懿徳天皇陵!橿原神宮周辺そぞろ歩き

畝傍山近くの懿徳天皇陵をご案内します。

橿原神宮南の深田池の畔を歩きながらぶらぶら散策していると、左側に神饌田が見えてきました。

そのまま鳥居をくぐって外へ出ると、近鉄南大阪線の橿原神宮西口駅があります。

久米寺にお参りしたいと思い、橿原神宮西口駅の改札に座っておられた駅員さんにアクセス方法を教えて頂き、いざ出発。ところが、周辺に不案内なため迷ってしまいました。仕方なく元来た道を引き返すべく、橿原神宮方面へ歩いていると何やら天皇陵らしき場所に出ました。

懿徳天皇陵駐車場

懿徳天皇陵の駐車場。

懿徳(いとく)天皇は第4代天皇とされます。欠史八代の中の天皇ということで、その実在が疑問視されている天皇ではありますが、立派な陵が橿原神宮の近くに存在していました。

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「畝火山の真名子谷の上」に葬られた懿徳天皇

道路をはさんで天皇陵と駐車場が向き合います。

周囲には民家も建っていて、道幅もそんなに広くはなく、どちらかと言えば生活道路といった感じでした。

懿徳天皇陵

懿徳天皇陵へのアプローチ。

石段を登って一段、もしくは二段高い所に設けられていることの多い天皇陵。ところが、懿徳天皇陵はそのまま真っすぐ直進して参拝することができます。

懿徳天皇陵

難しい漢字ですよね。

難読漢字の極みのような「懿徳」という表記。すんなり 「いとく」 と読める人は少ないのではないでしょうか。

結局この後、聖心学園や奈良芸術短大などのスクールゾーンを通って久米寺へアクセスすることになりました。改めて地図で見てみると、確かにこの辺りは不案内な土地でした。

でも、こうやって新しい発見があるのも道に迷うことの特権です。懿徳天皇陵の南方には、第28代天皇の宣化天皇陵があります。

宣化天皇陵・鳥屋ミサンザイ古墳@橿原市鳥屋町
前方後円墳の鳥屋見三才(みさんざい)古墳。県立橿原高校に程近い場所にある古墳で、古くから御陵として言い伝えられています。第28代宣化天皇陵として宮内庁の管轄下に置かれ、墳丘の中に入ることは出来ません。周辺には新沢千塚古墳群や益田池堤跡などが...

畝傍山の周辺は、天皇陵の密集地帯といったところでしょう。

駐車禁止道路標識

橿原神宮に近いためでしょうか、大晦日からお正月三箇日にかけての駐車禁止の道路標識があちこちに見られます。

橿原神宮の駐車場は以前は無料でしたが、現在は有料化されています。

その影響もあってか、神宮の周辺道路に駐車する参拝客が多かったのかもしれません。12月31日~1月3日という限定表示付きの道路標識は珍しいですね。少なくとも私は初めて見ました。

懿徳天皇陵

畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごたにのえのみささぎ)に葬られたとされる懿徳天皇。

古事記には「畝火山の真名子谷の上」と記されます。

JRの駅名にもある畝傍(うねび)。

奈良の難読地名では必ず例に挙げられる畝傍ですが、畝傍のウネは山の尾根のうねり回った所を意味しています。ビは文字通り、その傍らです。

橿原神宮の外拝殿の背後に見える畝傍山は、万葉集にも歌われた秀麗な山です。

「香久山は 畝傍を愛(を)しと 耳梨と相争ひき」とあります。大和三山の中で畝傍山の位置づけは女性だったことが伺えます。

懿徳天皇陵

ひょんなことで巡り会えた懿徳天皇陵。

最寄駅は近鉄南大阪線の橿原神宮西口駅で、駅から北へ300mほどの場所に位置しています。住所は橿原市西池尻町です。

ちなみに畝傍山西麓には、第3代安寧天皇陵があります。橿原神宮の周辺情報としてお役に立てれば幸いです。

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