奈良交通バス「馬佐口(ばさぐち)」近くの古墳。
国道169号線沿いから北の丘陵を上がって行くと、吉野地域を代表する槇ヶ峯古墳が姿を現します。石棚を持つ岩橋(いわせ)型の横穴式石室が開口しており、石室の中に入ることも出来ます。
横穴式石室の中から開口部を見上げます。
残念ながら玄室へと続く羨道は削平を受けており、いきなり玄門付近から入るような格好です。
緑泥片岩の割石を巧みに積み上げて造られています。現状の石室は、呆気にとられるほど奥行きがありません。しかしながら、県下でも三例しか見られない石棚を見学することができました。
紀ノ川下流域の古代豪族・紀氏の影響?玄室内の石棚
石棚を持つ古墳。
以前に平群町の三里古墳を見学しましたが、その横穴式石室は天井石がすっかり失われており、肝心の石棚も露天に晒されていました。その点、槇ヶ峯古墳の石室は天井石に守られています。
槇ヶ峯古墳の石棚。
玄室内の奥壁に張り付くように、棚状の構造物がありました!
何のための棚なのか、その用途は明らかになっていませんが、歴史にミステリーは付き物ですよね。この石棚構造ですが、紀ノ川下流域の岩橋(いわせ)千塚古墳群につながる特徴とされています。
槇ヶ峯古墳の墳丘。
背後からの撮影です。
周りには竹林が広がり、円墳とおぼしき小さな墳丘が姿を現しました。
槇ヶ峯古墳(槇ヶ峯1号墳)の案内板。
所在地は、奈良県吉野郡大淀町新野(にの)です。
新野地区の丘陵には数基の古墳が点在している。そのひとつである槇ヶ峯古墳は、標高約200mの丘陵上に築かれた、直径11m、高さ2.6m以上の、約1400年前の古墳である。
槇ヶ峯古墳は付近で採れる結晶片岩を積み上げた、全長約5.5m以上の横穴式石室を有している。石室は南西方面に開いており、奥の部屋が長さ2.2m、幅・高さ共に約1.6m、手前の通路部分はすでに失われているが、長さ3.3m以上と推定される。また、石室の奥壁に寄せて、幅110cm、奥行き80cm、厚さ約10cmの板石による、棚状の構造物(石棚)がみられる。
石棚を持つ石室は、和歌山県の紀ノ川下流域に数多くみられ、奈良県内では、槇ヶ峯古墳、下市町の岡峯古墳、平群町の三里古墳の3箇所でしか見つかっておらず、貴重である。この古墳は、紀ノ川下流域を本拠とした古代豪族の紀氏と、当時の吉野地域の交流を知る手掛かりとして、歴史的な意義を有している。
なお、この古墳を含む約455㎡の敷地は、平成18年8月8日、故橋本藤三郎氏(上比曽)のご厚意により大淀町へ寄付を受けた。また、古墳の重要性が認められたことから、平成19(2007)年1月19日、町指定史跡となった。
特異な石棚の見られる古墳であることが解説されています。
おそらく古代豪族紀氏との深い交流があったのでしょう。
馬佐口から急勾配の墓地を抜けてアクセス
槇ヶ峯古墳の行き方をご案内します。
国道近くにある古墳ですので、比較的見つけやすいでしょう。
国道169号線を吉野方面へ向けて走ります。近鉄越部駅を過ぎた辺りから、注意しながら走行しましょう。しばらく東進していると、右手にキリン堂やコメリの量販店が見えてきます。ちょうどその辺りに、奈良交通バスの馬佐口バス停があります。左手の馬佐エリアへ上がって行く手前左側がポイントになります。
こちらは大淀コミュニティバス『よどりバス』の馬佐口バス停。
アクセスポイントに辿り着いたら、来た道を折り返すように左へ取ります。
ここです。
槇ヶ峯古墳まで340mと出ています。
坂道を上がって振り返ったところ。
高架下の右手の道が国道169号線です。
どんどん登って行きます。
槇ヶ峯古墳へ辿り着くためには、新野(にの)区の共同墓地を通り抜ける必要があります。かなり傾斜角度のある墓地で、少々息も上がります。
共同墓地を抜けると、地道に入ります。
さらに歩を進めると、行く手に竹林と東屋が見えて参りました。
どうやらこの辺りのようです。
古墳前の休憩所でしょうか。
ここまで整備されているとは、思ってもみませんでした。
大淀町の史跡指定を受けただけのことはありますね。
「槇峯庵」と書かれています。
アクセスルートが急勾配だっただけに、ここで一息ついて下さいという配慮なのかもしれませんね。
古墳裾から「槇峯庵」に振り返ります。
今まで様々な古墳を見学してきましたが、墳丘のすぐ傍に休憩スポットとは珍しい光景です。
開口部ですね。
南西に開いていました。
開口部に近づきます。
6世紀後半の円墳とされます。
槇ヶ峯古墳、槇ヶ峯古墳と言っていますが、正式には槇ヶ峯1号墳なんです。周囲には数基の古墳があるようで、墓地内の六地蔵裏手には槇ヶ峯5号墳も確認することが出来ます。
槇ヶ峯古墳を特徴付ける石棚。
ここは玄室ですが、羨道が削平されているために十分な光が届いています。
薄手の緑泥石が積み上げられていますね。
古代から変わらぬ空間に身を置き、奈良の歴史の深さに改めて感じ入ります。
玄室の奥角。
開放的な三里古墳もいいですが、やはり石室インの体験ができる古墳は貴重です。
果たして被葬者は誰なのでしょうか?
ほとんどの古墳で未判明の埋葬された人物。謎解きの一番のキーポイントでありながら、あまり気にならなくなるほどの石室の見事さです。
緑泥片岩とはよく言ったもので、確かに表面が緑色がかっています。
専門家ではないので確たることは言えませんが、まさか苔ではないでしょう(笑)
外光がすぐそこに届いています。
太陽光線が石室内に降り注ぎ、なかなか素敵な一枚となりました。
槇ヶ峯古墳の石室内。
コンパクトな空間を楽しみます。
おっ、これは石棺でしょうか。
組合式石棺の一部だと思われます。
石棚の下に潜り込んで、その裏側を覗き込みます。
こちらもやや緑色がかっていますね。
石室の外へと出ます。
小さな横穴式石室ではありましたが、やはりホッとしますね。石室に入る前は、いつも心の手を合わせる習慣が付いていますが、なかなか慣れるものではありません。
奈良には古墳が多い。
その魅力を伝えるためには、やはり中に入らなければダイレクトには伝わらない。もちろん、失礼な行為なのかもしれません。その謙虚な気持ちは持ち続ける必要があるんだろうと思います。
槇ヶ峯古墳の周りの竹林。
奈良県内で叢(くさむら)を見れば神社、竹林を見れば古墳の可能性が高いとよく言われます。確かに竹林の中の古墳は枚挙にいとまがありません。
古墳の裾に、土中から盛り上がる竹が!
こうして見ると、竹林と古墳は共生関係にあるのかもしれませんね。
帰り道。
共同墓地の背後から下界を見下ろします。
アスファルトから地道に変わっている境界線がありますが、あそこが墓地の最終ラインなのかもしれません。
ここです。
アスファルト道が途切れてからも、さらに上手へと登って行きます。
槇ヶ峯古墳へのアクセスは、ちょっとした運動になります。運動不足の方には特におすすめします。
奈良交通の馬佐口バス停。
墓地から下りて来た所がバスの停留所です。
この後、同じく国道沿いの新野稲荷神社内にある稲荷山古墳を目指しました。