全国各地の神社仏閣を回っていると、丸い玉に尻尾のようなものが付いているのをよく見かけます。勾玉や擬宝珠、巴紋などに見られるあのニョロッとしたものの正体は一体何なのでしょうか?
大阪の露天神社(お初天神)の御神紋。
十六菊花紋の中に巴紋が入っていますね。やっぱりニョロッと突き出ています(笑)
永遠性を付与する息の緒(いきのを)
これはひょっとすると、古語における「息の緒(いきのを)」を表しているのではないか?そんな風に思えてくるのです。古語の世界には、長く続くことを意味する「~のを」という表現法があります。「息の緒(いきのを)」、あるいは「魂の緒(たまのを)」などの言葉が見られます。
大神神社に展示されていた絵にも、永遠の命を意味するかのような勾玉が描かれています。
大神神社といえば、子持勾玉のお守りがよく知られていますが、三輪山の禁足地から出土した子持勾玉は、古代の聖地である三輪山を象徴しています。
唐招提寺境内の鑑真大和上の御廟。
手前に如意宝珠をフレーミングします(笑) お寺や神社でよく見かける擬宝珠にも、にょろっと突き出た部分があります。これもやはり「いきのを」や「たまのを」を表しているのでしょうか。
「玉の緒の」という枕詞の後には、「長き」「短き」「絶え」「乱れ」などの言葉が続きます。万葉集などにも、「たまのをの思ひ乱れて」という文章が出て参ります。平安時代末の女流歌人・式子内親王の有名な歌には、次の一句があります。
たまのをよ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
永続性を願いつつも、その反作用としての諸行無常をどこかで感じていたことがうかがえます。永遠に続くことを祈念する「いきのを」や「たまのを」という言葉。尻尾を付けることによって、未来永劫の魂を願いつつも、やはりどこかで絶えたり乱れたりするのが世の常なのでしょうか。
ネギ坊主。
ネギの先っちょにも、食物のエネルギーが詰め込まれたような擬宝珠が存在します(笑)
東大寺周辺に見られる擬宝珠。
勾玉のしっぽ、巴紋のしっぽ、そして擬宝珠のしっぽ。おそらくどれもみな、同じような意味合いを持つものと思われます。
魂にしっぽが付いている。そのことを、あなたならどのようにお考えになられますか?