを感じ、振り返ってみると鹿がいました。さすがは奈良、大学構内にも遠慮なく鹿が入って来るようです。野生動物とはいえ、教育現場に「神鹿」は似つかわしいものなのかもしれません。
重要文化財に指定された奈良女子大学記念館の案内板。
本学の前身である奈良女子高等師範学校は明治41年(1908)3月に設置された。旧本館(記念館)は明治42年10月、守衛室は同年12月に竣工したもので、学校創設以来の建物である。
旧本館(記念館)は木造2階建てで、1階正面中央に玄関ポーチが付き、内部は1階中央に廊下が通り、両側に校長室・応接室などの部屋があり、2階は広い一室で講堂としていた。外壁に木材で模様をあしらい、桟瓦葺の屋根の中央に塔屋を設け、正面・背面に各2箇所、両側面各1箇所に明かり採り窓を付けている。
守衛室は十字形平面の鉄板葺の建物で、屋根の棟飾りや窓廻りを本館と類似した意匠でまとめている。
正門は中央の両開扉と両脇の片開扉で構成され、門柱や上部の照明器具の意匠に配慮がはらわれている。
これらは、明治期に建設された官立の高等師範学校の施設であり、わが国の学校建築の歴史を知る上で重要な建物として、平成6年12月に重要文化財に指定された。
正門を入るとすぐ右手に守衛室がありました。
旧本館(記念館)とよく似た意匠でまとめられた建物ですが、撮影するのを忘れてしまいました。すぐ近くの奉安殿に夢中になってしまい、可愛い外観の守衛室をスルーしてしまいました。これは次回までの宿題ですね。
記念館一階の部屋。
奈良女子大学の歴史が、セピア色の写真と共に掲示されていました。
動物学実験(昭和7年)と、ヘレンケラー氏来校(昭和12年)。
大正から昭和の初期にかけて、文科・理科・家事科の三学科制が確立されたようです。三重苦の苦難を乗り越えた偉人・ヘレンケラーも奈良女子大学に足跡を残しています。
生物標本室のコウノトリ。
赤ちゃんを運んで来るという伝説で知られるコウノトリですが、随分大きな鳥なんですね。じっと動かないことで人気のハシビロコウもコウノトリの仲間だと聞いたことがあります。確かに雰囲気が似ているのかもしれません。
ツシマヤマネコの標本。
こちらは随分小振りでした。野性味たっぷりの表情に、思わずたじろぎます。
二階へと通じる階段。
勾配は緩やかですね。
手摺りも比較的低めで、その透かし彫りは講堂の腰板と同じ模様が用いられています。
生物標本室入口と廊下。
壁のコーナーが突出して交差しています。天井面には漆喰塗りの化粧梁を設けて囲みます。
1階の部屋の天井。
天井の隅っこが花形に飾られています。穴が開いていますね。
2階講堂のシャンデリア上部にも花形飾りがありましたが、熱気を外に逃がすための換気口の役割も担っているのだとか。ここは一階ですが、同じような用途があるのでしょうか。
手摺りの透かし彫り。
確かに講堂内の腰板とよく似ています。建物全体に統一性が感じられますね。
階段を登り切った所。
記念館講堂の入口が観音開きになっています。その右手に、何やら模型らしきものが展示されていました。
講堂前の立体模型。
往時の奈良女子大学の姿でしょうか。
見事な折り上げ天井!
