奈良県磯城郡田原本町八尾に鎮座する鏡作神社。
三種の神器である八咫鏡を鋳造したことで知られる石凝姥命(いしこりどめのみこと)を祀ります。鏡にまつわる神様ということで、鏡業界の関係者や技術向上を願う美容師らの参拝が多い神社です。
鏡作神社本殿。
拝殿後方にあり、左側から天糠戸命(あめのぬかどのみこと)、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、石凝姥命が並びます。三柱の神様を合わせ、鏡作三所大明神が丁重に祀られています。
鏡作神社の正式名称を「鏡作坐天照御魂神社」と言いますが、その主祭神は天照国照彦火明命です。
鏡作神社の歴史は、第10代崇神天皇の御代に遡ります。
疫病が流行るなどして乱れる世の中。皇居に八咫鏡を祀るのは畏れ多いと、豊鍬入姫命に託された天照大神の八咫鏡は大和の笠縫邑に祀られることになります。その際に別の鏡を作ることとなり、試鋳された鏡を天照国照彦火明命と称え、ここに祀ったと伝えられます。
鏡池から出土した鏡石
大和八木駅方面から国道24号線を北へ向かい、田原本エリアに入ります。程なく左手のコンビニの角に鏡作神社を案内する立看板が見えて参ります。西へ入ってしばらくすると、右手に鏡作神社の朱色の鳥居が視界に入ります。
参拝者用駐車場は鳥居の向かって右横にありました。駐車料金は無料ですが、数台ほどしか停めるスペースはありません。
鳥居を抜けると真正面に拝殿が控えているのですが、そこまでの距離は相当あります。左右の社叢に抱かれながら、少しずつ鏡作神社の神域へと入って行きます。
鏡作神社の鏡石。
拝殿向かって左前方の鏡池の前に、不思議な石を見つけました。なんだか導水施設のように、石を彫った跡が見られます。これは一体なんだろう?疑問に思っていると、ミステリアスな石の前に案内板が立っていることに気付きます。
鏡作坐天照御魂神社の「鏡石」についての説明書きです。
此の鏡石は江戸時代に、前の鏡池より出土したもので、古代の「鏡」製作時、近辺の鏡作郷よりの粗鏡の仕上げ、即ち鏡面の研磨工程時使用された用具かと推察される。
鋳造面を「鏡面」への研磨時、この鏡石の凹面に粗鏡を固定し、上方から水を流しながら、二上山の麓より採取した金剛砂等で「平面加工」や「鏡面加工」を施した時の用具かと推察される。
研磨工程、平面加工、鏡面加工といった文字が見られます。
なるほど、鏡の製作過程で使用された石なのでしょうか。
事の真偽は今となっては分かりませんが、様々な想像を掻き立ててくれる石であることに違いはありません。奈良の石造物と言えば明日香村を思い出すわけですが、どこか酒船石に似ているような気も致します。
鏡石の背後に水を湛える鏡池。
亀が甲羅を干しているのが見えます。
それにしても寺社に、「鏡池」と称する池の多いことに今更ながらに気付かされます。東大寺の鏡池、石上神宮の鏡池などはよく知られるところです。絶滅が危惧されるワタカが棲息するという、石上神宮の鏡池は先日訪れたばかりです。
実体とは別に、何かを映し出す鏡は古代人にとって神秘的であり、神様に通じる尊いものだったのではないでしょうか。池に映し出される木々や自分の顔も、異世界への誘いを感じるものであったはずです。
鏡作神社の社号標。
鏡の語源は「影見」にあると言われます。
「影」という字には不思議な意味が込められています。唐招提寺御影堂の記事にも書きましたが、影は光そのものであり、実像であると考えることもできます。そう、影は実像そのものなのです。その実像を見ている鏡、ということになります。
古代の出土品の中には多数の鏡があります。誰もが知っている代表的な鏡は三角縁神獣鏡ではないでしょうか。光を集めることの出来る鏡には、太陽のパワーが宿ります。八咫鏡が天照大神の神代であるのも頷けますね。
鳥居の右脇に鏡作神社の由緒が案内されていました。
「倭名抄」鏡作郷の地に鎮座する式内の古社である。
