多武峯談山神社と対峙するお社。
今木に鎮座する甲(かぶと)神社には、蘇我入鹿の甲や鎧が祀られているそうです。入鹿の政敵は中臣鎌足(藤原鎌足)で、談山神社の御祭神です。その鎌足と組んだ中大兄皇子の息子の殯塚が近くにあるのも何かの因縁でしょうか。
甲神社の鳥居。
社号標も立派ですね。
泉徳寺から国道309号線を挟んだ北側にありました。泉徳寺からだと、徒歩2~3分の距離でしょうか。
春日造の本殿と御神木
奈良県内には蘇我入鹿ゆかりの地が幾つか存在します。
はねられた入鹿の首が飛んで来たという入鹿神社や「入鹿の首塚」、さらには蘇我蝦夷・入鹿父子が邸宅を築いた「甘樫丘」などが有名ですよね。
入鹿神社のある橿原市小綱町では、多武峯方面への嫁入りが疎まれていたようです。多武峯は敵である鎌足が祀られている場所ですからね、分からなくもありません。同じ理由で、今木エリアから桜井市方面への嫁入りや婿入りは無かったと伝わります。
甲神社本殿。
春日造の立派な本殿です。
甲神社の御祭神に名を連ねるのは、大貴己命、素盞嗚命、月読命、保食命です。入鹿が御祭神というわけではないようですが、神社の御神宝として入鹿の甲や鎧が伝わっています。
本殿の横には御神木が聳えていました。
古くから「入鹿大明神」と称され、近隣住民に信奉されるお社です。
入鹿の命日である9月23日には、秋祭りの例祭として子供巫女舞が行われてきたそうです。現在は10月の第2日曜日に開催されています。平城宮跡で行われる大立山まつりのステージイベントでも、「今木甲神社の秋まつり」が披露されたようです。
鳥居前の道標。
泉徳寺(今木権現堂)までの距離は170mと出ていますね。
今木の集落内にひっそりと佇みます。
それにしても、入鹿が身に着けていたであろう甲を見てみたいものです。
甲神社の狛犬。
阿吽の狛犬が、鳥居奥に陣取っていました。
甲神社拝殿。
簡素な造りの拝殿です。
拝殿の屋根瓦に目をやると、「甲」の文字が刻まれていました。
「甲」という字は、見ての通り ”亀の甲羅” を象っています。六角形の亀甲(きっこう)は吉祥の験でもあり、お醤油のキッコーマンの名前の由来にもなっていますよね。参拝客に向けて示される「甲」の字に、思わず手を合わせます。
拝殿の右後方へ回り込みます。
拝殿後方に本殿、さらにその奥には深い杜が広がっていました。
石燈籠の間の階段を上がり、立派な御神木に近づきます。
春日造本殿の背後は ”聖域” を思わせる杜です。「杜」は「守」であり、今木の産土神としてこの地を長年見守ってきたことでしょう。
御神木の前には石と立札が見られます。
瑞垣に囲われた本殿は流造のようです。
一段高い場所に祀られています。
脇にも小さな社殿がありました。
立札には「遥拝所」と書かれていますね。
どこに向かって祈りを捧げているのでしょうか。ちょっと気になります。
本殿の背後にも回り込むことができます。
杜の中の空気は澄み渡っています。草木が繁茂しているわけではなく、綺麗に整地されているような印象です。
深遠な杜に守られてきた神様。
吉野の地で入鹿大明神に出会えるとは、思いもしない好運でした。
かつて今木には、大陸からの渡来人たちが暮らしていたのでしょうか。今はひっそりとした集落ですが、昔は比較的開けた場所だったのかもしれませんね。