桜井市白河に鎮座する秉田(ひきた)神社。
古事記に語られる雄略天皇「赤猪子伝説」ゆかりの地でもあります。桜井市民でありながら、白河集落の西方に鎮まるこのお社を訪れたのは今回が初めてでした。
秉田神社本殿。
秉田神社の御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)で、大神神社と同じく大物主を祀っています。明治期に入り、近隣の高龗神(葛神社)と豊受比売命(稲荷神社)が合祀されています。秉田神社は延喜式神名帳の曳田神社に比定されています。
雄略天皇を待ち続けた赤猪子
引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)。
雄略天皇が三輪の川に遊びに行った時、川で洗濯をしている美しい少女に出会いました。その少女の名前が赤猪子(あかいこ)、引田部赤猪子でした。
秉田神社拝殿。
引田部とは大和国城上郡辟田(現在の桜井市初瀬付近)の部民のことを指します。大神朝臣の末裔であり、神名帳に記載される「曳田神社」の祭祀に当たっていたと考えられます。引田とは白河のことであり、赤猪子の伝承地でもあります。
ちなみに赤猪子という名前は、この付近にイノシシが多かったことに因むようです。今も水田の周りには獣除けの柵がしてあり、あながち嘘でもないようなお話ですね。
泊瀬朝倉の宮で天下を治めた雄略天皇。
伊勢街道沿いの白山神社には、今も雄略天皇の万葉歌碑が建っています。この地に所縁のある雄略天皇と赤猪子・・・美しい赤猪子を見初めた雄略天皇は、「今に呼び寄せるから、結婚しないで待っているように」と告げて宮に帰って行きます。
その言葉を信じて待ち続けた赤猪子。
ところが、80年が経過しても雄略天皇は現れません。すっかり老いてしまった赤猪子は、その気持ちを伝えるべく天皇の元を訪れます。そんな約束などすっかり忘れていた天皇は、驚いてお詫びの気持ちを歌に託します。
引田(ひけた)の 若栗栖原(わかくるすばら) 若くへに 率寝(ゐね)てましもの 老いにけるかも
歌の意味はこうです。
あなたと出会った引田の若々しい栗林。若い内に共寝しておけばよかったのに、私はもう年老いてしまいましたよ。赤猪子ではなく、年老いてしまったのは自分の方である・・・と歌っています。お詫びと共に、たくさんの品を与えられた赤猪子ではありますが、その心中やいかに(笑)
白河の棚田風景を見ながら秉田神社へアクセス
秉田神社への道のりをご案内致します。
まずは長谷寺方面へ向けて車を走らせます。出雲エリアに入り、狛・岩坂への分岐点に差し掛かります。右へ行くと狛・岩坂地区ですが、その向こうに歩道橋が架かっています。その歩道橋を過ぎると、すぐ左手に道が伸びています。そこを登って行きます。
しばらく道なりに登って行くと、秉田神社を案内する看板が出ていました。
秉田神社の道案内。
左折すると秉田神社、このまま坂道を登って左へ折れると高山(こうぜん)神社です。
ちなみに龍王池(トドロキノフチ)があるという高山神社ですが、ここから徒歩で向かうのは無理です。車でひたすら細い林道を登って行くことになります。天武天皇行幸の地であり、雨乞いで知られる伝承・迹驚淵(とどろきのふち)も行ってみたい場所の一つですね。
秉田神社へ続く坂道。
この畦道のような細い道路を登って行きます。両側には棚田が広がり、長閑な風景に心が癒されます。車で秉田神社の手前まで登って行くことも可能ですが、かなり道幅が狭いことを覚悟しておいて下さい。私はこの手前に路駐して、徒歩で秉田神社を目指しました。
この地点です。
「白河の郷菜の花プロジェクト」の看板が出ていました。
今来た道を振り返ります。
出雲の分岐点から車で上がって来た坂道です。
さぁ、秉田神社を目指してのんびりと歩いて行きます。
のどかですね~、国道から少し入った所にこんなエリアがあったとは思いもしませんでした。
道の両側には棚田が広がっていました。
桜井市内には棚田の名所がたくさんあります。
吉隠・狛・岩坂・出雲などに広がる隠国の棚田をはじめ、越塚古墳近くの下り尾の棚田も実に見事です。明日香村にある稲渕の棚田にばかりスポットライトが当たっていますが、桜井市も負けてはいません。
田植えを終えたばかりの水田は美しいですね。
周りを山々に囲まれた隠国の里・・・初瀬エリアならではの光景が広がります。
かなり上手まで登って来ると、右手に花菖蒲らしき群生が見られました。
来た道を振り返り、山々を背景に撮影します。
おっ、こちらは枇杷ですね。
今が出盛りのビワです。スーパーの果物売場でも、堂々と主役を張っています。
アザミも咲いていました。
開発の中で失われつつある古き良き日本の風景に浸ります。
