妙好人(みょうこうにん)という言葉を初めて知りました。
浄土教における篤信者を表し、信心深く感謝の心で生活する人のことを指します。妙好人と言えば、大和清九郎。大和清九郎の右に出る者はいないと言っても過言ではないでしょう。その清九郎の菩提所が大淀町鉾立にありました。
光蓮寺本堂。
鉾立コミュニティセンターより上手に佇みます。
今回本堂内を拝観することは出来ませんでしたが、御位牌や清九郎の生涯を描いた「清九郎絵伝」が伝わるようです。光蓮寺へのアクセスは、県道222号今木出口線から北へ入り、細い道を登って行きます。対向車の有無が気になる狭い道ですが、注意しながら参りましょう。
清九郎の墓もある鉾立!無学文盲の孝行人
清九郎ゆかりの地ですが、光蓮寺の他にもあります。
高取町丹生谷の因光寺へ行けば、大和清九郎の銅像が建っています。因光寺域内には大和清九郎会館もあり、様々な資料が展示されているようです。近鉄吉野線葛駅から徒歩5分ほどの場所ですので、ご興味のある方は是非足を向けてみましょう。
県道今木出口線の脇に立つ道標。
「鉾立光蓮寺」まで1,500mと出ています。
県道から北(右)へ折れるポイント。
大淀町鉾立には清九郎の墓もあります。ここを右折せず、さらに進んで右へ上がって行くと石神古墳や大岩大日堂があります。この辺りは車の往来も少ないエリアですね。辺りはひっそりとしていました。
鉾立コミュニティセンター。
右折ポイントから上り詰めた場所にありました。鉾立集落の方々の寄り合いがあるのでしょう。
よどりタクシー(大淀町デマンドタクシー)の停留所にもなっていました。
コミュニティセンターからさらに上手に光蓮寺はあります。
鉾立コミュニティセンターから光蓮寺を目指します。
集落の手前、電柱に「ホコタテ」の文字が見えます。
8月15日に光蓮寺に於いて、盂蘭盆の歓喜会法要が行われるようです。
坂道を登って行くと、清九郎菩提所の光蓮寺が案内されていました。
ここを左へ取ります。
行く先に石碑がありますね。
石碑手前で二手に道が分かれているようです。
右へ行けば墓所、左に取れば光蓮寺のようです。
比較的新しい案内板が立っています。
妙好人には無学文盲の人も多く見受けられます。
簡潔に言えば、人には頭と心があります。行き着くところ、頭よりも心が大切なんだろうと思うことがあります。妙好人という言葉は、浄土宗や浄土真宗の篤信者に充てられることが多いようです。そうは言うものの、宗派など関係ないような気もします。
空海の真言密教にも、智恵の金剛界と慈悲の胎蔵界があります。金胎不二と言って二つ揃って一つです。分かちがたく結び付く智恵と慈悲。頭と心は二つ揃って一つなのです。そのことを踏まえつつ、究極どちらに落ち着くのかと言えば、やはり慈悲であり心なのかなとも思います。
頭で分かっていても心にストンと落ちないものは、所詮借り物に過ぎません。
妙好人大和清九郎の案内板。
「鉾立の清九郎さん」・「妙好人中の妙好人」と、宗派を超え、念仏者の鏡と慕われ、その足跡を偲んで、今日でも全国からお参りが絶えない。
寛延2年(1749年)本願寺大谷派の学僧、石見の国(島根県)出身の実成院 仰誓師が、鉾立に出向き、清九郎に面談して「希有最勝の信者に値遇し、あまりの尊さに、我ひとりかかる有り難きことを見聞せしは本意なきことなり」と、後に『妙好人伝』を撰述し、面談の経緯や、人を誘って再び会いに行ったことまで特に枚数を費やし、清九郎を顕彰している。
妙好人という呼称は、中国浄土教の善導大師が、『観無量寿経』中の「分陀利華 ぶんだりげ」を訳する『観経疏 かんきょうしょ』中で、「若し念佛する者は、即ち是人中の好人なり。人中の妙好人なり。」とあることに由来している。
妙好人の多くは、文字も知らず、これといった地位も無い人々だが、人生の苦悩をなめ、真剣に道を問い、回心の後は、煩悩の世界に在りながら、「おかげさまで」「ようこそ、ようこそ、」と、お念佛の中で、力強く、心豊かに日暮らしした姿に、多くの人が魅せられた。
反面、忠孝感恩の道に励む体制順応的な生き方に、当時の封建支配体制を内面から支える役目を担わされたとの見方もあるが、こうした妙好人像は幕末の一揆頻発、新宗教の勃興などの世相を背景に、『妙好人伝』の編集者の意図が多分に盛り込まれた結果ではなかったかとも察せられる。又、国際日本文化研究センター教授の山折哲雄氏によれば、数多い妙好人と言われる中で、妙好人中の妙好人は、『鉾立清九郎』と、答えています。 大淀町教育委員会
光蓮寺本堂へ続く坂道。
本堂手前にカエデの木が植わっています。紅葉シーズンには綺麗に色付くようですね。
清九郎永代経として、毎年4月18日には浄元忌が執り行われます。
本堂の裏側。
掃除道具が置かれていました。
鄙びた山寺ですね。
妙好人清九郎の菩提所としてふさわしい佇まい・・・
青もみじの楓。
晩秋にも訪れてみたいですね。
清九郎の墓へと通じる道。
人のあまり通らない山道のようです。
こんな所を通ります。
獣除けのフェンスにぶつかりました。
10分ほど歩けば清九郎の墓があるようですが、今回はここで退散。
光蓮寺近くにも墓石がありました。
どなたの墓でしょう?
親孝行をしたいと思ったら親がいない。そんな話をよく聞きます。いつも謙虚に、今いる場所や立場を振り返る余裕を持ちたいものですね。奈良県が誇る妙好人・大和清九郎のご案内でした。