醍醐町環濠跡。
国道165号線から南へ歩を進めると、環濠集落の跡があります。
位置的には横大路(伊勢街道)の少し南方です。伊勢街道の散策がてら、寄り道してみるのもいいですね。
醍醐町環濠跡。
醍醐町の町並みに中世の面影を感じます。
自衛のために築かれた環濠集落ですが、奈良県内を歩いているとあちこちで目にすることができます。環濠集落跡の市杵島神社、環濠集落跡の唐古・鍵遺跡の記事でもご案内しました。その他、山の辺の道のハイキングコースにも有名な竹之内環濠集落があります。
広大な藤原京の中!自衛手段の環濠集落
この辺りはかつて、持統天皇の藤原京があった場所とされます。
藤原宮大極殿跡は大字醍醐の東南隅に当たります。大極殿(だいこくでん)が醍醐の地名由来になっているのでしょうか。定かには分かりませんが、同じく藤原宮跡内には内膳(ないぜん)や膳夫(かしわて)といった昔の都跡を思わせる地名が残されています。
鎌倉時代から室町時代にかけて築かれた醍醐町環濠跡。
自衛の手段を講じるために築かれた環濠集落ですが、時に不当・過酷な支配者からの要求に反発するため、あるいは地方豪族の争いを避けるためにこのようなお濠が巡らされたと伝わります。
国道165号線から南に入り、JRの踏切を渡ってすぐ左手に醍醐会館があります。
地元の方々の寄り合いの場所として利用されているものと思われます。
しばらく進むと、左手に醍醐町環濠跡の案内板がフェンスに掲げられていました。
左へ曲がると、醍醐町環濠跡を見学することができます。
村落の周辺に二間幅ぐらいの溝が掘られ、内側に土居を盛り上げて竹木が植えられたと伝わります。
村の人たちは百姓仕事の傍ら、外部からの侵入を防ぐために武装体制をとりました。ぽっかりと穴を開けた隙間から楽しむタイムトラベル。奈良の歴史の醍醐味はこんなところでも味わうことができます。