第十代崇神天皇のころ、三種の神器の一なる八咫鏡を皇居内にお祀りすることは畏れ多いとして、まず倭の笠縫邑にお祀りし(伊勢神宮の起源)、更に別の鏡をおつくりになった。社伝によると、「崇神天皇六年九月三日、この地において日御像の鏡を鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。本社は其の(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」とあり、ご祭神は鏡作三所大明神として称えられていた。
古代から江戸時代にかけて、鏡池で、身をきよめ鏡作りに励んだといい、鏡の神様としては全国で最も由緒の深い神社である。
鏡池は身を清める場所でもあったようです。
伊勢神宮で言うなら、清浄の五十鈴川といったところでしょうか。さすがに今の鏡作神社の鏡池を見て、ここで身を清めようとは思いませんが(笑)、昔はそれだけ聖なる場所であったものと思われます。
鏡池の手前にある御百度石。
向こうに見えているのが、鏡作神社の拝殿です。
こちらが鏡池と鏡石です。
かわいい小屋の中に鏡石が祀られています。風化を防ぐための雨除けなのでしょうか。
境内社の鍵取神社と笛吹神社。
左側の鍵取神社は石川県に鎮座する神社です。神無月になると、能登の神々も出雲へ出張するわけですが、その際に鍵を預かる留守番役を担っているのが鍵取大明神であると伝えられます。一方の笛吹神社は奈良県葛城市笛吹に鎮座する葛木坐火雷神社(通称笛吹神社)として知られます。
小さな祠ではありますが、境内に独特の存在感を漂わせます。
田原本町八尾に鎮座する鏡作神社
いよいよ本丸の拝殿、本殿へと足を進めます。
真夏を思わせる5月末の昼下がりだったのですが、木々に囲まれた境内は幾分涼しく、心地いい風が吹き抜けています。
田原本町を北流する寺川の下流、大阪府下には八尾市があります。鏡作神社の鎮まる八尾と同じ地名です。
大阪府八尾市には遠い親戚が居たことから、八尾という地名には敏感に反応してしまいます(笑)
大阪府八尾市には八羽の烏(カラス)に因む地名説話が残されています。ヤタガラス、八咫鏡といったキーワードが自然と頭に浮かびます。また、八尾市一帯にはその昔、弓や矢を生産する部族が多く集まっていました。その出来上がった矢を背負って運ぶことから、「矢負い」が転じて「矢尾」になり、現在の八尾になったとする説もあります。地名説話には色々あってどれが正しいのか知る由もありませんが、現在も大阪府八尾市には矢作(やはぎ)神社が鎮座しています。
鏡作神社から南へ少し下った所に、橿原市八木があります。この八木も「ヤハギ部」の意味なのかもしれません。「やはぎ」が「やほぎ」に転訛し、さらに二字化して「八尾(やお)」になった可能性も否定できません。大和八木駅前には橿原市の市章でもある金鵄像が建っていますが、金鵄伝説にも矢が登場します。
鏡作神社拝殿。
阿吽の呼吸で知られる狛犬が拝殿前に陣取ります。
「鏡作大明神」と書かれています。
鈴に吊り下げられた布は、寺社に見られる五色幕の色の配合なのでしょうか。
鏡作神社の縁結び祈願と干支絵馬
拝殿でお祈りを済ませた後、ふと目をやると勾玉の形をしたおみくじがありました。
以前にここを訪れた時は、おそらく無かったものと思われます。様々な縁を呼ぶ「えんみくじ」と題されたおみくじです。
目には見えない縁の導きによって成り立っている私たちの生活。
おみくじの中には、八色の勾玉の内いずれかが納められています。お金との御縁はさすがに金色の勾玉のようです。気になる恋人との御縁はピンク色の勾玉です。にょろっとした勾玉の尻尾には永遠の願いが込められています。永遠性を付与する息の緒(いきのを)。縁は360度の円に通じ、さらには時間軸の永遠にも繋がっていきます。
鏡作神社の干支絵馬。
未年の絵馬の初穂料は300円です。絵馬掛けも新たに設置されたようです。開運招福と書かれた絵馬には、これまた先のくるっと丸まった未の角が描かれています。
