雲海を渡り、説法の旅に出かけるお姿。
騎獅文殊菩薩像を中心とした計五体の渡海文殊群像は、安倍文殊院の本堂に安置されます。本堂奥の壇上に聳え立つ御本尊・文殊菩薩像は像高7mにも及び、日本最大とされます。近年に重要文化財から国宝に格上げされました。
日本三文殊第一霊場の安倍文殊院。
勇ましい獅子にまたがる文殊菩薩様です。鎌倉時代の仏像で、快慶の作品。右手に「降魔の利剣」、左手には慈悲・慈愛を象徴する蓮華(ハスの花)を持ちます。巨大な仏像が間接照明で浮かび上がり、背後には影が出来ていました。
善財童子像に須菩提像、釈迦堂の釈迦三尊像!安倍文殊院の仏像拝観
安倍文殊院の心臓部は見ごたえたっぷりです。
渡海文殊の5像は全て国宝です。渡海文殊の左手前において、日本三文殊のお砂踏みも体験できます。丹後の切戸文殊(京都府宮津市)、出羽の亀岡文殊(山形県高畠町)と並び称される安倍の文珠さん。
安倍文殊院山門。
本堂内のみならず、向かって右手の釈迦堂も拝観できました。多武峯妙楽寺(現在の談山神社)の本尊だったという釈迦三尊像が祀られています。説法印を結ぶお釈迦様で、脇侍には文殊菩薩と普賢菩薩がお立ちになられていました。
本堂拝観で手渡された小冊子。
一際大きな文殊師利菩薩像の両脇に、右から優填王像(うでんのうぞう)、善財童子像(ぜんざいどうじぞう)、須菩提像(すぼだいぞう)、維摩居士像(ゆいまこじぞう)が並びます。
維摩居士だけは比較的新しい仏像で、安土桃山時代の作です。ご本尊を含むその他4像は全て、鎌倉時代の快慶作とされます。可愛らしい善財童子が人気ですが、洒脱な感じの須菩提も注目に値します。仏陀波利三蔵とも呼ばれ、バラモンの僧だったようです。文殊菩薩の進言により、“仏頂尊勝陀羅尼経”をインドから中国へ翻訳して広めました。今も須菩提は、文殊菩薩の聖地である五台山(ごだいさん)に留まっていると伝わります。
善財童子のシルエット。
渡海文殊群像の先導役を担う純粋可憐な童子です。
文殊菩薩に呼び止められ、振り返りながら文殊様を見ているお姿とされます。“見返り美人”ならぬ見返り童子なわけですね。
押し潰したような獅子の鼻。
視線の先は善財童子なのでしょうか。獅子の手綱を引く優填王(うでんのう)は怖そうですが、背の低い善財童子は守ってあげたくなります。その気持ちは、獅子とて同じことなのかもしれませんね。
金閣浮御堂(仲麻呂堂)とコスモス。
本堂と浮御堂の共通拝観券を買い求め、浮御堂の七参りを体験しました。魔除け、厄除けにご利益のある「七まいり」は安倍晴明の五芒星にあやかるものでした。一筆書きのセーマンにも似ており、無事に帰還する海女さんのおまじないを思い出します。
七まいりの7枚のお札。
魔除おさめ札の上部に五芒星が描かれます。
安倍文殊院の駐車場と文殊院西古墳。
横穴式石室にばかり目が行きがちですが、こうして墳丘を見ることもできます。
釈迦堂にご本尊をかざします。
釈迦堂の前には仏足石があります。仏像ができる前の崇拝対象ですね。
釈迦堂内には守護奉納仏がずらりと並んでいました。釈迦三尊の側壁に、五千体の守護奉納仏が供養されています。奉納された御仏には、毎朝お勤めが行われるようです。後世まで永代に安置され、合格門近くの十一面観音のミニ奉納仏と共に、毎年11月3日に大法要が執り行われます。
智恵の落雁(らくがん)と本堂。
本葛と寒梅粉を使った和菓子で、目印に五芒星が型押しされています。
共通拝観券にも五芒星がマーキングされています。
智恵を授けて下さいます。
合格祈願のお寺としても知られ、毎年受験シーズンになれば境内は受験生で賑わいます。春先の文殊お会式も、安倍文殊院ならではの行事ですね。
安倍文殊院の本堂は、江戸時代の寛文5年(1665)に再建されています。
元は安倍寺満願寺の本堂だったようです。7間4面の入母屋造りで、本瓦を葺きます。堂前に礼堂が付設され、本堂奥には渡海文殊を安置する大収蔵庫が控えます。
本堂拝観だけでもOKですが、プラス500円で金閣浮御堂の中に入ることが出来ます。
浮御堂の回廊をぐるぐる周りながら、魔除・厄除祈願をする慣わしです。
お札を一枚ずつ納め、七枚全て納めて満願です。
安倍文殊院の本堂拝観では、昔の手押し消防ポンプ「龍吐水」も展示されていました。十二支それぞれに対応する守り本尊に手を合わせることもできます。クライマックスはご本尊御前の五鈷杵に触れ、心を込めた願いを届けます。
境内は一年を通し、季節の花で彩られます。
パンジーで演出する干支花絵をはじめ、木瓜の花、桜、コスモスなどが参拝者の目を楽しませてくれます。全国有数の古墳もあり、見所たっぷりの安倍文殊院でした。