大淀町今木にある泉徳寺(今木権現堂)。
その仁王門脇に、かつての今木の情景を伝える歌碑が建立されています。
泉徳寺(今木権現堂)の仁王門。
大淀町指定文化財の金剛力士像が睨みを利かせる仁王門で、その山門上には天狗の姿も見られます。仁王門へ続く石段は急勾配で、深い緑の苔に覆われていました。
斉明天皇の哀歌&持統天皇のお供が詠んだ万葉歌
仁王門の両脇に万葉歌碑が建っていました。
かつての万葉人たちは、度々今木の丘を通っていたのでしょう。渡来人が住んだ場所とも言われる今木ですが、昔の表記は「今城」です。「城」は「墓」にも通じ、弔いの場所であったのかもしれません。
斉明天皇の万葉歌碑。
仁王門向かって右側にありました。
今城なる 小丘が上に 雲だにも 著くし立たば 何か嘆かむ
わずか8歳で亡くなった建王の死を悼む斉明天皇。
不憫であった孫の死を見届け、その悲しみを歌に託しました。今も今木の地に、建王の殯塚があります。泉徳寺からも徒歩圏内ですので、是非足を延ばしてみましょう。
泉徳寺の木造金剛力士像。
阿形の仁王様ですね。
この阿形像の内側に墨書銘が見つかり、明暦2(1656)年に造像されたことが分かっています。言い伝えによれば、泉州堺の大寺より天狗が両脇に抱えて飛来したとのことです。なるほど、それで二体の仁王像の真上には天狗像がいらっしゃるわけですね。
苔生した石段。
年月を感じさせます。
こちらは仁王門向かって左側の万葉歌碑。
藤波の 散らまく惜しみ 霍公鳥 今城の岡を 鳴きて越ゆなり
藤の花が散るのを惜しんで、霍公鳥(ホトトギス)が今城の岡を鳴いて飛んで行くよ・・・。
今木の初夏の情景が蘇りますね。
万葉歌碑の解説です。
大淀町教育委員会による注釈が入っています。
今城の岡は、今木付近の丘という。
今木峠越えは、飛鳥から吉野へ抜ける道の中で、西寄りの迂回路ではあるが、最も緩やかな道筋である。
確かに飛鳥方面から吉野へ抜ける道は幾つかありますが、世尊寺などに比べれば随分西側に位置しています。
仁王門前から泉徳寺本堂を見下ろします。
現在、泉徳寺の本堂には薬師如来坐像(鎌倉時代)が安置されています。
「今城丘(いまきのおか)」。
古代を知る上で、一つのキーワードとも言える場所ではないでしょうか。