古代の鏡作り集団が居たとされる鏡作郷。
そこに比定されるのが、田原本町の鏡作神社です。
鏡作神社の御祭紳は天照国照日子火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天糠戸命(あめのぬかどのみこと)とされます。
鏡作神社の拝殿前。
拝殿前の斎庭には、石柱が奉納されていました。
名前の刻まれた石柱は、垣根の役目も果たしているようです。このように拝殿前が区画されているのは珍しいでしょう。
鏡屋中と刻む手水!式内社の鏡作神社
石凝姥命は天糠戸命の子とされます。
かの有名な天岩屋戸の変に際し、鏡を作って天照大神を慰めた神様として知られます。
鏡作部の遠祖とされ、五部神(いつとものおのかみ)の一柱でもあります。
拝殿前にあった御百度石。
御百度石の左側には、不思議な文様の見られる鏡石が祀られています。
お百度参りで使われるおなじみの御百度石。どこの寺社にも見られるものですが、回数を数える算盤でも付いていない限り、お参りした回数を忘れてしまうのではないかといつも思います(笑)
百日間毎日お参りする「百日詣」に端を発するお百度参り。
切実な願い事の中には、百日間もお参りする時間的余地の無い場合もあります。時代を経て徐々に簡略された百日詣は、いつしかお百度参りという形で根付くことになります。
鏡作神社境内の手水。
「鏡屋中」と書かれていますね。読み方ですが、おそらく「かがみやじゅう」と読むのではないでしょうか。神社の境内でよく見られる「氏子中(うじこじゅう)」と同じようなニュアンスだと思います。
氏子中(うじこじゅう)とは同じ氏神を祀る人々のことで、氏子の仲間、あるいは氏子一同を意味します。
大阪の鏡屋仲間から奉納された手水石なのかもしれませんね。
鏡作神社の鳥居。
国道24号線沿いのコンビニの角に、白地に黒の文字で書かれた鏡作神社の案内看板が立っています。そこを西へ曲がってしばらく進むと、式内社の鏡作神社が鎮座しています。
鏡作神社の御祭紳であるイシコリドメは鏡作連(かがみづくりのむらじ)の祖神に当たります。
天の岩屋戸の鏡を作ったことで知られ、天孫降臨の際にはニニギノミコトの従者の一人として高天原から下界へ降りて行きました。石凝姥命とは文字通り、石の鋳型を用いて鏡を鋳造する老女を意味しています。
石凝姥命(いしこりどめのみこと)の名前が見えます。
鏡という不思議な存在。古代より鏡には未知なる霊力が宿っていたのでしょうか。
鏡作神社には、神宝として三神二獣鏡(さんしんにじゅうきょう)が所蔵されています。
田原本町をはじめ、三宅町や川西町を含めたエリアを磯城の里と言います。
磯城の里を案内するパンフレットを見てみると、三宅町にもイシコリドメを祭紳とする石見鏡作神社があります。近鉄橿原線の石見駅から東へ徒歩3分ほどの距離に鎮座しています。
鏡作工人の祖神を祀ります。
鏡に映る自分の姿に古代人は何を思ったのでしょうか。
動物実験などにも利用される鏡ですが、古代人たちがそこに不思議なパワーを感じてもおかしくはないのではないでしょうか。世界に伝わる童話の世界にも、鏡が度々登場することは誰もが知るところです。
冒頭の手水石を支えています。
長谷寺近くの十二柱神社の境内で、狛犬を支える力士の姿を思い出してしまいました(笑)
鏡作神社の近くには、聖徳太子が斑鳩から飛鳥への通勤路として通った太子道(筋違道)が残されています。聖徳太子の足跡を追いながら、鏡作神社をはじめとする磯城の里観光を楽しんでみるのもいいですね。意外と知られていない奈良観光の穴場エリアとしておすすめ致します。