坂道の頂点に達した所で、今度は右に曲がります。
うん?これは一体何でしょうか。
缶ビールの空き缶がポールの上に被さります。
おそらく風が吹くと、カランカランと音を立てるのでしょう。
稲作にとっての外敵を追い払う道具だと思われます。さぁ、あともう少しで目的地の秉田神社です。
最終コーナーを回り込みます。
行く手に鳥居が見えていますね。
古事記の赤猪子伝承地・秉田神社。
道路沿いに車を停めてここまで上がって来ましたが、所要時間は10分ほどだったでしょうか。そんなに遠くありませんので、皆さんも是非トライしてみて下さい。
鳥居の前後に、それぞれ一対の石灯籠が建ちます。
鳥居の右手向こうには、御神木が見えますね。木の幹に注連縄が張られ、純白の紙垂が下がっています。
記紀・万葉ゆかりの地として「大和さくらい100選」にも選ばれているようです。
桜井記紀万葉プロジェクト推進協議会発行の冊子によれば、秉田神社には鬼鎮(けいちん)という伝統行事があるようです。イベントの説明欄には、”2月11日・春分の日に供える秉田神社への供物” と記されています。鬼鎮行事では、梅の木の枝で作った弓矢で、鬼を射るという所作が行われるそうです。実際にどんなものか、一度拝見してみたいですね。
秉田神社の扁額。
石鳥居にも注連縄と紙垂が張られています。いよいよ俗界から神域へと足を踏み入れます。
三輪山南東に鎮まる白河の本殿
秉田神社の所在地である白河(しらが)は、三輪山の南東方向に位置しています。
旧初瀬町の大字に属していましたが、今は30軒余りの家々が集落を形成しています。白河に居住している人でない限り、あまり足を踏み入れることのないエリアです。よって秉田神社のことをご存知でない方も多いでしょう。私もその内の一人でしたが、今回初めて秉田神社の境内に入ることになります。
奥に見えている建物が拝殿のようです。
左側は崖になっており、奉納者の石碑が玉垣のように並んでいました。
秉田神社拝殿。
拝殿の横にも石燈籠が建っていますね。
小さいながらも向拝が付き、その下に狛犬が陣取ります。
拝殿右斜め前には手水舎がありました。
簡素な造りですが、ここにも神社でよく見られるバッテン(×)印が!
橿原神宮本殿参拝の日にご神職からお伺いしたことがあるのですが、この×印は結界を意味しているそうです。まぁ、この手水舎にそんな深い意味があるのか分かりませんが、ここには少なくともそう感じさせる神秘的な空気が漂っています。
秉田神社の宮司の御名が書かれていますね。
その上の波打つ注連縄が蛇を連想させます。
古事記の赤猪子伝承が案内されていました。
古文調で少し分かりづらいですが、大体の意味は読み取れます。
拝殿の裏に回ってみました。
急傾斜の石段が付いていますね。どうやらあそこから本殿に上がれるようです。
秉田神社本殿。
覆い屋根に囲われ、鮮やかな彩色の本殿が姿を現しました。
両端にちょこんと狛犬が座っています。
頑丈そうな石の台座の上に祀られていました。
2003年4月に土間打ちが行われたようです。
21世紀になってから整備されたのですね。人里離れた山奥に鎮まる神様故、維持する労力も大変なものと思われます。
ブルーと朱色を取り合わせた鮮やかな本殿。
ここでも気付きましたが、やはり紙垂(しで)は「四手」とも書くぐらいですから四つぶら下がっているのが基本のようです。
本殿前から拝殿を見下ろします。
かなりの急勾配です。
秉田神社本殿の狛犬。
合計4体の狛犬が配されており、こちらは本殿の右下に陣取る阿形の狛犬です。
こんな感じの配置です。
本殿の外陣とも言うべき場所にも二体の狛犬が居ます。
内と外で厳重に御本殿を守っています。
お寺に例えるなら、賓頭盧尊者が祀られている場所ですよね。
こちらは外陣とは言え、建物に上がることを許された狛犬です。
蟇股の意匠。
流れるような雲がデザインされているのでしょうか。
拝殿手前の磐座。
不思議な形をした小さな岩を見つけました。
何だか意味ありげな磐座です。
秉田神社の帰り道。
帰路はここから左手へ下りて行きます。見事なグリーンの棚田が眼前に広がります。道路脇のネットですが、おそらく獣除けだと思われます。赤猪子伝承の地ということで、いやがおうにもイノシシの姿が頭に浮かびます。
絶景です!
棚田風景を見るだけでも、秉田神社を訪れる価値はあります。
季節の風物詩に触れることもできます。
楽しみ方は色々あっていいと思います。
古事記が好きな人、神社建築が好きな人、田舎の風景が好きな人、ウォーキングが好きな人と、人の好みは千差万別です。何の縛りも無く、ふらっと立ち寄れる時間が有難いのです。かくして、秉田神社参拝の目的も色々あっていいと思います。知らない神社を訪れてみるのも、きっといい体験になるのではないでしょうか。