首を斬られて亡くなった第20代安康天皇。
そこから皇位継承をめぐる争いが起こります。古代におけるドロドロした骨肉の争い・・・その渦中で末弟の大長谷王子(おおはつせのみこ)に命を奪われたのが、兄の黒彦皇子(くろひこのみこ)でした。
坂合黒彦皇子墓(さかあいの くろひこのみこのはか)。
安政年間に御陵に指定され、現在は宮内庁管轄になっています。
第19代允恭天皇、第20代安康天皇、第21代雄略天皇の系譜に埋もれた皇子のお墓です。めでたく第21代天皇として皇統に名を連ねた雄略天皇こそが、兄を斬殺した大長谷王子・大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)に当たります。
大淀町今木に眠る允恭天皇皇子
第20代安康天皇の御代は、わずか3年で幕を閉じます。
安康天皇の跡には、3人の弟が残されました。
黒彦皇子(クロヒコノミコ)、白彦皇子(シロヒコノミコ)、そして末弟の大泊瀬皇子(オオハツセノミコ)です。
兄である安康天皇の死に遭い、末弟のオオハツセノミコは怒りを爆発させます。そこで、兄のクロヒコノミコとシロヒコノミコに相談に行きましたが、二人ともあまり関心を示さなかったと云います。
坂合黒彦皇子墓の道標。
国道309号線沿いにあり、蘇我入鹿を仰ぐ甲神社からも徒歩圏内です。周辺には泉徳寺や保久良古墳もあり、歴史散策にはおすすめのエリアです。
この細い道を伝って行きます。
右手の石垣は民家のものです。
行く手を右へ曲がると、御陵に続く石段が見えてきます。
こちらは御陵正面。
静謐を守る陵のことですから、何も特筆すべきものは見当たりません。
兄であり、天皇でもあった安康天皇を斬殺されて平静を失ったオオハツセノミコ。
相談に行った二人の兄にもどっちつかずの態度を取られ、遂にオオハツセノミコは手を掛けてしまいます。クロヒコノミコを刀で斬り、シロヒコノミコを生き埋めにして命を奪いました。
敢え無く斬殺されたクロヒコノミコ。
その魂が眠ります。
允恭天皇の皇子に当たる人物であったことが示されます。
御陵はいつも静かです。
ちょっとした高台にあって、眺めは良好です。
こんな感じ。
下を通る道からも、御陵の鳥居が見えています。
それにしても、雄略天皇にはいつも薄情なイメージがつきまといます。桜井市の秉田神社にも赤猪子伝説が伝わりますが、雄略天皇の人物像を浮き彫りにしています。はたして、実際はどんな人だったのでしょうか。
御陵の右手。
生垣が真っ直ぐ綺麗に伸びていました。
御陵へと続く石段。
所々に苔が生え、風情を醸しています。
国道沿いに下りてくると、よどりタクシーの停留所がありました。
「今木駐在所前」です。
黒彦皇子の物語は『古事記』にも記載され、皇位継承に揺れた歴史に想いを馳せます。