拝殿前から右手後方に足を向けると、そこには鏡作坐若宮神社が祀られていました。
鏡作坐若宮神社。
鏡作神社の若宮さんという位置付けでしょうか。
鮮やかな朱色をした新しい社殿が鳥居の向こうに建っていました。
蟇股の下の柱に白蛇の姿が見られます。
その上に二羽の鳥、両脇には象の木鼻が施されています。
若宮神社の前に祀られる四つの祠。
堂々とした三柱の本殿右横に鎮座する、コンパクトサイズの四柱の神様は天照皇太宮、手力雄神社、住吉神社、春日神社とされます。神様にこんなことを言っては失礼ですが、どこか可愛らしさを感じさせます。
鏡作神社本殿。
朱塗りの三間社春日造です。
威風堂々、鏡作神社境内で最もパワーの感じられる場所です。
本殿前から振り返り、拝殿の裏側を見ます。
太陽の光が差し込み、スピリチュアルな雰囲気が掻き立てられます。
拝殿の裏側から、真正面の若宮神社を望みます。
吊り灯籠が掛けられていて、鏡作神社の御神紋が見られます。手前が三つ巴紋で、向こう側が五七の桐紋のようです。
本殿前の鳥居。
鳥居には注連縄と紙垂が掛けられています。
神宮寺の鐘楼が残る鏡作神社境内
鏡作神社の拝殿左奥には、お寺によく見られる鐘楼があります。
神社に鐘楼とは珍しいものを発見致しました。
大神神社に平等寺、石上神宮に内山永久寺、春日大社には興福寺といった具合に、長い歴史の中で密接に繋がってきた神社とお寺。そのことを思えば、ここ鏡作神社境内に鐘があるのも不思議ではないのかもしれません。
境内社の愛宕社の背後に見えているのが鐘楼です。
社務所前に建つ鐘楼まで回り込んでみます。
なかなか立派な鐘楼ですね。
中に入って鐘を撞くこともできます。
神社に釣鐘?と題し、鐘楼を案内する立看板が立っていました。
此処より西域は昔の寺領で、神仏習合時代神宮寺、真言宗「聞楽院」と称する寺院があり、明治5年に廃寺となるも鐘楼のみ今に残っています。現社務所は旧寺院跡です。
なるほど、今の社務所が寺院跡だったのですね。
「この釣鐘は太平洋戦争時~」と続きますが、残念ながらこの左横の文字を撮影しておらず、事の詳細は分かりません(笑) おそらく兵器の材料としての利用を免れたとかいった内容が書かれていたのかもしれません。
鐘楼の前には御神木が立っています。
鏡作神社には非公開の社宝・三神二獣鏡(さんしんにじゅうきょう)が伝わります。三角縁神獣鏡の外区が欠落したものとも伝えられる鏡ですが、拝観したくても非公開とあっては致し方ありませんね。
拝殿へ続く参道右手に結界の張られた場所がありました。
この場所がどのような意味をもって聖域とされているのか定かではありませんが、辺りは背筋の伸びる一種独特な空気に満ちています。
毎年2月21日に一番近い日曜日になると、境内で五穀豊穣を祈願する御田植祭が催されます。御田植舞、豊年舞の他、牛使いの儀などが執り行われる農耕神事として知られます。牛が暴れるほど雨に恵まれると云われ、当日の境内は数多くの参拝客で賑わいます。
鏡作神社の手水処。
「鏡屋中」と刻まれていますね。
おそらく鏡の関連業者が奉納したものと思われます。
田原本町付近には鏡作神社の他にも、鏡作伊多神社(宮古・保津)、鏡作麻気神社(小阪)など、鏡作と称する神社が幾つか見られます。鏡作伊多神社の「伊多」は「鋳た」、鏡作麻気神社の「麻気」は「磨け」といった具合に、鏡の製作を効率良く分担していたことが推測されます。
古代における鏡作部の拠点がこの辺りにあったことが伺えますね。
道路に面した鏡作神社の鳥居。
「正一位」と記された扁額を仰ぎ見ます。鳥居を抜けた所に車止めの杭が何本も打たれています。車での往来は鳥居の手前までとなっています。
再び鏡石。
実際に鏡の製作過程で使われた実用的道具なのか、あるいは祭祀道具なのかは不明です。池の中から出土した神秘的な石造物を眺めながら、鏡作神社の歴史に想いを馳せます。