こうして見ると、講堂内の奉安所がいいアクセントになっていますね。
屋根を支える構造が木造トラスのため、約16mの長きに渡って中間に柱がありません。
西の窓を覗いてみると、大学の中庭が広がっていました。
文化祭の準備なのでしょうか。ステージが組まれ、学生たちで賑わいます。反対側の東の窓からは東大寺や若草山を望むことができます。
百年ピアノ。
国産最古級のピアノで、細部にわたって壮麗な彫刻が施されています。
この日は、三品拓人(みしなたくと)さんによるピアノコンサートが開催されたようです。歴史ある楽器ですが、使われてこその命だと思います。人の指で叩かれ続け、その美しい音色を継承していくのでしょう。
自由に演奏が出来るようです。
誠に残念ながら、ピアノ演奏に覚えはありません(笑)
なんだか素敵。
ピアノのことは全く分かりませんが、金色と漆黒に輝く ”歴史の生き証人” に息を呑みます。
大学の歴史を奏でる「百年ピアノ」。
このピアノは、奈良女子高等師範学校が創立当時、明治42(1909)年5月に購入したものです。価格は一千円でした。演奏会などにて大いに活用されたのですが、その後、講堂の改修工事のため倉庫に収納され、忘れ去られてしまいました。
平成15(2003)年、的場輝佳記念館長(当時)がピアノを再発見し、関係者の支援のもと、京都のピアノ修復の専門家である松永栄二(当時82歳)の工房で復元がなされました。平成17(2005)年11月に無事修復を終えたピアノは、かつて置かれていた講堂(現在の記念館二階)に戻され、百年の歳月を超えて、再び美しい音色を奏でるようになったのです。
一時期はお蔵入りしていたようですね。
息を吹き返した百年ピアノ、今後の活躍が益々楽しみです。
百年ピアノからさらに奥へ、奉安所の右手前に足を運ぶとパネルがありました。
奉安所の解説文ですね。
戦前の学校では、新年・紀元節(神武天皇が即位したとされる日)・天長節(天皇誕生日)・明治節(明治天皇誕生日)の国家祝祭日に、「御真影」(天皇・皇后の写真)に最敬礼し、『教育勅語』を奉読する儀式を行うことが求められました。
開校の明治42(1909)年9月に奈良女子高等師範学校に下賜された御真影と教育勅語は、普段は正門脇の「奉安殿」に保管され、儀式の際には、この奉安所に御真影が掲げられ、その前で校長が教育勅語を奉読したのです。近代の日本教育史上、歴史的な遺品としてたいへん貴重です。
シャンデリア上部の花形飾り。
換気口の役割も担っているようです。
再び奉安殿。
ショウジョウバエの飼育室として、GHQから使用許可を得たというエピソード。よくぞ生き長らえてくれました。私も生まれてこの方、奉安殿なるものを拝見したのはおそらく初めてです。百年ピアノも必見ですが、それを上回る歴史体験ではないでしょうか。
奉安殿の解説文。
この建物は、1934(昭和9)年に奈良女子高等師範学校創立25周年を記念して、本学同窓会(佐保会)から寄贈された「奉安殿」である(「奉安庫」又は「奉安所」とも呼ばれる)。
「奉安殿」は第二次世界大戦中まで、全国の学校に下付された天皇・皇后の写真(御真影)や教育勅語を納めていた建物である。戦後、民主化が進む中で、学校から御真影が撤去されたことに伴って、ほとんどの「奉安殿」が解体され、今では、ごく少数が残るのみである。
本学に残るこの「奉安殿」には、「戦後、本学の生物学教員が、日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と交渉し、遺伝の研究用にショウジョウバエの飼育室として使う許可を得たため、破壊を免れた」という逸話が伝えられており、時代の変遷を物語る貴重な歴史の証人である。
正門から垣間見える記念館。
女子大学らしい意匠で、時代を超えたセンスを感じます。
奈良市きたまち鍋屋観光案内所。
奈良女子大学の正門から斜め右前に位置しています。旧鍋屋交番で、現在は観光案内所として活用されています。
可愛い造りの建物です。
かつての宿直室はギャラリーになっていて、散策ついでに立ち寄ってみるのもいいですね。
案内所からさらに手前にある初宮神社。
春日大社の境外末社の一つです。
この日は静かでしたが、定期的に古本市が開かれているようです。
国指定重要文化財の記念館を見学し、とても有意義な一日となりました。十輪院~興福寺中金堂~奈良女子大学記念館~天平菊絵巻~頭塔と辿った秋の奈良散策。また追ってレポートしていこうと思います。