豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)。
聖徳太子の幼名ですね。一度に十人の声を聞き分けたという聖徳太子は、その聡明さで知られます。幼名に「耳」が入っているのも、法隆寺西円堂の錐(きり)と何か関係があるのかもしれません。
法隆寺西円堂と錐(きり)。
耳の病にご利益があるという「峰の薬師」を祀ります。
奈良時代創建の西円堂(八角円堂)は橘夫人の発願により、行基菩薩が建立したと伝わります。鎌倉時代に再建されていますが、由緒ある国宝建築です。
奉納料1,000円の錐!国宝薬師如来坐像に託す願い
西円堂安置の薬師如来坐像。
八角円堂を取り巻く四面扉から中を覗くことができました。
丈六の脱活乾漆像で、ふっくらとした印象です。左手に薬壺を持ち、光背には七仏薬師と千体仏を負います。奈良時代の国宝仏であり、霊験あらたかな雰囲気を醸していました。
拝観受付で錐を購入し、西円堂に奉納。
円柱状の錐に願文をしたため、願文の裏側には氏名(振り仮名入り)と年齢を記します。錐の奉納料は1,000円でした。西円堂内の厳修で読み上げて頂けるようです。
古来より、耳の病に苦しむ人は多かったのでしょう。
現代医学をもってしても、まだ未知の領域は広いのが現実です。各地の祈願所に“錐”が奉納されているのをよく見かけます。耳の塞がりを錐で通すイメージですね。
中門前の石標。
「左 西圓堂み祢の薬師如来」と刻みます。
中門前から左手へ進み、三経院の所で右へ回り込みます。その先に石段があり、少し高い壇上に西円堂がありました。「峰の薬師」と称する薬師如来ですが、この石標には「み祢の薬師如来」と書かれていますね。
おそらく「み」は美称でしょう。「祢(ね)」は御霊屋(みたまや)を意味する漢字です。親や先祖の御霊屋であり、霊廟のことだと思われます。
前方に迫り出す一間向拝。
向拝付きの八角円堂も珍しいのではないでしょうか。それだけ手を合わせに来る人を大切にしている、そんな印象を受けます。降雨の際も、これなら気にせずに拝めます。
西円堂(鎌倉時代 国宝)の案内板。
光明皇后の母、橘夫人が建立を発願し、行基菩薩が養老2年(718)に建立したと伝える。八角円堂で、現在の建物は建長2年(1250)の再建であるが、凝灰岩の礎石や二重の須弥壇に天平の創建当初の名残がみられる。堂内中央には薬師如来像を安置し、その周りを十二神将が囲む。また東面に千手観音像、北面に不動明王像が祀られる。西円堂では毎年2月1日から3日まで、弘長元年(1261)から続く修二会(薬師悔過)が厳修される。また3日目の結願法要に続いて追儺会(鬼追式)が行われ、3匹の鬼が基壇の上から松明を投げ、毘沙門天がその悪鬼を追い払う。
新薬師寺のように、十二神将が薬師如来を取り囲んでいるようです。
2月3日の鬼追式は、是非一度拝見してみたいものです。戦いの神・毘沙門天が悪鬼を追い払うシーンはこの目に焼き付けたいと思います。
手水鉢にかざす西円堂の錐。
願文をしたためる直前の記念撮影です。
西円堂の下手エリア。
お不動さんを祀る祠ですね。その向こうにちょろちょろと水が音を立てていました。
どうやら参拝者が身を清める滝だったようです。民間信仰に支えられた西円堂には、数多くの民衆が願掛けに訪れたと言います。ここで身を清め、峰の薬師の御前に立ったのでしょう。
重なる軒と向拝。
規則的に並ぶ連子窓も美しいですね。
薬師如来像(奈良時代 国宝)
本尊の薬師如来像は、奈良時代に造られた丈六の大きな脱活乾漆造で「峯の薬師」と呼ばれて親しまれている。光背は鎌倉時代の後補で、七仏薬師と千体仏が取り付けられている。八角形の裳懸座に結跏趺坐する大らかな像容で、左手には薬壺を持ち、病を治してくださる仏として、今も篤い信仰を集めている。また本尊には、自分が大事にする刀や弓、鏡や櫛など、数多くの品々が各地から奉納されており、今も1万点を超える品々が保管されている。
西円堂へ続く石段。
よく見てみると、この石段にも盃状穴がありました。
牛頭天王と直接関係はありませんが、疫病除けを祈願するという印は、峯の薬師の信仰の深さにも通じているような気がします。
西円堂の正面石段から左を見ると、祠の向こうにも石段がありました。
不動明王を祀る祠の前。
うん?この石は何でしょうか。
こんな感じで建っていました。
“洗心”の滝の音が辺りを包み込みます。
流れ落ちる水。
真下の石に当たっているようです。
立派な宝形造りです。
こうして見ると、かなり大きな向拝ですね。八角円堂の屋根は本瓦葺きでした。
西円堂の右向こうに鐘楼が見えます。
法隆寺の時報代わりにもなっている、時を知らせる鐘ですね。
西円堂の周りをぐるっと回ります。
堂内は撮影禁止ですのでご注意下さい。
法隆寺西円堂の盃状穴。
西円堂へ続く正面石段に丸い穴が空いていました。転用石なのか詳細は分かりませんが、庶民信仰の匂いを感じ取ります。色々想像を膨らませるのも面白いものです。
一口に難聴と言っても、その症状は様々です。
治療法も確立しておらず、耳のご利益に授かれるならと色んな所を巡って参りました。京都伏見の大光寺、下之庄の耳不動尊など、これからも各地に根付く想いに触れる旅は続きそうです。
これもそうでしょうね。
意図を感じずにはいられません。
法隆寺中門と五重塔。
西院伽藍の中核を成す場所です。そこに建つ石標ですから、ここまで足を運んだなら立ち寄ってみてと言わんばかりです。
「み祢の薬師」は左方向です。
国を挙げて祀られるのが法隆寺金堂なら、より民(たみ)に近い場所なのかもしれません。昔から衆生に寄り添ってきた峯の薬師に会いに行きましょう!